幕間5:壊滅的に不器用説
ナターシャが目覚めた時、隣にエフィの姿はなかった。室内をぐるりと見回す。それから、掃き出し窓の向こうに彼女の姿を見つけた。
プラチナブロンドの髪が朝の光を受けてキラキラと輝いている。彼女の隣にいるのはルーカスだ。ふたりでテラスに出て話をしているらしい。
残念ながら室内にいるナターシャには彼女たちの会話内容までは聞こえない。ただ、ルーカスと話すエフィがいつものように笑っているのはわかる。
(良かった)
色々な意味で、そう思った。
ふたりの邪魔をしてはいけないと、ナターシャはそっとベッドを抜け出した。物音を立てないように身支度を済ませ、部屋の外に出る。
廊下には屋敷の使用人が朝から立ち働いている他、廊下の隅に置かれたソファに座って新聞を読んでいるアリステアの姿があった。
彼の隣には、小さな自動人形がちょこんと腰を下ろしている。
彼もエフィたちの様子を見て、客室に居辛かったのだろう。ナターシャが挨拶をすると、彼は新聞から顔を上げ、挨拶を返してくれた。
その態度は、ごくごくいつも通りに見える。
(つまらないわね)
そんな悪戯心が湧き上がる。
「アリステアはエフィたちに声をかけなくていいの?」
「……声をかける理由がない」
「本当に?」
アリステアは本を閉じて、こちらを見上げてきた。
「どういう意味?」
「貴方も、エフィのことを気にしているでしょう」
ナターシャが言うと、アリステアは無言になった。眉間にほんの僅かに皺が寄っている。彼の指が新聞を離れ、僅かに自動人形のスカートに触れた。
「別に、ショックを受けている仲間に寄り添うのは悪いことではないじゃない」
「……それはそう、だけど」
アリステアの言葉の歯切れが悪い。青い瞳は考え込むように明後日の方向を見ている。
(少し、意地悪だったかもしれないわね)
ナターシャは知らず知らずのうちに微笑んでいた。
普段は感情を表に出すことが少ない彼だが、エフィと接している時はほんの少しだけ、様子が違うように見える。
それにどんな名前が付くのか、きっと彼自身はわかっていないし、ナターシャにもわからない。
でも、悪い変化ではない気がした。
それきり会話が途切れて、沈黙が落ちる。手持ち無沙汰のナターシャは彼に断ってから、屋敷の中を見て回ることにした。
掃除が行き届いているだけでなく、花が飾られていたりと心遣いを感じる廊下。ナターシャにも頭を下げ、丁寧な態度を取る使用人。
不思議と、この屋敷の中はエルシオンには乏しい『何か』があるような気がした。
そんな感傷に浸っていた時だった
「おい」
不機嫌極まりなさそうな声で、呼び止められる。振り向くと、この屋敷の主——オズワルドが、腕を組んみながら立っていた。
「何か用?」
ナターシャは彼を睨んだ。初対面の時から乱暴さや偉ぶった態度が目について、この男のことはどうにも好きになれない。
思わず身構えるナターシャに対し、オズワルドは変わらぬ仏頂面で、
「苦手なものはあるか?」
と聞いてきた。即「貴方」と返事をしなかった自分を褒めたい気持ちでいっぱいになる。
「何の話?」
「朝食だ。お前ら全員の苦手な食べ物がわからなければ、料理人に料理を頼めんだろうが」
当たり前のようにそう言い放つオズワルドに面食らう。一応こちらは押しかけた身なので、食事を出してもらえるだけ有難いと思うべき立場なのだが。
「別に、みんな特別食べられないものはないわ」
「そうか。ならいい」
そう言って踵を返しかけ、オズワルドはふと足を止める。紫の瞳で、上から下までじっとナターシャを観察した。
「あの、何?」
口にしてから、さっきから自分は質問ばかりだと感じた。それもこれも、目の前のよくわからない男が悪いのだが。
「こっちへ来い」
ぶっきらぼうに言い放ち、そのまま返事も待たずに廊下の先へと歩いて行ってしまう。
反論する隙もない上に、ここは家主に従っておくべきだろうと、恐る恐る彼の後を追うことにした。
背が高い彼は自然と大股になる。ナターシャはほとんど小走りのような速さで足を進める羽目になった。素直に着いてきたことを、少しだけ後悔する。
「オズワルド様!」
道中ですれ違った使用人たちは、みんなオズワルドを見るとさっと頭を下げた。
「構わん。仕事を続けろ」
彼が促すと、顔を上げる。使用人たちの表情には違いなくオズワルドへの敬意が宿っていて、ナターシャは目を瞬かせた。
(使用人に慕われているのね)
部下たちの忠誠も厚いようだし、案外、上に立つ者としての素養があるのかもしれない。
「おい、じろじろ見るな」
観察していたら、睨まれてしまった。
「ひとつ、気になっていることがある。星府の連中のことだ」
前を行くオズワルドが、おもむろに口を開く。
「魔女を無傷で捕縛しろと命令が出ていたはずだが、昨夜の奴らは躊躇うことなくエフィを攻撃した。そうだな?」
「ええ」
「星府の上層部——近衛騎士どもは、エフィが自動人形で『傷が自動で修復できる』と理解している可能性が高い」
オズワルドから言われた言葉に、ナターシャははっとした。
「まさか、傷が勝手に治る自動人形の存在を隠すために『無傷で』と言い続けてきたということ?」
「ああ。その可能性はゼロじゃないだろう。エフィの影響力は増している。奴らもなりふり構わなくなっているのだろうな」
オズワルドは肩を竦めて、一度ナターシャを振り向いた。真剣な表情だった。
「お前たちの中では、お前が最も状況を冷静に見られる女だろう。エフィのことを気にかけてやれ」
「貴方に言われなくても、そのつもりよ」
言い返したら、オズワルドはにやっと笑った。
廊下を進んだ先で、オズワルドがとある扉を開ける。その先には広い部屋いっぱいに本棚が並び、ぎっしりと本が詰め込まれていた。
懐かしい紙の香りに包まれる。星詠み士として働いていた頃の、書庫を思い出した。確かに自分はあの書庫が原因で死にかけたし、今でこそエフィに協力し、予言を否定する立場になった。
しかし、間違いなく星詠み士として、このエルシオンの安寧のために働いていた過去は、ナターシャにとって誇りだった。
「ここなら暇を潰せるだろう」
一瞬、彼の言葉の意味が飲み込めずにぽかんとしてしまう。硬直したナターシャに、オズワルドの不機嫌そうな表情が強まる。
「不満なのか」
「不満というか……その、意外で。貴方みたいな人にも、ちゃんと客人をもてなそうという気があったのね」
「は? 俺は貴族だぞ。客をもてなすなど当然だろうが」
オズワルドがこちらを睨む。
その物言いは相変わらず粗雑だが、彼なりの優しさが混じっている気がした。
(この人って……もしかして、壊滅的に不器用なだけなのかしら)
そんな推測が浮かんでくる。
それに伴って、ほんの少しだけ、彼への見方が和らいだ気がした。
「ありがたく、使わせてもらうわ」
そう言ってナターシャが微笑むと、彼はふん、と顔を背けた。




