第3話 配信中に群れを全滅させました
《今、何をした?》
その答えを考える前に、腰の発信機が鳴った。
三人分が同時に鳴ったので、通路が一気にやかましくなる。高梨がスマホを取り落としかけて、慌てて握り直した。
『初心者ルートA、待機区画付近で複数の魔物反応。付近の班は退避を優先。教員が現場へ向かっています』
同じ内容が二回繰り返されて、切れた。
「複数って」
岸本が言い終わる前に、通路の先で誰かが叫んだ。
走る足音。ひとつじゃない。
高梨は実況をやめて、カメラを音のほうへ向けた。
◇
角を曲がった先が、少し広くなっていた。
床に青い線が引かれていて、壁に「待機区画」と書いてある。その下に小さく「SAFE」。
そこへ、同じクラスの別の班が転がり込んできた。三人。全員、見たことのある顔だ。
その後ろから、ゴブリンが来ていた。
一体ずつ出ると聞いていた通路を、横いっぱいに埋めている。数えなかった。数えている場合でもなかった。
先頭の一人が足を取られて転んだ。膝から滑って、手のひらを擦る。
残った二人が引き返そうとする。片方の手のひらに火が生まれかけて、すぐ消えた。撃てば、倒れた仲間に当たる位置だ。
二人は火を諦めて、転んだ仲間の前に立った。片方が腕を広げ、もう片方が肩を掴んで引き起こそうとする。下がりながら、ちゃんと庇っている。
「……っ、無理だって!」
判断としては正しい。正しいが、時間がない。
《何体いるんだよ》
《そこ安全区画じゃないの?》
《先生まだ?》
「――どけ!」
岸本が走った。俺の横をすり抜けて、倒れた生徒の腕を掴んで、青い線の内側へ引きずる。
「立てるか! 立てなくていい、そのまま下がれ!」
「岸本くん、光の後ろまで!」
高梨の光球が待機区画の奥へ飛んで、そこで止まった。もう一つ、小さいのが分かれて、先頭のゴブリンの目の前で跳ねる。ゴブリンが顔を背けて、半歩遅れた。
半歩。それでも、今は大きい。
俺は、一体ずつ追うのをやめた。
一体ずつ狙っていたら、間に合わない。教室のときは、火の玉ひとつ分でよかった。さっきは一体だった。今は、多い。
それに、人間が混ざっている。
「高梨」
「うん」
「全員、線のこっちへ。俺の前には出ないで」
高梨は理由を聞かなかった。
「全員、青い線の内側! 岸本くんも戻って! 誰も前に出ないで!」
声がよく通る。同じことを俺が言っても、たぶん誰も動かない。
それでも、言えた。教室では出ない声が、ここでは考える前に出た。
「おい、一人でやる気か!」
「岸本くん!」
岸本は舌打ちをして、それでも倒れた生徒を引きずったまま線の内側へ入った。それから火球を作り直して、俺の後ろで構える。
「抜けてきたやつは俺がやる。それでいいんだな」
「うん」
それでいい。
「全員入った!」
高梨の声が飛んだ。スマホのレンズが一瞬、床を向く。
その間に振り返った。岸本たち全員が、青い線の内側にいる。
確かめてから、前へ向き直った。
◇
俺は線の手前に立った。
群れが来る。床を蹴る音がいくつも重なって、通路が震えている。
一体ずつ狙う必要はない。
あいつらが息をしている場所ごと、外せばいい。
意識を、線の向こう側へ広げた。
教室のときは、手のひらの先だけだった。さっきは、六メートル先の一体だけだった。今は、通路の幅と、奥行きと、天井までを一度に掴もうとしている。
混ざっているものの中から、酸素だけを選ぶ。そこまでは同じだ。違うのは、選んだあと。
指先で横へ退けるのとは違う。戻ろうとしているものを、面で押さえ続ける感じだった。開いた通路だから、周りから同じものが染み込んでくる。押さえた端から、少しずつ戻ってくる。維持しているだけで、じわじわ重くなる。長くは保たない、という感覚だけはあった。
線のこちら側には触らない。床の青い線を、そのまま境目にした。
選んだものを、誰もいない天井側へ、まとめて寄せる。
何も起きなかった。
光らない。風も吹かない。爆発もしない。攻撃音もない。
ゴブリンは、そのまま線へ向かってくる。
――広いと、効かないのか。
首筋を汗が伝った。後ろには、俺以外の全員がいる。
《補助役、一人残ってる》
《逃げろって》
先頭の一体の足が、絡んだ。
次の一体が口を大きく開けて、息を吸った。吸って、吸い切れていない音がした。
三体目が武器を落とす。石の塊みたいなものが床で跳ねて、転がっていく。
後ろから走ってきた個体が、前の個体にぶつかって、二体まとめて崩れた。
同時じゃない。順番がある。
走り続けて息が上がっていたやつから、先に落ちていく。途中で足を止めたやつと、群れの後ろにいたやつは、まだ立っている。
