二話 偽善
遅めの朝という穏やかな時間。
小さな田舎村の中を、のっそのっそと髭面の中年が歩いていた。
本人的には、落ち込みながらただ道を歩いているだけのつもりである。
実際周りの目からどう映っているかは、誰もが道を譲り目を反らしていることから察することが出来るだろう。
顔を覆う程の髭の奥に映る、鋭い鷹のような目。
ガラの悪い冒険者だって、彼と比べたら優しそうと表現せざるを得ない。
「困ったな。仕事がなくなった……」
誰にも聞こえぬような小さな声でぽつりと一言。
彼の全財産は今や銅貨数枚。
それは一日の食費にさえ満たない。
だが、ヴェイグが困っているのはそこじゃない。
むしろ、『金銭の有無に頭を悩ませる程度の社交性』を彼が持っていれば、こんなことにはならなかった。
金がないなら野宿でもすれば良い。
飯がないなら山で獲れば良い。
彼にとっては街の宿さえ、山の洞窟と大差ない。
ヴェイグはそんな、山賊にならなかったのが奇跡のような男だった。
自分がクビとなった最高峰の工房――『リュミエール錬金工房』が何故こんな地方外れで田舎の小さな村傍にあるのかさえ、彼は考えたことがない。
いや――考えらえるわけがない。
彼は、田舎と都会の区別さえついていないのだから。
だから、彼が困っているのは暮らす場所でもなければ明日の飯でもない。
仕事だ。
仕事がない。
その純然たる事実のみが、彼を苦悩させていた。
ふらふらうろうろ、見知らぬ小さな村をヴェイグは彷徨う。
リュミエール錬金工房は村隣だが、山一つ占有し、五階建てかつ宿泊施設完備。
ヴェイグがおかしいのは当然として、村と関わりを持たない錬金術師も決して少なくはなかった。
さて、ここからどうしようか。
工房を構えるにはいくらいるだろうか。
誰に言えば金を借りれるだろうか。
借りるのが面倒だから誰か黙って金だけ置いていってくれないかな。
そんな舐めきったことを考えながら村をうろうろしていると、バァン! と、大きな音が響いた。
何かが崩れるような衝撃音。
それに続く、悲鳴。
そして「誰か来てくれ!」という叫びに、ヴェイグの身体は自然と動いていた。
彼に社交性たる概念は存在しない。
だから、行動に迷いがなかった。
人だかりと、撒きあがる砂煙。
半分崩壊した建造物と、突入を試みようとする数人の男性。
事情は概ね理解出来た。
崩れた建物は、何等かの店のようだった。
野菜売りのような雰囲気もあるが、それにしては少し専門的過ぎる。
薬草特化の薬屋だろうか。
また、店の裏には住居らしい建物があり、二つの建物を一つに繋げたような形状となっている。
その間の部分にお互いに重なるような形で崩れ合い、間の柱数本だけでギリギリ支えている半崩壊状態となっていた。
「まだ、中に人が――」
ひそひそとした野次馬の呟きが、老婆の泣き叫ぶ声に上書きされる。
ヴェイグは静かに頷き、建物に集まる若者たちを退け前に出た。
「お、おいあんた! 危ないから止めろ――ってうぉっ!」
男はヴェイグの腕を掴み止めようとするも、その身体は巨木かのように微動だしない。
それどころか、男は逆にヴェイグの体幹に負け倒れ転がった。
何故自分が倒れたかわからず、若者は首を傾げながらヴェイグを見上げる。
その鋭い目に射貫かれ、真っ青な顔で俯いた。
「邪魔を、するな。あれは、俺しか入れん」
狭い、子供しか通れない瓦礫の隙間を指差した後、ヴェイグは周りの静止を振り切って奥に突入した。
「……大丈夫か? というか誰だあれ? あんなの、見たことないんだが……」
「冒険者……かしらね。風貌的に」
怪訝な表情で村人は突入者について語る。
リュミエール錬金工房と村の関係が良好じゃないという事実もあるが、それ以前の話。
あんな外見で錬金術師だと判断出来るわけがなかった。
