第9話 初収益と、名前のない相方
スライム一体の査定額は、二千四百円だった。
「割れた核と、回収できた組織。合わせて、この額になります」
素材受付の職員は、画面をこちらへ回しただけだった。祝う声でも、惜しむ声でもない。初心者区画の素材を、毎日この調子で査定しているのだと思う。
高いのか安いのか、比べるものがない。魔物を倒して、自分の取り分として金が出たのは、これが初めてだった。
「討伐記録は、お二人の共同討伐で登録されています。分配は二名等分になっていますが、変更は」
画面の討伐者欄には、探索者番号が二つ並んでいる。
「ありません」
高梨が即答した。
「二人で倒したので」
職員はうなずいて、画面を一度叩いた。一人あたり、千二百円。
千二百円。
溶けた靴のほうが高い。
スライムを一体ずつ狩って暮らす、という道は、この時点で消えた。移動と消耗品を引いたら、残るのは自販機の缶数本分だ。
「振込は探索者番号ごとです。登録時の設定どおりに処理されます」
「はい」
それで、素材の話は終わりだった。
◇
高梨は、同じ建物にある配信者用の共用ブースを一つ借りた。灰色の板の壁と、机と、椅子が二つ。どこの支部かも分からない内装で、たぶん、そのために作られている。
伏せていた端末を、机の真ん中に置く。
「一緒に見るって言ったから」
画面がついた。チャンネルの管理画面。いちばん上に、登録者数。
五桁だった。
「……四百人だったんだよ。鑑定の日」
高梨は端末を両手で持ち上げて、画面と俺を交互に見た。配信のときより、声が高い。
「桁、三回数えた」
五桁は、人の数だ。増えるほど、探す側も増える。
俺は、その下を見ていた。
共同分、受取可能額。二万八千八百円。
高梨が共同分として切り分けた収益だけが、日常動画とは別枠で表示されていた。分配先は、まだ高梨一人になっている。
しばらくして、高梨が気づいた。
「そっちは見るんだ」
「……こっちは、靴になる」
「登録者は?」
「ならない」
有名になる数字は、増えるほど困る。靴に変わる数字は、増えて困らない。登録者に興味がない顔をしておけば、減ったときも傷つかずに済む。
高梨が笑った。笑われる理由は、分からなくもなかった。
「共同分は、半分ね」
最初から決めていた言い方だった。
「多い」
「多くない」
「チャンネルは高梨のだ。撮ったのも、編集したのも」
「日常動画と犬の動画は、私の。そこは一円も分けない」
高梨は、画面の「共同分」を指した。
「今回のは、スライムの検証配信と、試験結果の動画と、今日の再戦配信のぶんだけ。切り抜きのは、うちには入ってこないからね。入ってるのは、公式の動画と、配信中の応援のぶん」
次に、自分を指した。
「編集と、伏せるところを伏せるのは、私の仕事。そのぶんは、登録者と信用で私に返ってきてる」
数字が増えているあいだ、この人は、俺につながる情報を映像から削り、出回った切り抜きには削除申請を出していた。数字には出ないほうの仕事を、ずっと一人でやっている。
高梨は、画面ではなく俺を見た。
「倒したのは、二人。核を出したのが久住くんで、割ったのが私。どっちかいなかったら、素材も動画もない。だから、経費を引いたあとで半分。あとで揉めたくないから、これで固定」
経費は先に引いてあるという。凝固剤の補充と、機材の借り賃と、あとは細かいもの。
「……分かった」
これ以上断ると、話が長くなる。分け方に穴がないなら、受け取るほうが早い。
多くない、と言い切られたほうが、金額より残った。
高梨が分配の設定を開いた。共同出演者の欄に、俺の探索者番号を入れる。名前は出ない。番号だけだ。
俺の端末に、同意の欄が出た。読んでから、押した。
数字が半分に割れた。一万四千四百円ずつ。
少し遅れて、俺の端末にも配信収益の分配通知が届いた。
先に入った素材代を足せば、今日の受取額は――
一万五千六百円。
高校生には、悪くない額だ。人生が変わる額でもない。
素材代は、今日の一回ぶんだ。映像のほうには、負けた回まで入っている。同じスライム相手に、記録が残っているかどうかで、桁が一つ変わる。負けて、伸びて、金になった。
自分用の規定ブーツが一足買える。凝固剤も、自分の缶を持てる。爪先の溶けた一足は、玄関に置いたままで、今日は借り物で潜った。次も借りるより、自分のを持つほうが早い。
同じことを、同じくらい安全に続けられるなら――卒業したあとの家賃くらいには、なるかもしれない。続けば、だが。
金の話ばかり考えている自覚はあった。