同じ場所にいても、倒れる順番は同じじゃないらしい。
理由は知らない。
叫び声と、喉の鳴る音と、身体が床に当たる音が重なった。
攻撃の音だけがない。
《今、一体倒れた?》
《待って、次も倒れた》
《攻撃が見えないんだけど》
《補助役、立ってるだけじゃん》
《これ生配信だよな?》
最後の一体は、止まらなかった。
速度は落ちている。それでも脚を前に出して、線へ近づいてくる。三メートル。
「どけ! 撃つぞ!」
岸本の火が大きくなる。高梨の光球が、その一体の目の前へ滑り込む。
俺は操作を切らないまま、青い線に沿って半歩だけ横へずれた。
押さえているものを、そのまま押さえ続ける。染み込んでくる分を、押し返す。腕が疲れるのに似ているが、腕はどこも使っていない。
二メートル。
背後で、岸本が踏み込む音がした。次には火球が飛んでくる。
その前に、そいつの膝が折れた。
線のこちら側へは、来なかった。
全部が動かなくなったのを確かめてから、押さえていたものを離す。
戻ってくる。当たり前みたいに、すぐ戻ってくる。
群れにも効く。
ただ、一体倒すのとは比べものにならないくらい面倒だ。
◇
しばらく、誰も声を出さなかった。
転んだ生徒が、膝を押さえながら立ち上がる。擦り傷から少し血が出ているが、それだけだ。
「……助かった」
俺を見て、それから倒れた群れを見て、もう一度俺を見た。
「ありがとう」
「うん」
「大丈夫か」でも、「よかった」でも、何でもよかった。どれを言うか迷って、俺は少し遅れて口を開いた。
「間に合ってよかった」
教室で俺に話しかけてくる人間は、岸本くらいしかいない。名前を覚えられているかも怪しかった。その相手が、今、まっすぐこっちを見ている。
嬉しかった。
鑑定の日、笑った側にいたかもしれない相手だ。それが、ありがとうと言った。
どう返せばいいのか分からなくて、落ち着かなかった。
岸本が線の向こうを覗き込んだ。
「これ、全部お前がやったのか」
「うん」
「今度は、たぶんじゃねえんだな」
「うん」
岸本は少し黙って、それから自分の右手を見た。
「……俺の火、また一発も撃ってねえんだけど」
「引っ張ったのは岸本だろ」
「それはそう」
納得が早い。そういうところは助かる。
別班の一人が、俺へ呼びかけようと口を開いた。
その口から名前が出る前に、高梨がスマホの側面を押した。
「緊急事態なので、今日の配信はここで切ります。全員無事です。以上!」
画面が黒くなる。
通路の奥から、大人の足音と、教員の声が近づいてきていた。
◇
管理員に事情を聞かれ、待機区画から出るまでしばらくかかった。
あの群れがどこから来たのかは、誰も教えてくれなかった。管理員は俺たちに聞くより先に、ずっと無線でしゃべっていた。
「一体ずつじゃなかったよな、あれ」
岸本が階段の途中で言った。それには俺も同意する。
地上へ戻る階段の途中で、高梨が立ち止まった。
「アーカイブ、限定公開にした」
早い。
「でも、遅かった」
高梨がスマホをこちらへ向けた。画面の上で、通知が一つ消える前に次が積み上がっていく。
「もう切り抜かれてる」
一本消してもらう申請を出しているあいだに、別の誰かが上げ直している、と高梨は言った。
配信を見ていたのは、たぶん二桁だった。切り抜きの再生数は、その桁をとっくに追い越している。画面を引いて更新するたびに、数字が増えていた。
増えるたびに、見られている、と思った。教室の何人かじゃない。数えられない人数に、だ。
笑われているのかどうかは、画面からは分からなかった。
「顔は映ってない」
高梨が、確認するように言う。
「名前も入ってない。制服も、後ろ姿だけ」
「うん」
「……よかった、って言っていいのかな、これ」
映っているのは、青い線の手前に立っている俺の背中だ。
武器を振っていない。手も上げていない。声も出していない。
その向こうで、ゴブリンだけが順番に崩れていく。
切り抜きの題名が、画面にいくつも並んでいた。
『見ただけで、ゴブリンの群れを全滅させた男』
高梨の配信は、もう終わっている。
それでも、俺が立っているだけの映像は、画面の向こうで何度も再生されていた。
俺が何をしたのかは、どこにも映っていない。
だからこそ、再生は止まらなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。続きが気になりましたら、ブックマークと、下の☆☆☆☆☆からの評価で応援いただけると励みになります。