不安が募っていく会話の中、みしりと、建物の方から音が響く。
野次馬の皆が黙り込み、冷や汗が流れた。
ギシッギシッという嫌な音は徐々に強くなり、そして限界を迎え、半崩壊の建物を支えていた柱が、へし折れた。
「不味い! 逃げ――」
声は、爆弾のような激しい轟音にかき消された。
衝撃は砂埃を周囲にまき散らす。
静寂が、人々の絶望を如実に表していた。
ただでさえ潰れていた建物に、残った残骸もすべて伸し掛かり、中の物を完全に押し潰す。
さながら、ミルフィーユのように。
「あ……ああ……あああ……」
老婆が、静かに倒れ込み手を伸ばす。
嗚咽だけが、静寂の中取り残されていた。
誰も何も声をかけることが出来ない。
その絶望が、あまりにも深すぎて。
そんな時だった。
老婆の伸ばす手の先、残骸の中から、ずぼっと、髭面のおっさんが頭を出したのは。
老婆は髭は見つめ合い、真顔で黙り込む。
涙さえ、引っ込んでいた。
髭はそのままぐりぐりと無理やり動き、頭だけで強引に瓦礫をはねのけていく。
その後、髭がどさっと老婆の傍にを何かを投げると老婆の目が大きく見開かれた。
それは男性だった。
その後、どんな馬鹿力か髭は暴れ回り、瓦礫を吹き飛ばしていく。
瓦礫の階段をつくったおっさんは、一歩ずつゆっくり、丁寧に抜け出し、屋根の上に登り立つ。
そのおっさんの腕には、子供が抱きかかえられていた。
「二人いるなら、最初から言え」
埃で髭の白くなったおっさんは、不愛想なままそう吐き捨てた。
「あ、貴方は……息子と孫の命の恩人です。この恩は……」
埃を払うヴェイグに、涙目の老婆が近づく。
けれど、ヴェイグはそんな老婆に返事もせず、それどころか完全に無視し先に進んだ。
悪意があるわけではない。
ただ、ヴェイグの目には老婆が映っていなかった。
そもそもの話だが、ヴェイグには誰かを助けたという自覚がない。
だから当然、感謝されるという発想もない。
そう、彼にとってこれは善行でさえなく、単なる下準備。
重要なのは、これから。
大量の怪我人が出たそうだ。
重度の負傷者もいるらしい。
店が潰れたなら直す必要もあるだろう。
つまり――仕事だ。
彼にとって大切なことは、その一点のみだった。
「怪我人は、どこにいる?」
ヴェイグは瓦礫を片付ける若者に声をかけた。
「あ、あんたは……。もしかして、巻き込まれた誰かの身内だったのか?」
ヴェイグは、ジロリと若者を睨んだ。
「あ、ああ。負傷が酷いのは治療院に、入らない奴はその隣の民家にいるはずだ」
「治療院は、どこだ?」
若者は怪訝な表情をしながら指で指し示す。
ヴェイグはその小さな治療院に向かった。
数メートル先に見える治療院には、負傷者の列が出来ていた。
その隣の民家にも。
重傷者は見当たらないが、一軒の崩落にしては妙に負傷者が多い。
とはいえ理由なんてどうでも良い。
需要が多いのなら、急がなければ。
ヴェイグは治療院に入り、そのまま当たり前のようにドカドカと奥に進んで、診察室の中に突撃した。
「ちょっ!? 貴方誰ですか? 不審者!?」
治療中だった若い女医は突然のヴェイグの乱入に驚き、怯えながらも威嚇するようにらみつける。
ヴェイグは女医の態度など気にもせず、ジロリと患者を睨むよう一瞥し、女医に視線を戻した。
「何がいる?」
「……は? はい?」
「足りない薬はないのかと聞いている」
「何もかもよ。田舎の小さな個人医に期待しないで」
「……そうか」
ヴェイグの顔が、醜悪に歪む。
それは、笑みだった。
小さな髭面おっさんの邪悪な笑みは、大層気味が悪かったのだろう。
医者も患者もドン引きだった。
「今、一番必要な物はなんだ?」
「回復ポーションは幾らでも。贅沢を言えば、上級レベルの止血剤。それがあれば、すぐにでもこれが抜けるから」
医者は患者の太ももを指差す。
