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09.あなたがこわい

 クラウが鐘楼に行った日の翌朝。

 たとえドラゴンが来ていても腹は減る。『未知への挑戦亭』は開き、アイリスは店番に立った。


 ――あの黒いドラゴン、カウポナ山にいるんだって?

 ――竜狩り師がいるんだし、早く退治して欲しいねぇ。

 ――ほんとになぁ。このまま船が出られなかったら、こっちは干からびちまうよ。

 

 客たちの表情は暗く、噂もため息交じりだ。

 ドラゴンの襲来によって、住人の出歩きはもちろん、船の出入りも自粛中。つまりモノが入って来ないのだ。これではとても港町を名乗れないだろう。この店だって、今ある材料が尽きたらおしまいである。

 幸いにして、ドラゴンの居場所は分かった。

 ならば、やる事は一つだけだ。

 叔父夫婦はアイリスたちに店を任せ、父と一緒に退治の打ち合わせに行ってしまった。竜狩り師の宿を漁れば武器装具の一つや二つあるだろう。準備を整えて山へ先回りすれば、父もまさか否とは言うまい。

 竜狩り師に戻ることができるとしたら、今しかない。


「アイリスよ、こんな時にどこへ行く?」

 決意を固めて、抜け出そうとした勝手口で。

 早々に女神に見つかってしまって、心の中で舌打ちをした。神出鬼没のラジーニアの目を盗むのは容易ではない。

「お客さんはもう来ないだろうし。叔父さんと叔母さんにこれ、持って行こうと思って」

 見つかった場合に備えて、持っていたワインを入れたカゴを差し出す。むろん、狩りの前に酔うほどは飲まない。だが、竜狩り師の戦勝祈願の宴には必須の品だ。

「アイリス……君のお父上は心配していたぞ。店で待っていた方がいい。差し入れなら自分が行こう」

 女神がいるということは、ディーもついているということで、彼はエプロンを取って外出の準備をしだした。

「気持ちはうれしいけど、これは私の用事だから」

 父と同じことを言うディーに苛立ちを覚え、隣をすり抜けるようにして勝手口を出る。まったく、何か吹き込まれでもしたのだろうか。

「あ……アイリス! ドラゴンは危険だ、あんな生き物に人間が敵うとはとても思えない。ここにいてくれ」

「店にいたからって何よ。ドラゴンが本気になったらどこにいようが同じなんだから」

 劫火の吐息の前では、どこに隠れようが無意味だ。だからこそ、一刻も早く退治しなくてはならない。

「なぜだ! 君はどうして、危険極まりない竜狩り師になりたがる!」

「そんなの、他のやり方を知らないからに決まってるでしょ!」

 父と狩りに行っていた母が死んで、もう何年経つだろうか。

 今となっては、アイリスが一人前になるほかに、父の背中を守る方法はないのだ。

「邪魔しないでよ、もう! あなた一体何なの? そこまで言われる筋合いなんてない!」

「何……って……自分は」

 人間だ、という彼の言葉に。

 背筋がぞくりと震えた。

 監禁されていた倉庫での記憶が、勝手に蘇り。ディーの青い目から視線をそらす。

 スリの足を踏み折った彼は、冷ややかな金色の瞳をしていて――

「いやっ」

 足が一歩二歩とあとずさり、距離をとる。

「アイリス……君は……ドラゴンが、怖いのか? それとも……」

 伸ばしかけた手をひっこめたディーの問いにも、答えることができない。

「自分が、怖いのか?」

 胸に手を当てたディーが、すかるようでいて、どこか諦めたようなまなざしで問うてくる。

 アイリスは胸に刺すような痛みを覚えた。彼を傷つけてしまった、謝らなければ、という焦燥と――金色の瞳の記憶が、脳裏でせめぎあっている。

「……っ」

「お前たち、俺に働かせてサボっているとはいい度胸だな」

 アイリスが口を開こうとしたその時、ほっぺたを膨らませたクラウが、肩をいからせてやってきた。

「クラウよ、我々は別にサボっているわけではないぞ。アイリスがこんな時分に差し入れなどと言うから、私とディートハルトが届けようと思ってな」

「どうだか」

 クラウが鼻を鳴らすのを聞いたと思った瞬間、ワインを入れたカゴは彼の手中にあった。

「こんなもん、俺が届けといてやるよ。お前らは二人で店番してろ」

 言うが早いか、彼はそそくさと走り出した。

「えっ? ちょ、ちょっと!」

「クラウ、君も外に出てはだめだ!」

 竜狩り師が子供に手荷物をとられるとはなんたる不覚! と追いかけるが、出遅れた差はいかんともしがたい。一緒に走り出したディーが、歩幅の違いから一歩先んじるが、追いつくには至らない。

 クラウはどこで聞いていたのか、竜狩り師たちの打ち合わせ場所である音楽堂に向かって一直線に走ってゆく。

 息が上がるほど走って、音楽堂と手前の広場が見えてきた。

「クラウ、いい加減にしないと……っ!」

 肩で息をするアイリスの前で、クラウはさっさと音楽堂の中に入っていった――と思ったら、そう時間がたたないうちに出てきた。武装した竜狩り師たちから逃げるようにして。

「アイリス? ディートハルト君まで……時間がない、早くクラウと一緒に中に入れ!」

 父の言葉と険しい表情に、アイリスは事態を悟った。

 訳が分からないといった顔のディーの手をとり、クラウに手を伸ばす。

「早く! すぐにドラゴンが」

 来る、という言葉が喉から出る前に、あたりに陰が差した。

 すべてをなぎ倒さんばかりの暴風に、目も開けられない。

「アイリス!」

 ディーにひっぱられて、音楽堂の壁につかまる。

「クラ……ウ! はやく、こっちに」

 伏せているクラウと、手を伸ばしたアイリスの間に、黒い巨体が舞い降りた。

 風で殴られたような衝撃とともに石畳が揺れ、割れてめくれ上がる。竜狩り師が何人か吹っ飛ぶ。

 無理やり目を開けた狭い視界の中、巨体はあっという間にクラウをさらって飛び立った。

「行かせるか!」

 ぐんぐんと高度を上げるドラゴンの後姿を、全力疾走で追いかけるディー。アイリスも後に続いたが、すぐに息が続かなくなってへたりこんだ。彼はクラウを助けんと地面を蹴ったが、あと一歩のところで両手が空をきる。

 すわ落下かと思いきや、姿勢をくずす事もなく足から着地。衝撃で路面が割れて両足がめり込む。助走をしたとはいえ、ジャンプ一つで空飛ぶドラゴンに肉迫したディーの脚力には脱帽するしかない。

「ディー! 大丈夫? 怪我は?」

 竜狩り師たちが遠巻きにする中、アイリスはディーに駆け寄った。

 彼は、ドラゴンが飛び去ったカウポナ山を茫然と見つめていた。金色の瞳に、アイリスは言葉を失う。

「すまない、アイリス」

 握ったり開いたりしている手の中にあるのは、ドラゴンの牙のようだ。ディーのペンダントは首に下がっているから、飛び去ったドラゴンのものだろうか?

「……自分は、クラウを助けられなかった」

 しぼり出すような言葉と共に、涙がつぅ、と頬を伝った。

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