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10.女神への頼み

 目の前でクラウをさらわれたディーは、靴を履き替えると言って部屋に戻った。

 空高く飛ぶドラゴンに迫らんとした跳躍と、着地の衝撃。ディーの体は耐えられても、女神がつくった靴は壊れてしまったのである。

「すまんな。お前の体を守るのが精一杯だった。私もまだまだ修行が足りない」

 食卓の椅子に座って、壊れた靴を脱ぐと、足の爪が太く鋭いものに変形していた。人間ではありえないほどに。

「ラジーニア様、これは」

「大丈夫、心配するな。感情が高ぶって、少しはみ出しているだけだ」

 女神は小さな手でディーの爪をつつんでさすり、人間のそれに戻した。壊れた靴もツンツンと指でつついて元通りである。

 すごいですね、とため息をつくディーに、女神は首を振った。

「神というものは、誰かに信じてもらえねば力をふるうどころか、存在すらできぬのだ。ちょうど、お前と初めて会ったときの私のようにな」

 ――初めて会ったとき。

 女神の言葉は否応なしに、ディーに過去の記憶を思い起こさせた。清流の女神ラジーニアと出会い、港町ウルクを訪れて、知り合った人々のことを。

 りりしく潔癖で、心やさしい少女の、おびえたような紫の目と。

 ドラゴンにさらわれた少年の、冷め切ったまなざしも。

「以前、ラジーニア様はおっしゃいましたね。『不満があるならドラゴンの姿に戻してもいい』と」

「な、なんだ……戻りたくなったのか?」

 ディーは、食卓に立つ女神と目を合わせて続ける。

「クラウを助けるためには、人間のままでは無理だと思います。ドラゴンと対峙するには、ドラゴンの姿に戻らなくては。……それに、彼はこれを落としていきました」

 ズボンのポケットからドラゴンの牙を出して、ラジーニアに差し出した。

「うーん、以前浴場で見たような気がするな」

「女神さまが男性用浴場の中にまでついてくるのはどうかと思いました」

「う、うるさいわ! お前のような世間知らずを、一人で風呂屋に行かせられるか!」

 赤面して怒鳴る女神に苦笑して、ディーは牙を食卓に置いた。

 同じドラゴンの牙でも、ディーのものとは大きさも形も違う。長いこと持ち歩いていたらしく、摩耗して丸くなっている。

「クラウが保護されたのはドラゴンの巣で、怖がって泣いていたとアイリスは言っていました。だから、ドラゴンの匂いに過敏になり、自分につっかかってくるのだろうと。……でも、もし彼がドラゴンを恐れているのなら、牙を大事にしたりするでしょうか」

 女神は牙を手にとり、ふぅむ、と首をかしげた。

「そういえば。以前アイリスの父が店に来た夜のことなんだが。クラウがこっそり町に出て行ったことがあってな」

「……なんのために?」

「祈っていたんだよ。この牙を手に持って、一心にな」

 私以外の誰かに祈りをささげていたのだぞ、とラジーニアは苦々しい顔だ。

「とにかく」

 牙をポケットにしまって、口を開く。

「自分はクラウを助けに行きます。その際、もし必要になったら、自分を元の姿に戻してもらえませんか」

「人前で姿をさらすことになるかもしれないが、それでもいいのか?」

 ディーはこくりとうなずいた。

「元々ドラゴン退治をするつもりで町に来ていて、目の前で子供をさらわれたのです。竜狩り師に『クラウを助けない』という選択肢は無いでしょう。攻撃の意思を持つ人間に、ドラゴンが反撃しないはずもありません。彼らを守るためにも自分は同行します」

 女神は肩をすくめて嘆息し、こう言った。

「……お前、人間に似てきたな」

「お世辞でもうれしいです」

「そういう、世辞を理解するところが実に人間らしい」

 どちらからともなく目が合い、肩をふるわせて笑ったところで、ノックの音が。

「ディー、いる? 私、アイリスだけど」

「あぁ。今、行くよ」

 ドアを開けたそこには、服を着替えたアイリスが立っていた。体の線にぴったりと添う服は、動物の皮で要所が補強してある。手には彼女の背丈の半ばまである長さの、無骨な刃が握られていた。

「それが竜狩り師の仕事着か?」

「そう。クラウがさらわれて、今は一人でも人手が欲しいときだからね。装備を返してもらったの。ディーはどうする? 一緒に助けに行く?」

 こちらを見上げてくるアイリスの目には、おびえの色はないように見えた。

「もちろんだ。知らせてくれてありがとう」

 ディーは少し考えて、ラジーニアが最初に作ってくれた旅装に着替えることにした。白いシャツに依代のペンダント、ベストにズボン、そしてマント。背負い袋も忘れない。

「準備が終わったら、音楽堂に行こう。そこで、お父さんが段取りを説明するから」

 旅装を見てもアイリスは何も言わず、背筋を伸ばして歩き出した。

「あなた、力は強くても素人なんだから。専門家にまかせておきなさいよ」

 ディーはラジーニアと一緒に歩きながらうなずいた。

「そうだな。専門家に任せるという意見には賛成だ」

 ドラゴンのことをドラゴン以上に知っている人間がいるならば――とは、声に出さなかった。

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