第14話 百匹いても、息はする
初仕事の報酬が、振り込まれた。
同じ額が、二人ぶん。討伐素材の代金のほかに、俺の消火と排煙、高梨の区域管制と記録の保全にも、別々に値段がついていた。倒したところまでじゃなく、戻したところまで。書いてあったとおりだ。
その数日後、俺たちは百匹ぶんの羽音の下にいた。
数えたわけじゃない。天井近くの黒い影が、増えたり減ったりしながら、一つの塊に見えた。羽音が、部屋を一枚にしている。硬くて、細かくて、途切れない。手のひらほどの身体でも、それだけ集まれば、音は一つになるらしい。
高梨は、胸のカメラを広角にして、もう回していた。今日の駆除は、頭から終わりまで、切れ目なく残る。
依頼票に書いてあったのは、それくらいだった。『小型飛行種』『百匹前後』『複数班受注可』。呼吸の欄には、外気を使う、とある。肺があるとは、書いていない。詳しいことも、書いていない。
「呼吸する種類だよね」
「資料では」
それで足りた。器官の名前はどうでもいい。飛ぶのに、外の空気が要る。今のところ、知りたいのはそこだけだ。
俺たちのほかに、別の班が入っていた。盾と、長柄の武器と、回収網の引き綱。役ごとに、人がついている。中央の床の手前で、群れを抑えていた。
「前、下がる!」
盾の一人が言った。群れの端が、束になって落ちてくる。
盾に、針が続けて当たった。硬い音が、三つ、四つ。長柄の武器が横に薙いで、前へ出た数匹を落とす。落ちた数匹のぶんだけ、上から次が下りてきた。
一匹なら、どうということはない。あの装備なら、数匹ずつでも危なくない。倒せないんじゃない。数が、多いだけだ。前の一匹を落とした隙間へ、次が入る。それを繰り返しても、群れは減ったように見えない。
この班は、倒し切ろうとはしていなかった。前へ出たぶんだけ落として、それ以上は散らさない。中央の上、天井近くの巣の周りに、まとまったまま留めておく。準備が終わるまで、そういう仕事だった。
準備というのは、俺のことだ。
俺は、一匹ずつを見ていなかった。針の一本や、羽の一枚を追っても、間に合わない。見ていたのは、群れが占めている上の空間と、その真下だった。
中央の床は、裸の石だ。そこに、回収網が広げてある。網の端から、引き綱が二本、壁際まで伸びていた。区域の外から引ける。
落とすなら、あの網の上だ。
◇
高梨が、光を床へ置いた。
照明の分を消して、少ない数にまとめる。回収網の縁へ、光を三つ置く。落ちた身体が跳ねても越えない広さで、網を囲う。低くて、静かな光だ。攻撃でも、壁でもない。全員へ境界を示すための印だった。
そのとき、群れの端が、下がりかけた盾役を追って横へ膨らんだ。巣と網の真上から、端がずれた。
「まだ」
高梨が、俺に言った。それから、光を置き直す。ずれたぶんだけ、境界を動かす。退避の方向も、指で示し直した。
「光の内側、落下区域です。全員、外へ出てください」
配信の声じゃなかった。短くて、通る声だ。
現場の責任者が、同じ指示を正式に繰り返す。年上の探索者で、今日の全体を仕切っている。別の班が、退避線まで下がった。盾を下げず、群れに背を向けず、横向きのまま。長柄の一人が、引き綱を区域の外へ運ぶ。
人間が壁際まで離れると、群れは追ってこなかった。深追いをやめて、巣のある中央の上へ戻っていく。守るものが、そこにあるからだ。
「最後の一人、出ました。引き綱は区域の外、退避線も空いています」
高梨が、一人ずつ目で追って、言った。それから、群れを見上げる。
「まだ。上でまとまり直すまで、待って」
また、俺にだった。散っていた黒が、網の真上へ、もう一度集まる。一つの塊に戻る。
高梨が、光を網の縁へ戻した。
「……いい。上、揃った」
発動の前に、送り先を決める。
部屋の奥に、広い空き側が見えていた。裸の石だけで、人も、火の気も、燃えるものもない。これまでに、あの距離なら届くと確かめてある。そこへ、薄く散らす。一点には固めない。
「送り先、奥の空き側。何もない」
責任者が、部屋を一度だけ見回した。
「中央域、全員退出。送り先も空だ。散れば止める。人が入っても止める。……区域制御、始めていい」
「区域は、私が見ます。落ちても、網が閉じるまで、誰も入れません」
高梨が言った。許可は、出た。
◇
光の内側から、天井近くの群れまで。そこを、一つの縦長の場所として掴んだ。
百匹の身体は、見ない。呼吸孔も、探さない。触れるのは、あいつらのまわりに、もとからある外の空気だけだ。その中から、酸素を選る。選ったぶんを、奥の空き側へ、薄く動かす。
何も光らない。音も出ない。羽の起こす風は、そのまま残っている。
最初の短いあいだ、何も起きなかった。
高梨が引いた線の外へ、全員が出ている。そうやって、人のいない場所ができた。俺は、その内側だけを変える。光が、安全を作ったんじゃない。全員が同じ線を守ったから、変えていい場所が、そこにできた。
