第7話 呼吸税を払わない最強生物
負けた配信ほど、よく伸びるらしい。
夕飯のあと部屋に戻ると、通知欄が見覚えのない切り抜きで埋まっていた。その上に、高梨からのメッセージが続いている。
「編集、終わった。測定のまとめだけつける」
「個人情報と、区画が分かる表示は落としてある。数字は『対象側は変化あり』『人間側は基準内』まで。スキル名は《空気》のまま出す」
「管理室の確認も取れた。念のため、もう一回だけ聞くね。出していい?」
昼間、待機区画で一度聞かれている。それでも、もう一度聞く人だ。
スキル名を伏せないことも、そのとき二人で決めた。一度は掲示板に勝手に書かれた名前だ。噂のまま回るより測った記録と一緒に出るほうがましだ。
「いい」
「公開しました」
題名は『スライムへの反応試験結果』。中身と同じくらい素っ気ない。その下に、他人の切り抜きが並んでいる。
『【衝撃】ゴブリンの群れを倒した即死能力者、最弱のスライムに敗北』
落差のところだけを、太い字で抜いてある。
嘘は書いていない。ゴブリンの群れは倒した。スライムには負けた。溶けた靴は玄関にあるし、最後は高梨に腕を引かれて退がった。
「リンク二つ送る。上は笑ってる方。下はちゃんと見てる方」
「両方見て。片方だけだと、たぶん腹が立つよ」
◇
【悲報】ゴブリンの群れを倒した男、スライム一体に敗北★2
1:名無しの探索者
例のチャンネルの新作
即死能力者が初心者区画のスライム一体に負けて撤退した
本人の検証動画と切り抜きは別物。両方見てから書け
学校の特定と個人の詮索は前スレと同じで禁止
2:名無しの探索者
難易度表を作り直すところから始めような
ゴブリンの群れ → 全滅
スライム一体 → 無傷で完勝
3:名無しの探索者
>>2
初心者向け一覧のいちばん上が実質の裏ボスだったわけだ
ゴブリンより強いスライム、字面だけでずるい
4:名無しの探索者
真面目な話、相手の種類で効き方が変わるだけだろ
ゴブリンには効いてスライムには効かない
肺で息をするやつ限定の特攻スキルってことだ
5:名無しの探索者
>>4
肺呼吸特攻。字にすると弱そうなのに、人間相手だと最強なんだよな
その理屈だとゴーレムもアンデッドも無効だぞ
6:名無しの探索者
>>5
アンデッドの時代
なんで死んだあとのほうが有利になるんだ
7:名無しの探索者
単に能力が出なかっただけだろ
前のゴブリン戦のほうが仕込みだった可能性も普通にある
8:名無しの探索者
棒立ちで油断してたのが悪い
9:名無しの探索者
>>8
0分41秒から見ろ
試験を終えて戻ろうとしたところで足を取られてる
立っていた床が、その時点でもう相手の身体だ。輪郭も出てない
10:名無しの探索者
配信者の判断は良かったと思う
異変の直後で切って、凝固剤で離脱させたと概要にある
いちばん伸びる場面を自分で消してるんだよな
11:名無しの探索者
あいつの前で息をするのが悪いんじゃないか
ゴブリンは吸った。だから持っていかれた
12:名無しの探索者
>>11
呼吸するたびに代金を取られてるみたいに言うな
吸った分だけ課税されるやつ
13:名無しの探索者
スライムはそれを払ってない
というか、払う口が無い
呼吸税の非課税生物
14:名無しの探索者
>>13
税を払わないやつがいちばん強いの、現実と同じで笑えない
もう切り抜きが出てた。『呼吸税を払わない最強生物』
最強生物、初心者向け危険度Eです
15:名無しの探索者
で、非課税の理由は誰か分かってるのか
ノリで納得しかけてるが、説明は何もついてない
16:名無しの探索者
>>15
検証板でコマ送りしてる。こっちより進んでる
◇
スライムに負けた、というのは事実だ。そこは何を書かれても仕方がない。
気に入らないのは七番だった。
能力が出なかった。前のゴブリン戦は仕込み。
出た。二回とも出た。機械が鳴って、送り先の数字まで動いている。
書き込んで言い返す気はない。顔も名前も出していない人間が急に詳しくなったら、それ自体が手がかりになる。
それは理由の半分だ。残りの半分は、言い返して負けるのが嫌だからだ。教室でも、そうだった。
ただ、放っておくのも困る。効かなかった場所を間違えられると、次に何を試すかまで間違う。
