カゾク(?)会議・下
――ボロ切れも同然に、それは転げ落ちる。
地を舐めるコトすらもできず。
四肢は倒れる他、あらゆる役割を放棄していた。
「――」
逃げ出して、それを一貫さえできない両脚。
攻撃に転じ、歯牙にもかけられなかった腕。
特に後者の摩耗は著しい。
深く白焼けた不可逆の熱傷は、衰弱と疲労と共に、じき辛うじて動く胸をも殺すだろう。
「……ひゅっ、……ひゅ、っす……ひゅ……ッ、う」
そんな身分であるのに、限度を忘れた瞳だけは、燻りを滾らせる。
閉じない瞼と、固定された視点の先――飛沫となった仲間達と、あの女が残した破壊の痕跡。
事の顛末を直視したが最後。仲間にあぐれたソレは否定を叫ぶしか、不規則な息を肯定する術をなくしていた。
――そこさえ知らずに居れば。
逃げ延びてどこかで元気にやっているだとか、満足して死んだだとか。意味があったのだと、幾らでも理解から逃げる道があったというのに。
「あの。女、だけは……っ!」
黒い地面の上、感覚の無い右手の白。
死にかけの頭に浮かぶ白貌、それを地に打ちつける事で、血で穢す事で、現状を構成する全てに怨嗟をぶつける。
死んだ鼓膜を叩き続ける、焼かれた油の様な血の跳ねる音と、喉を潰されていく仲間の断末魔と。瞼の表と裏に焼き付いて離れない景色の反芻になお喉が焼かれた。
――なんだったのだ。あの女は何者だったのだ。
わからない。名前さえ知らない。
しかし、あれだけ殺しておいて。
人を玩具に貶めて陵辱しながらも何ひとつに楽しげですらなく、唯一肯定したのが生だなどと何事か。
ようやっと、搾取でなく皆が皆の為に働けるようになって。その為の唯一の手段を与えられて、カネを得るにはそれしかなかったのに。
なんの謂われと罪があって、あんなふうに人を一蹴できる。彼等はあんな風にされて良いと、肯定されるハズがない。
否定せねばならない。究極の略奪を、陵辱を。
他の誰でもない唯一死に損なった自分が、あの白々しい女に。
そうだ。アイツさえ居なければそもそも、自分があの様な、過ちを犯す事さえも――。
「ころ、す。ころす……ころす、ころし、ぅ……!」
残された唯一の身を立てる手段。
しかし、それはやはり実行には移されないことだろう。
――既にこうして。アレに見逃され逃げ出してから、四時間が経過している。
全力で逃げて、それきり動けず、もはや行動以前に生命力など残っていない。思考と心拍は既に回数制。
たかが一人の人間には、確約された終わりを覆す機能などあるハズがない。
その足掻きを見るモノがいるならば。
強いて、天上におわす瞳程度であろう。
「――、ぁ」
ついに、視力まで死んだのか。
開ききった瞳孔が集束する。
激痛に塗れた思考を切り分け、差し込んだ熱が、じんわりと雪を溶かすように固めた決意に寄り添ったのだと感じ取る。
――奇妙な錯覚だった。
変化をなにひとつ、何も見て取る事ができない。
白んだ網膜が、最後に見たモノは太陽を直視したかのようだった。
強烈な光。それはちょうど、じんわりと暖まる後頭部を撫でる、なにかのあった場所から伸びて、目を焼いたのだ。
いや、待て。
(……あれ。なんで、そんな事を感じ取れているんだ。ボクは)
そうなのだ。髪が穏やかに撫でられるのを、そうされるだけで引いていく痛みと頭に負った反動を、目を開けていた事実を――これ以上なく、あからさまにもたらされる光を、死んだハズの身は感じ取れていた。
そして、背後。
横たえる自分の傍らに生じていた、存在の気配をも。
「――」
なんだ、これは。
と、確かに復活したハズの神経を疑う。
そうせざるを得なかった。
感じ取れる人気は、複数人存在する。
しかし、何人かと言われても答えられない。
一人でない事だけは確かなのだ。
数え切れない程に居る――ハズなのに、一人だけが居る。どうあっても人間ひとつ分のサイズで、ひとつだけが腰を下ろす座標の一点に存在している。
まるで、一人で多くの命を携えてきたかのような。
或いは、何かしらの多重な集合体とでもいうのか。
未だ潰れたままの視界で、その異様な何かへと上体を起こし、目を向けて。
「……」
今度こそ、言葉を失うほかになくなる。
機能を取り戻した体は、瞠目以外に答えを持ち合わせなかった。
「――――あァ。オ目覚めになラレたのですネ」
そんな事を言った。ように聞こえた。
いてはならないモノがいた。成立するハズのないモノが。
間違いはなく、人型をしている。
それ以上に、掴める実態などありはしない。
認識が一定の色を持たない。輪郭も口調も、態度も一貫性がない。いまの僅かな言葉さえ、幾つもの外国語が重なった様にも聞こえた。
ひっきりなしに、目の形や髪型、胸の膨らみといった体型は揺らめく様に移り変わり続けている。外見の情報量が密集しすぎて多すぎる。何人もの肌色が、髪色が重なりすぎて、もはや黒いヒトガタが居るというのしか分からない。
しかし、それはきっとただ佇んで見下ろし、ただメッセージを飛ばしたに過ぎないのだろう。
――受け取る側の問題なのだ。
その、近づき難き存在自身から、人の形をして歩み寄って頂かねば見て取る事も叶わぬ、そんな存在。
常に輪郭から、三原色の後光を輝かせる、眩しき存在が落とした影法師。
闇に目が慣れて分かった。目が見えなくなったのでなく、目の前に嫌でも、その存在感が目に入ったのだ。
ただ、そこにあって唯一、形を保つモノを見た。
「……、しんぷ、様?」
「えェ。如何にも。吾輩ハ『シキ』という。stray sheepのお仲間でス。せヤから、おっかなくはありませヌぇ」
高くも低くも聞こえる不規則な抑揚。
胸を張った名乗った、のだと思われる。
その衣服は、白一色の一枚。首を覆い、それから足まですとんと落ちる、長い袖口の法衣。
そこに唯一色を持つ、女体の意匠が刻まれた、青い棺のグリフアイコン。
――見覚えがあった。それは悉く、なにもかもを失った自分達に、唯一の『手段』を与えた者と同じもので。
「ううむ。冥護を与えた皆は、お先にイかれまシたか――アナタ。どうすルでしョうか。アクマでも応急処置。ちゃんと治したいならナウさねば」
「……え――」
再び。図らずも、同じ場面に立っていた。
先があると。
暴虐に食い殺された世界の中、神父は選択を問うていた。
これを、終わりとするか。或いは。
「――このまま、終わりたくない……!」
――。
そんな事を、口にしていた。
「そうだ、そうなんだよ。生かすわけには……あれを殺せないままじゃあボクは……!」
そうなのだ。
まだ、あれがまだ生きている。なのに、なぜやめられるというのだ。
あれを殺すという善行を積まねば、無残に散った者達に報いるには足りない。
「――わかりました」
「丁度よかったデス。節操も、かの者二天誅をと、祈ってオリました」
――祝福の光は再び落ちる。
まばゆい世界に、唯一落ちる影の身は満足げにうなずいた。
そして、その手は片方を傷にかざし、もう片方を伸ばして、
「司祭の方々に、お目通しを願い二参りまシょう。きっとアラタな居場所になっトくれます――あなた。お名前は」
「――ムジナ」
決意を胸に。
その奥の内心を黒く染め。
少年はその、黒の手を取った。




