三話 仕事
スズメの囀る声が、ヴェイグの睡眠を途切れさせる。
上体を起こすと、温かい陽射しが気だるい身体に降り注いだ。
徐々に体温が上がり、意識が覚醒していく。
そこでようやく、ヴェイグは朝を実感した。
いつもは夜明けすぐの早朝に起きるのだが、柔らかいベッドのおかげだろう。
既に陽は完全に出ていた。
心地よさを取り込むようゆっくり息を吐いて、ヴェイグはそっと一言呟く。
「……ここ、どこだ?」
見覚えのない部屋で一人、腕を組み静かに首を傾げた。
そのまま、見覚えのないベッドから降り、見覚えのない部屋を出て、見覚えのない階段を下りっていって……。
これだけ動いても、記憶が戻る気配はまるでなかった。
「……まあ、どうでも良いか」
この未知なる状況でも、ヴェイグはそのくらいの関心しか持っていなかった。
「おや、お目覚めですか。おはようございます!」
大きな声で、ヴェイグは見知らぬ男性に挨拶をされる。
小さく頷くと、男性は微笑んだ。
「あちらに朝食の用意があります。どうぞ」
その言葉に再び小さく頷き、後ろを追従する。
その背を見ながら、ヴェイグは口の中で呟く。
(こいつ……誰だ?)
ヴェイグは小首を傾げながら、包帯を巻く男を見る。
自分が建物の中から助けた男だということにさえ、ヴェイグは気づいていなかった。
促されるまま席に着くと、ヴェイグは老婆、若い夫婦、助けた少年とテーブルを友にし、朝食を食べていた。
この状況に対し疑問はある。
けどまあ、どうでも良かった。
「ですので――改めて、お礼を申し上げます。勇敢な貴方様のおかげで、こうして再び家族揃って食事を取ることが叶いました」
もしゃもしゃと野菜を咀嚼しながら、ヴェイグは老婆の言葉に頷く。
少しだけだが、ヴェイグは老婆に苦手意識を感じていた。
不思議と、老婆だけは無視することが出来ない。
丁寧な態度と知性を感じる礼節。
それに加えて空気を読んでの交渉力。
それが、ヴェイグを強制的に反応させ、否が応にも人付き合いを意識させる。
それがヴェイグには煩わしかった。
「息子、孫だけでなく村の恩人。お礼をせずには人道に逸れるというものです。ですので、我々に何かお礼にしてほしいことあるでしょうか?」
普段なら、無視をする質問だ。
そんなのどうでも良いと。
ただ、老婆の目があまりに真剣で、つい、口が滑った。
「仕事……」
「ふむ。お金が必要ですと。我が家の蓄えを出すのは一行に構いませんが、おそらくそれでは足りませぬ。どうしましょうか?」
お金じゃなくて、仕事がしたい。
そう言おうと思ったが、説明が面倒でヴェイグは黙っていた。
「あっ! だったらさ、かーさんの職場に来て貰おうよ! だってこの人すっごい錬金術師なんでしょ?」
その言葉に、ヴェイグはぴくっと小さく反応した。
「ねぇねぇおじさん。俺のかーさん村唯一の錬金工房持ちなんだ! だからおじさん来てくれない?」
一瞬沸き上がったヴェイグの興味は、一瞬にて鎮火する。
工房と聞いて少し期待したが、良く良く考えたら他人の工房なんて面倒でしかない。
それなら村の外で洞窟でも借り、ゴリゴリと粉薬を作っていた方が遥かにマシだ。
「行かん」
はっきりと断言すると、少年はしゅんと落ち込む表情になった。
「や、やめなさい! この方はリュミエール錬金工房の人。うちなんかが雇えるわけがない」
父親が慌てた様子でそう子供を窘めた。
「――元、だ」
「し、失礼しました。それでも、このお方みたいな複数の上級薬をマスターしてる人材を雇えるだけの給金は、うちには……」
しょんぼりとしながら、父親はそう呟くと母親も表情を曇らせながら笑った。
「はい。それに、うちの錬金工房ちょっと……。この状況で来てくれなんて、そんな"無茶"言えるわけが――」
ぴくりと、ヴェイグの眉が動く。
やる気はない。
誰かの下に付くなんて煩わしいことはしたくない。
けれどそれはそれとして、ヴェイグは『無茶』とか『出来ない』とか、そう言う類の言葉を言われるのだけは我慢ならなかった。
「どういう意味だ? 俺では出来ないと?」
その言葉に夫婦はしまったという顔を浮かべた。
「い、いえ。何でもありません。気にしないで――」
母親の言葉を、老婆が遮った。
「――話なさい。恩人が、尋ねてるんですよ?」
有無を言わさずの迫力に、母親は根負けしたかのように口を開いた。
「……うちの工房は、面倒事や問題を多く抱えているんです」
「欠陥住宅か?」
「いえ。もっと根本的な問題です。まず、昨晩倒壊した家を覚えてますか?」
ヴェイグは頷いた。
「あそこは、工房の補助を行う薬学室でした」
中和剤などの専門的な補助具を作るための研究室を用意するというのは、工房において良くあること。
けれど、それがないといけないなんてことはなく、その程度問題にもならないのだが――。
「おっしゃりたいことは、なんとなくわかりますので先に答えを。私は見習い以下で、本来なら錬金術師を名乗ることさえ烏滸がましいレベルなんです」