そこに太い金属棒が突き刺さっていた。
「……三十、いや、十分待て」
立ち去ろうとして、ふと、ヴェイグは手元に回復ポーションがあることを思い出した。
それは先の工房で受けた依頼途中の品。
だから所有権はリュミエール錬金工房にあるのだが……。
「まあ、退職金みたいなものか。構うまい」
ヴェイグはバッグから回復ポーションを取り出し、ニ十本すべて置いてから治療院を後にする。
ちょっとだけ……魚の小骨程度だが、ヴェイグはクビになったことを逆恨みしていた。
騒動とは無縁であった道具屋の店主は、のんびりと店番をする。
そんなタイミングで、ドアが壊れんばかりの勢いで開かれた。
何事かと目を丸くしていると、随分と顔に圧のある髭面男がエントリー。
汚れた衣服に、どこか埃の残った姿。
その風貌は、もはや盗賊のそれ。
強盗と確信した店主は、命乞いと逃走の用意を始める。
そんな最中、男は店の中を物色し、幾つかの薬草を掴んだ。
なんだただの客か。
そう安堵したや否や、髭の男はその場に座り込み、おもむろに乳鉢を取り出し、手元の薬品と粉を混ぜだした。
狭い、店の中で。
更に売り物である水や酒、精力剤である根などを勝手に使いだす。
蛮族ではなかった。
けれど、決して客でもない。
これは、迷惑そのものだった。
男が普通の外見なら、殴って追い出しただろう。
だが……。
その外見、その威圧、その眼光。
どう見ても堅気のそれじゃない。
店主は、完全にビビっていた。
「あの……お代金の程は……」
もみ手でヘラヘラ笑いながら、店主は腰を低く声をかける。
男は一瞬眉をひそめた後、乱暴な手つきで銭を置いた。
銅貨数枚。
どう考えても足りない。
けれど、こいつに関わるのはヤバいという気持ちが強かったので、店主は現実逃避した。
銅貨数枚。
これを己が命の代金と考えて。
大体四分くらいだろうか。
戻って来たヴェイグは赤い液体を女医に渡した。
女医は受け取り、それを一瞥した後目を大きく見開いた。
「もしかして……上級止血剤か!?」
その一言に、ヴェイグは眉を顰めた。
「貴様が要ると言ったのだろ」
「いや、駄目元で言っただけで、魔物も出ないこんな辺境のド田舎で見かけるなんて……いやまあ良い。感謝する」
女医が薬を持ち、治療を再開しようとしたところを、ヴェイグは口を挟んだ。
「待て」
「な、なんだ? 悪いがこのレベルの薬を払う金はうちにはないぞ?」
「金などいらん。他に何が必要か先に言え」
「いや、彼を救うには十分過ぎる。重傷者は彼くらいだし、後は私の腕の見せ所だ。だから――」
「全員だ」
「……え?」
「治療を待つ全員に必要なだけの薬を、今言え」
「……用意……して、くれるのか?」
ヴェイグはジロリと鋭く睨む。
今まであれだけ怖かった目なのに、不思議と怖く感じなかった。
それが、問答さえ不要という態度だったから。
「……君がどこの高潔な冒険者か知らんが、今この場に居る奇跡を感謝しよう。下位で構わないから止血剤が三つ、痛み止めが八つ。後は出来たら、睡眠導入剤や疲労回復薬、栄養剤が幾ばくかあれば……」
「何故、下らん遠慮をする? 貴様とて医者の端くれだろうに」
心底落胆したヴェイグの表情が腹立たしくて、女医は睨みながら言葉を投げた。
「さっきの数をすべて倍にしつつ下級回復ポーション。出来るなら精度の高いピンセットに加え、浄水剤と傷口用の消毒液もだ! 文句はないだろうな!?」
ヴェイグはニヤリと笑った後、治療院を後にした。
当然の話だが、ヴェイグは人助けが趣味みたいな高潔な男ではない。
というか他人にそこまで興味がない。
それが仕事かどうか。
関心は、それだけ。
そのほかに興味はなく、それだけあれば人生事足りる。
そして、仕事が困難であればあるほどヴェイグは燃える性質だった。
当然だろう?