二つ目のリンクを開いた。
◇
【映像検証】《空気》使用者のスライム試験――不発か、無効か
1:名無しの検証者
題材は本日公開された「スライムへの反応試験結果」
扱うのは本人の編集版と、公開された測定概要だけ。スキル名は本人側が概要に載せてる
切り抜きと、区画や個人の特定につながる話は禁止
2:名無しの検証者
まず事実を分ける
第一試験、対象側の酸素が下がり、送り先の数字が逆向きに上がってる
第二試験、対象側の二酸化炭素が上がってる
人間側の測定器はどちらも基準内
3:名無しの検証者
>>2
そのうえで、二回ともスライムの位置と形と波打つ速さに変化がない
なら「発動しなかった」ではないな
気体組成を変える操作は成功し、対象の活動には影響しなかった
この二つは同時に成立する
4:名無しの検証者
で、なぜ効かないかの話だ
ギルドの公開資料に一般スライムの生理項目がある
肺も気道も、血管に当たる循環器も確認されていない
外気から酸素を取り込み、それを各所へ運び、二酸化炭素を出す。その経路そのものが無い
5:名無しの検証者
>>4
動いてるのは中心の魔力核と、その周りの魔力性の組織のほうだ。討伐条件が核の破壊なのも、たどればそれが理由だな
外気の組成が、活動の入力になっていない。効かないんじゃない。繋がってない
6:名無しの検証者
あの男は攻撃を外したわけじゃないんだな
相手が使っていないものを、正確に奪った
7:名無しの検証者
二人とも一応評価しておく
効かなかった条件まで出してるし、接触時は数字より先に離脱させてる
使用者も出力を上げ続けず、二回で止めて気体を戻してる
強いから信用できる、じゃない。検証として信用できる側だ
8:名無しの検証者
残るのはこれだろ
呼吸に依存しない相手に、この能力は本当に何もできないのか
9:名無しの検証者
>>8
そこから先は映像だけでは出せないな
当日の感触を持ってるのは本人たちだけだ
◇
掲示板を、そのまま信じる気はなかった。
自分の端末から、ギルドの公開データベースに入った。貼られていた資料名で検索する。
先に、見慣れたほうを開く。初心者向けの魔物一覧。スライムの項目は短い。
高梨と一緒に読んだときと、一字も変わっていない。呼吸の話は、やっぱり無い。
書き忘れではない。あの一覧に載っているのは、生きて帰るために要ることと、倒すために要ることだけだ。息をするかどうかは、どちらにも入っていない。
もう一つを開く。
呼吸器、確認されず。循環器、確認されず。外気とのガス交換による活動維持は確認されない。活動の停止には魔力核の破壊が必要。
図が一枚ついていた。均一な半透明の組織。その中心に、小さな丸が浮いている。
「初心者向け」は、生き物として単純だという意味じゃなかった。決められた対処を守れば危険が低い、というだけの話だ。
息をしないやつがいることは知っていた。知っていて、いちばん弱い欄には当てはめなかった。
◇
高梨から通話が来た。
「見た?」
「見た」
次は勝てそう、とは聞かれなかった。聞かれていたら、返す言葉がなかった。
「何が違ったか、分かった?」
「……俺が止めたものを、あれは最初から使ってなかった」
声に出すと、それだけのことだった。
「じゃあ」
高梨は少し考えて、それから言った。
「止める以外を探す?」
「……うん」
何を探すのかは、まだ浮かんでいなかった。浮かんでいないのに、うん、と言えた。
◇
通話を切ってから、資料の図と、昼間の映像を並べて開いた。
丸い本体。床へ伸びた透明な膜。泡をかけられて、白く濁って固まったところ。
外から浴びせたもので、形は変わっていた。中身に触れなくても、外側には届く。
俺はずっと、空気に混ざっているものを選り分けることばかり考えていた。酸素を退ける。二酸化炭素を集める。中身の話しかしていない。
窓が少し開いていた。
机の上の紙が一枚、端だけ持ち上がって、また落ちる。エアコンの吹き出し口の下で、カーテンがゆっくり膨らんでいた。
選り分けてなどいない。ただの空気が、ただ動いているだけだ。
映像を、一度巻き戻した。
スライムは、息をしていない。
それでも、空気のない場所にいたわけじゃなかった。