そう――夫婦は共に実力不足で、二人合わせても尚半人前に届かない。
野菜売りだった夫が材質の管理や中間素材の準備に専念して、妻は丁寧に通常の三倍以上の時間をかけて。
そこまでやって、ようやく新人レベルの製品を用意出来る。
つまり、その薬学室を失ったら彼らは錬金術師を名乗ることさえ出来ないということだ。
子供も我が家の状況が不味いということをなんとなく理解していたから、自分が生意気がガキだと思われるとわかった上で、敢えてヴェイグに来て欲しいと口にした。
それに、彼らの問題はそれだけではない。
むしろ、彼らのような半端者が工房を持たざるを得なくなった理由こそが問題の根源にあった。
「私の父が正規の錬金術師だったのですが……工房を隠れ蓑にして、中毒症状の強い違法薬物を栽培し密売してました」
「――は?」
流石のヴェイグも、耳を疑った。
錬金術とは、学問である。
その建前があるからある程度の自由裁量を持ち、薬学、魔法、科学、あらゆる特権に触れ商売が出来る。
それは特権と言っても良いだろう。
逆に言えば、学問という建前を捨てた時、錬金術とは何になるか。
何でも出来る技術は、どう評価されるか
害悪である。
だからこそ、錬金術師は例え見習いでもモグリでも、厳しい職業規範と罰則が適応される。
「――死罪か?」
静かに、女性は首を振る。
ヴェイグは顔を顰め、ここにはいない愚か者を内心で呪った。
錬金術での違法薬物における私的利用の刑罰では、最も軽い罪が死罪である。
そうでないのなら、両足の健を切っての国外追放か、人体実験か。
何にせよ、死んだ方がマシな目に遭ったはずだ。
更に、死罪でないなら十中八九家族にも何等かのお咎めを受けることとなっただろう。
「とはいえ、国も私達には同情的で……工房の運営することで罪は免除されました。けれど……それももう……」
女性は力なく微笑んだ。
「……用意していた素材は大半がパーになって、残ったのは寂れた小さな工房のみ。……どう考えても、無理です。後出来ることは、なんとか夫と息子を連座から外すくらいなもので……」
そう……どうあがいても、婚姻関係にあった老婆とその娘は助からない。
良くて懲役、最悪死罪。
そう、彼らは既に覚悟していた。
更に、女性は溜まっていた鬱憤を晴らすかのよう、村人仲間たちにさえ隠していた内情をガンガン暴露しだした。
「そもそも! 村人の依頼だけでも四苦八苦してますのに、国から大量受注の依頼が定期的に来るんですよ! なんですあれ。嫌がらせ? 拷問? 厳しいんですよいつもいつも!」
女性の叫びに、ヴェイグはぴくっと身体を震わせ、女性の話にそっと耳を傾けだした。
さっきまでは興味なさそうにしていたというのに。
「極めつけは、嫌がらせ! 先代と縁があったとかなんとかいう輩が、わざわざ遠方から来て、出来もしない無茶ぶりをちょくちょく投げてくるんです! 出来るわけがないでしょう! ポーションアレルギー持ちが飲める回復ポーションとか、値段半額の回復薬とか!」
ぴくぴくと震えすぎて、ヴェイグはまるでおしっこを我慢する少年みたいな挙動になっていた。
「ええ。ですので、こんな泥船に恩人を乗せることなんて、とても――」
「気が変わった」
「……えっ?」
「お前の工房に、雇われてやっても良い」
子供ががたりと立ち上がる。
けれど、すぐに父は息子が立ち上がるのを静止する。
息子に対し過度に期待することも、善良な恩人が、無為な泥船に乗ろうとすることも。
それを止めるのは人道であると、父は考えて。
「ま、待ってください! そんな無茶な。我々は、満足な給金さえ払えなくて――」
「いらん」
「……えっ」
「飯と、宿。それだけあれば、事足りる」
がたりと、少年は目を輝かせ二度目の席立ちを披露。
今度は父親も止められなかった。
「で、ですが……雇われでも、貴方の名に傷が……」
「どうでも良い」
「それに、最悪連座で逮捕もありえます。そのくらい不味いんで」
「気にせん」
男は、言葉を失った。
逮捕されても良いとまで言われて返せるだけの言葉などあるわけがなかった。
静寂の中、女性は口を開く。
「どうして……ですか? 優秀な錬金術師ならわかるでしょう? 我が家がどれくらい詰んでいて、どうしようもないことくらい……」
「……わからん。どこに出来ない理由がある?」
「えっ?」
「もう、良い。……貴様らの話を聞くのは、面倒だ」
「……えっ?」
「最初から、こうすれば良かった。工房を、俺によこせ」
会話をする母にではなく、ヴェイグは老婆にそう命じた。
それが恩返しの条件であるとばかりに。
「……な、なんで?」
わなわなと震える母親に、ヴェイグは溜息を吐く。
今日だけで、十年分くらいしゃべった気がする。
「俺の仕事だ」
夫婦だからだろう。
ぽかんとした間抜け面は、二人共そっくりだった。
ありがとうございました。