困難に立ち向かうことこそが、生きるという意味なのだから。
誰かの通った道など、退屈でたまらん。
というわけで、ヴェイグは老婆の元に戻った。
「恩がある、と言ったな?」
「へっ?」
突然現れた声をかけてくるヴェイグに一瞬唖然とした老婆だが、すぐに落ち着いた元の表情になり、深く頭を下げた。
「はい。貴方様に家族を救われました。私に出来ることならば、何なりと」
「金を立て替えてくれ。奥の道具屋、向かいの何でも屋。後野菜やら……とにかく、色々な店で買いたい」
「承知しました」
理由も事情も聞かない。
余計なことも口にしない。
例え命を差し出せと言われても、同じことをするだろう。
それこそが、命の恩に報いるということだと老婆は知っていた。
「――感謝する」
余計な問答が必要なかったからだろう。
珍しく、ヴェイグの口から人間らしい言葉が零れた。
『錬金術』
その本質は不変なる真理の証明。
即ち、【学問】。
学問ゆえに完全なる再現性があり、同じ過程を扱えば必ず同じ結果に導かれる。
乱暴な例えだが、『1+1=2』という結果を証明し続けることこそが錬金術の本質と言えるだろう。
逆に言えば、同じ過程を通過しないを限り、同じ結果は招かれない。
同じ結果を求めたいのなら、同じ品質の素材を同じ過程で加工しなければならない。
当然の結論だ。
じゃあ、この田舎の何でも屋や道具屋で『同じ品質の素材』が満足いくまでに揃えられるか?
そんなわけがない。
古く萎れた葉、カビかけた草。
それだってあればマシな方。
在庫が一つだってない物の方が多い。
足りない素材を前にして、同じ物を作り出す。
それはもはや錬金術の本質から大きく外れている。
学問として見るなら、冒涜でさえあるだろう。
これが今の状況。
ヴェイグは『0.5+0.5=2』というイカサマの証明を求められていた。
リュミエール錬金工房の錬金術師では絶対に出来ないし、そもそもやろうとさえしないだろう。
あそこはエリート錬金術師の集いであり、道具や素材が足りないということがまず存在しない。
知恵を求められる。
工夫を求められる。
アドリブが要求される。
おおよそ錬金術という学問からさかしまに向く所業である。
それが――楽しかった。
無言で薬を調合し続ける。
道の真ん中を陣取り、道具を広げ、焚火を燃やして鍋を沸かし。
その好き放題に、住民たちは文句を言わない。
言うわけがない。
狭い田舎で、彼の善行が知れ渡らるのにそう時間はかからなかった。
彼は決して善人ではない。
自分の私利私欲しか考えていないとい意味なら、むしろ悪人だ。
それでも、行いそのものが善行であることに違いはなかった。
ヴェイグの書いたメモを住民が拾い、確認する。
「おい! キャベツだキャベツ! 紫じゃない奴だぞ! 後は……小瓶。うちにあったなぁ」
「レモンならあるぞ。絞れば良いのか? すぐ持ってくる!」
「人参の皮が大量? 今日の夕飯は人参パーティーにしないとね!」
住民たちがわらわらと集まり、皆がヴェイグに協力していた。
彼がただ薬を作り続けられるだけの環境にする。
そう、老婆が村の人たちにお願いして回っていた。
余計なしがらみにとらわれることなく、ただただ自分の仕事にのみ没頭出来る。
だからだろう。
こんなに気持ちが良い仕事が出来たのは、久方ぶりだった。
ありがとうございました。




