幕
ディーたちが火口からの誘導路を作ってからも溶岩は流れ続け、湾の形が少なからず変わってしまった。
だが、ラジーニアと竜狩り師がパニックを治めるのに走り回ったおかげで、死者は一人も出なかったらしい。
二週間経った今では、街の壊れた箇所の修復作業が始まり、来週には港に船が入れるようになるんだとか。
「ドラゴンの姿だと街にいられないのは分かるけど……ほんとに行っちゃうの?」
「あぁ。君との別れはさみしいが、私はまだドラゴンになったばかりだからな。イグニフェルに師事して、色々教わろうと思う」
「しごかれるんじゃない? 思いっきり」
「……だろうな。弟子入りを頼んだら、覚悟しろと言われた」
イグニフェルとの旅立ちの前、ディーは港でアイリスに別れの挨拶をしていた。
周りにはラジーニアやイグニフェル、クラウの他に、ロルフにぺトラなど、お馴染みの顔ぶれがそろっている。
「ロルフさん、ぺトラさん、お世話になりました」
「ディートハルト君、元気でな。風邪引くなよ」
「寂しくなるけど……ご飯はきちんと食べるんですよ」
ボロボロと涙を流すロルフと、それを慰めるぺトラに頭を下げる。ディーの正体がドラゴンで、ウルクを救うためにした事をクラウとアイリスが訴えてくれなければ、こうして暇乞いをすることもできなかっただろう。
ほっと一息つくと、すごい勢いで飛んできたラジーニアが首にしがみついてきた。
「我が信徒よ、私を助けろ! クラウがしつこくてかなわん」
何なんですか、と聞こうした時。走ってきたクラウが、甲高い声で叫んだ。
「女神さま、俺をドラゴンにしてくれよ! 姿を変えるだけならできるんだろ!」
「バカもの! 大きなドラゴンを縮めて人間にすることは可能だが、小さな人間をドラゴンにしたところでスカスカになるだけだ! 諦めろ!」
「お祈りでもなんでもする! おそなえ物だってたくさんするから!」
「うっ……いや、神といえども出来んものは出来んのだ!」
その後はひたすら『おねがいします、女神さまー!』と叫ぶクラウと『お断りだッ!』と逃げるラジーニアの追いかけっこである。
くすくすという笑い声に顔を動かすと、アイリスと目があった。
「クラウがね、最近『学校に行ってもいい』って言いだしたの。ドラゴンのこと、もっと勉強したいんだって」
「最近ということは、以前は『行きたくない』と言っていたのか?」
「そう。私のお父さんと、おじさんとおばさんでお金を出し合おうって話は、前々から出てたんだけど。クラウが『うん』って言わなかったから」
「イグニフェルと共に行くのではないのか」
ふぅむ、と首をかしげていると、アイリスに肩に乗せて欲しいと頼まれたので、そっと手ですくって肩に乗せる。
「私ね、竜狩り師になるのはやめようかな、って思っているの」
「……なぜだ? あんなに戻りたがっていたのに」
「クラウみたいな子に、勉強を教える先生になるのも、いいかなって」
アイリスは、とろけるような柔らかい笑顔で、クラウとラジーニアの追いかけっこを目で追っていた。海の風に吹かれ、乱れる髪を押さえる横顔を見ていると、妙にくすぐったい気持ちになって、尻尾がぱたぱた動いてしまう。
「おい、感動の別れは済んだか? 俺はそう気が長いほうじゃないんだ」
歯をガチガチ鳴らすイグニフェルの顔に危機感を覚え、ディーは追いかけっこをしている二人に声をかけた。
「クラウ……その、気の利いたことは言えないのだが、君の人生に幸多かれと祈っているよ」
「そりゃどうも。俺も祈っといてやるよ、お前のバカがちょっとは治るようにな」
背を向けられてしまったので、それ以上は言葉をかけられずに、クラウがロルフ夫妻のもとへ走っていくのを見送る。
あとはすべての始まり――女神ラジーニアだけだ。
「お前には、一つ謝らねばならぬことがある」
女神と向き合うと、別れの言葉を口にするより先に、ぺこりと頭を下げられた。
「私はな、お前に仮初にでも人間の姿を与えれば、そのうち嫌でも『人間ではない』という現実を突きつけられて、バカな望みを諦めると思っていた。それがお前のためだと、勝手に決めつけてな。でも、お前は私の予想とは違う道を選んだ。――脱帽だ。完敗だよ」
女神は呆れたような、はたまた寂しげなような、なんとも不思議な笑みを浮かべている。彼女が宙をただよう姿には、最後まで慣れることは無かった。
「――いえ、女神さま。結果はどうあれ、自分は人間の姿と生活を頂き、感謝しております。おいしいバウムクーヘンも、あなたがいなければ食べられなかった」
「食べ過ぎもほどほどにな。腹八分目を心得るように」
承知しました、と頭を下げて、ディーは新しい師匠――イグニフェルの方へ向き直った。
「あなたはいいのですか? クラウと別れを惜しまなくても」
「惜しんだからってどうなるってんだよ。あいつは自分の道を決めたんだろ。それなら、俺に言うことはなにもない」
手のかかる弟子が一人増えるし、とぼやかれ、舌打ちのディーである。
「まず最初に、古老のとこへ新入りの挨拶に行かないとな。長旅になるぞ」
「了解です」
返事をして、体をブルブル揺すると、新緑色のウロコが何枚か飛び散った。
「皆、自分のウロコを貰ってはくれないだろうか。この先また会うことがあったとしても、その時は違う色になっているだろうから」
アイリスにクラウ、ラジーニア、ロルフ夫妻に一枚ずつウロコを手渡して、助走をして飛び立つ。
先行するイグニフェルに引き離されないように羽ばたきながらも、くるりと港の方を向いて、人間の流儀で大きく手を振った。
「さよなら、みんな! また会う日まで!」
学業を修め、父の元を巣立つ生徒たちは、みなこうして手を振って歩いていったものだ。
これからは、前を行く黒い背中にドラゴンの流儀を教わることになる。――それでも、父と過ごした毎日や、港町ウルクでの生活を忘れることはないだろう。
イグニフェルについて高度を上げると、風に乗って、少し飛ぶのが楽になる。
どこまでも青く続く空に、太陽がまばゆく輝いていた。
これにて完結となります。今までお読みいただき、ありがとうございました。