一度動かして、終わりじゃなかった。羽が空気をかき混ぜて、まわりから通常の空気が入ってくる。入ってくるぶんを、外へ送り続ける。範囲が広いぶん、押さえるのは重い。狭い火元を持っていた前より、ずっと重かった。
余裕はない。会話は、していられなかった。境界だけを、見ている。
変化は、羽音から来た。
一枚だった音に、途切れが混じる。高さの違う音が、そこへ重なった。前へ出て、いちばん激しく飛んでいた個体から、高度が落ちる。
数匹が、光の内側へ落ちた。続いて、数十匹の影が、揃って傾く。
最後は、黒い雨だった。天井を埋めていた塊が、光で囲った網の内側へ、まとめて降る。
見上げれば、一度で落ちたようにしか見えなかった。天井の黒が、みるみる薄くなっていく。
壁際で、盾を構えた誰かが、そのまま動かなくなった。振るう相手が、もう空にいない。誰も、声を出さなかった。
咳き込む者も、膝をつく者もいない。退避線は、二本とも保たれている。
光の外は、何も変わらない。落ちたのは、内側だけだった。
◇
網の上に、黒が積もった。
終わりじゃない。
積もった中で、翅が震えていた。一匹が、脚で網を掻いている。針の先が、まだ動く。落ちただけだ。死んではいない。通常の空気に戻せば、また飛ぶ。
別の班の一人が、網のほうへ足を踏み出しかけた。反射だ。
「まだ入らないで」
高梨の声が、先に出た。
「落ちただけです。網が閉じるまで、外で」
足が、止まる。
俺は、酸素を退けた領域を、床まで維持していた。上だけじゃない。落ちた身体のいる高さも、同じにしておく。緩めない。
高梨は、境界と、網の中の動きを、交互に見ている。別の班が、区域の外から引き綱を引いた。網の四方が、中央へ引き寄せられる。畳まれて、群れをまとめて包んで、口が閉じていく。
閉じた。
「網、閉鎖。中の個体、外へ出ていません」
高梨が言った。責任者が、網を確かめる。
「拘束、確認。……解除していい」
俺は、境界をゆっくり緩めた。奥へ寄せた酸素を、一点へ吹き戻したりはしない。まとめて降ろせば、それは風だ。まわりの空気が勝手に混ざるのに任せる。
網の中で、一匹の脚が、また動いた。閉じた網の内側で、翅が一度、開いて閉じる。
保たせておいてよかった、とは口に出さない。網の中の動きが、勝手に言っていた。
別の班が、無人になった巣へ向かった。長柄の器具で、天井近くの巣を下ろす。群れの落ちた区域とは、別の作業だ。中を検めて、女王も、残った成虫もいないことを確かめる。
「巣内、残存個体なし。女王反応も網の中だ」
管理側が、確認した。
責任者が、網の中の成虫群と、下ろした巣と、区域の安全と、退避線を、順に見た。
「成虫群、拘束。巣、回収。区域、異常なし。退避線、二本とも確保。……依頼完了だ」
周りから声が出たのは、そのあとだった。
盾役の一人が、腕の痺れを確かめるように振ってから、笑った。もう一人は、天井を見上げたまま、何も言わなかった。
「こっちは、時間をかけて数匹ずつ落としてたんだぞ」
責任者が、網を見たまま言った。責めてはいなかった。
長柄の一人が、網を覗き込んでいた。それから、俺のほうを見る。大げさな声じゃなかった。
「百匹、全部を狙ったのか」
「飛んでた場所は、一つだったので」
男は、少し黙って、網に目を戻した。
「……群れ相手には、反則だな」
俺は、高梨のほうを顎で示した。
「線を引いたのは、俺じゃないので」
男が、そっちを見た。高梨は膝に手を置いて、息を整えていた。
「……ああ。助かった」
高梨が顔を上げて、それから、小さく頭を下げた。
◇
配信は、まだ切れていなかった。
高梨が、小さく息を吐いた。張り詰めていたものが抜けた声で、俺に言う。
「……羽音、消えたね」
「うん」
部屋を一枚にしていた音が、網の中で、ほとんど聞こえないくらいになっている。急に、天井が高く感じた。
高梨のカメラは、戦いの前から、ずっと回っている。広角のまま、群れと、光の境界と、区域の外の人間を、順に映していた。編集前の原本も、自動で残る。
《全部落ちた》
《範囲即死?》
《待って、光の外の人は平気なのか》
高梨は、最後の一つの上で指を止めた。
「群体駆除、回収まで完了です。今日はここまで」
配信が切れた。
高梨が、保存された原本を開く。
「ここ、切らない」
「うん」
「落ちるところだけ短くしたら、外の人が平気だったことも、網を閉じたことも、消える。全部つなげて出す。伏せるのは、いつものところだけ」
画面には、光の内側にだけ、黒い影が重なっていた。すぐ外に、盾を下ろした探索者が立っている。何も起きていない。咳もしていない。
境界の、内と外。
俺の能力は、映っていない。光らないし、音もしない。
映っているのは、どこからどこまでが変わって、どこからが変わらなかったか。その線だけだった。




