一話 謂れしかない解雇
なんでも、東洋のとある国に三顧の礼たる随分と徳の高い逸話があるそうだ。
良くわからんけど凄い偉い人のスカウトを無礼に断り続けた男が、三度目のスカウトにてその熱意に負け、頭を下げ部下になったとかなんとか。
それに当てはめたら、うちも次で決まるのだろう。
まあ……うちの場合は『逆』だが。
工房の若き錬金術師たちは、"ヌシ"と呼ばれる男を見ていた。
どこか、緊張した様子で。
彼のことをヌシと読んでいるが、別に上司というわけではない。
どちらかと言えば、それは蔑称に近かった。
彼の名前は『ヴェイグ・ブラックウッド』。
身長は女子よりも低いのに、肩幅は誰よりも広い。
その目つきは鷹のように険しく、その髭は顔の半分を覆い隠している。
ゴツく、厳く、不愛想。
その風貌は恐ろしく、ガラの悪い冒険者だって思わず目を反らす。
若手エリートばかりの錬金工房に、でんと居座る強面髭中年。
これでもかと異物の如く浮いていた。
外見は漬物石かのように重い癖に。
皆がヌシに意識を傾け、仕事半分にどこかそわそわとしている空気が続いていた。
そんな空気の中で、馬鹿丁寧なノックが響く。
工房の若者たちは、びくんと一瞬身体を震わせた。
――来た。
――ついに来た。
誰もが仕事を止め、顔をあげてドアを見る。
当事者であるヴェイグだけは、気にもせず作業を続行していた。
「失礼します」
ニコニコと柔和な笑みを浮かべた中年の金髪男性が工房作業室の扉を開く。
彼の名前は『コンラート・セラフィエル』。
最近代替わりした、二代目工房責任者である。
七光りと蔑まれ、先代と比べられて三か月。
今、彼の文句を言う人は一人たりともいない。
たった三か月で、誰の給金も三割以上向上している。
労働時間は減少しているのに。
事業の効率化。
彼が行ったのはまだその一点のみ。
それなのにこれだけ劇的な変化が起きており、しかも彼は既に第二、第三の矢の準備を終えている。
彼の能力は、工房の信頼を勝ち取るのに十分過ぎた。
そもそも、最初から七光りではなく、逆だった。
コンラは元々有能な商人だったから、先代の父より事業を任されたらしい。
性格だって当然のように良い。
偉い地位とは思えない程物腰は柔らかく、規律と道徳、そして対話を重んじる。
同じ中年なのにヌシと違って美形で、家には優しい奥さんと子供が二人いるとか。
むしろお前は何が出来ないんだと言いたくなるような、そんな完璧超人だった。
コンラは毎月頭、必ず予告してこの工房に訪れる。
その理由は――。
「ヴェイグさん。貴方直々を指名した依頼を持ってきました」
それが言葉通りでないことは誰でも理解出来た。
柔和な笑みのままで、口調も穏やか。
それでも、いつもの彼と違い、抜き身の刃を彷彿とする恐ろしさが醸し出されていた。
「――見せろ」
ヴェイグは書面での受注書を見た後、テーブルに置く。
「これは、俺の仕事じゃない」
そう言い放ち、錬金作業に戻るヴェイグ。
ぴりっとした、随分とスパイシーな雰囲気が漂っていた。
これで三度目。
この工房の所有者であり上司の大商人コンラ。その直々の依頼をこの男は三度すべて断った。
しかも、前回の時『次はありません』とまで言われていたというのに。
「理由を説明願えないでしょうか? 確かに少々厳しい依頼かもしれませんが、貴方がかつて行った業務の半分程度。それに依頼の給金も十分な物で、国家直々の依頼で名誉もあって――」
「俺の仕事じゃない。そう説明したはずだ」
ヴェイグは、そう吐き捨てる。
コンラのこめかみが引きつるのを、周りは見ていた。
「……わかって、言ってるのですか?」
「何の話だ?」
「……っ! いい加減にしてください!」
バンと、コンラは強くテーブルを叩いた。
「先代より言いつけられてきましたが、もう限界です! 錬金術師ならば誰もが来たがるこのリュミエール錬金工房で、これだけ特別扱いされておきながら何が不満なのですか!?」
「貴様は何を言っている? 不満があるなど誰が言った?」
コンラの顔が、真っ赤に染まった。
「ならば! 仕事を! 受けて下さい!」
「ならば仕事を持ってこい。先代を見習え、未熟者が」
実際にその音が響いたわけではない。
もしも本当だったなら大事だ。
それでも……工房の誰もが、その音を感じた。
その、『プチッ』という、堪忍袋の緒が切れた音を。
「ヴェイグ・ブラックウッド。どうやら私は君にお休みを告げなければいけないようです」
「……ふむ。今日は休みか」
「未来永劫休みだよ!」
「――つまり、クビか?」
「そうです」
「……仕事がなくなるのは、困るな」
珍しく弱気な発言だが、態度はいつものように尊大でふてぶてしかった。
「だったら、この仕事を――」
「それは別の奴にやらせろ」
「貴方は! 一体! 何なんですが!」
バンバンと、コンラはテーブルを猿みたいに叩き続ける。
ナイスミドルな金髪美中叔の面影が欠片もない。
草臥れ胃を抑えるその姿は、ただただお労しかった。
ヴェイグが思ったよりもあっさりといなくなり、工房の空気が一気に軽くなった。
とは言え……正直に言えば、彼がいなくなることに不安がまったくないわけではない。
周囲をビビらすくせにほとんど無口な漬物石だったのは事実だが、同時に実力は確かだった。
プライドばかり先行し誰も彼もを見下すようなタイプの選民思想を持った錬金術師さえも、彼にはマウントを取らなかった。
同情の声、不憫に思う声、不安に思う声。
その声を払拭するよう、コンラは職場で一言。まるで恨みを晴らすよう呟いた。
「これは独り言ですが……今の瞬間で、月の人件費が金貨五十枚程浮きました」
広がる動揺と混乱は、まるで悲鳴のようだった。
当然だろう。
彼らの月収入は、金貨一枚を超えるかどうかなのだから。
それでさえ世間一般で見ればありえない程高い。
その五十倍というのは――。
「ちなみに、基本給のみでそれでした」
その瞬間だった。
最後に残っていたヴェイグへの僅かな同情は、完全に霧散した。
ありがとうございました。