ただ、それだけでもない。一度負けた相手に、やり方を変えて勝った。あれは、金額の欄には出ない。
高梨には言わなかった。金以外のことを口にすると、声が変わる気がした。言わなくても、次に潜る日のことは、もう考えていた。
「私は固定具を新しくする」
高梨は自分の端末を眺めて、それから付け足した。
「あと、犬におやつ。それは日常動画の取り分から」
そこも分けるのか、と思った。
◇
「編集する前に、一個決めたい」
高梨が出したのは、今日の再戦の映像だった。編集はこれからで、題名の欄はまだ空いている。
「久住くんの呼び方。画面の中で」
本名を出す気は、最初からない。それは検査の日に決めた条件だ。ただ、見る側に通じる呼び方が要る、という話だった。
高梨がコメント欄を遡る。
《即死能力者いた》
《酸欠ニキ勝ったのか》
《呼吸税の人、今日は風なんだ》
「即死じゃない」
「うん」
「酸欠以外も使った」
「今日はね」
「税を取った覚えはない」
高梨は口元だけで笑った。
「それは、もう手遅れかな」
それから、画面から顔を上げた。
「活動名、今決める?」
「……思いつかない」
考える気も、あまりなかった。
「じゃあ、決まるまで、私は相方って呼ぶ」
「それは名前じゃない」
高梨は、そこは分かっているという顔をした。
「名前じゃないから、いいの。名前を出さないで、何をしてる人かだけ言える」
「……」
「嫌なら、代案」
代案は、なかった。
格好はつかない。ただ、文句をつける場所が見つからなかった。
「……それでいい」
名前じゃない。それでも、ほかの呼び方に変えられるのは嫌だった。
高梨は端末を持ち直して、題名の欄に何か打ち始めた。
◇
高梨は椅子を灰色の壁の前へ寄せ、机に査定の控えを置いた。個人と場所につながる欄には、全部付箋が貼ってある。カメラの位置を確かめてから、俺を見た。
「画角の外にいて」
「うん」
壁際の椅子に座る。ここからだと、高梨の背中と、画面の端だけが見えた。
「放課後ダンジョン配信、ヒヨリDIVEです。今日は短い報告だけです」
コメントは、待っていたみたいに流れ始めた。
「今日の再戦は、正式な申請のもとで行いました。討伐は、私とうちの相方、二人の共同記録として認定されています。素材の代金も、動画の収益も、二人で分けます。以上です」
うちの相方。
配信で聞くのは初めてなのに、前からそうだったみたいに聞こえた。
嫌ではなかった。それどころか、思っていたより嬉しかった。
名前を隠すための呼び方だ。それだけのはずなのに、自分の居場所を一つもらったように聞こえた。
《相方?》
《相方=あの酸欠ニキだろ》
《呼吸税の人、名前ないまま相方になってて笑う》
《呼吸税の効かない相手に、風で開けて光球で割ったんだよな。本編見た》
《撮ってただけの人に半分?》
《核を割ったの配信者だぞ。ちゃんと見ろ》
一件、支部の名前を聞くコメントが流れた。高梨は拾わなかった。次に画面を見たとき、その行は消えていた。
《相方さん、いるなら声だけでも》
高梨が拾ったのは、それだけだった。
「うちの相方にも聞いてみます」
高梨が、画角の外へ顔だけ向けた。
「何かある?」
何かある、と言えばよかった。聞いているのは、高梨一人じゃない。何を言うか決める前に、間が空いた。
画角の外から、答える。
「……ない」
《いた》
《ないんかい》
「ないそうです。次の予定は、申請が通ってから言います。ではまた」
高梨は、画角の外の俺へ、親指だけ立ててみせた。
◇
配信を切って、片づけをしているうちに、高梨の端末と俺の端末が、続けて震えた。
ギルドからだった。今日の映像、安全記録、共同討伐記録の確認が済んだ、という通知。その下に、もう一行あった。
『初心者区画 卒業査定 挑戦申請の資格を確認しました』
最初の実習、能力検査、二度のスライム試験。そこまでの記録を合わせて、条件を満たしたらしい。
ランクが上がったわけじゃない。試験を受けていい段階へ、進んだだけだ。
高梨は椅子に座ったまま、一度だけ身体を弾ませて、それから、当たり前みたいに申請画面を開いた。二人分。
「出すよね」
「見てから」
必要装備の欄。規定ブーツと凝固剤が、いちばん上にある。一万五千六百円の使い道は、これで決まったようなものだった。
相手は、初心者区画のボスだった。資料は、今度は潜る前に読む。
参加欄を埋めた。
配信の画面に、俺の名前はない。
次の申請書には、高梨の隣に俺の名前があった。
その下の対象欄には、オーガと書かれていた。




