5-18:そうしたいから
機関室に訪れた重苦しい沈黙。
それは、一瞬で破られた。
「エフィ」
名前を呼ぶ、温かい声が降ってくる。すぐ側にいるルーカスが、エフィの頭を優しく撫でた。戦闘で乱れた髪を手櫛で梳かし、整えようとしてくれたのだろうか。いつものざっくばらんな態度とは違う繊細な手つきに、戸惑う。
エフィは黙って、ルーカスの行為を受け入れた。乾いた笑みは、いつの間にか引っ込んでいた。
「そんなこと、言わなくていい」
「でも……」
エフィは自分の配線を見て、それからルーカスを見た。琥珀色の瞳と視線が交わる。何の揺らぎもない彼の態度に、エフィの心に小さな波紋が生まれる。
「じゃあ、これは?」
エフィは自分の中にあるものに軽く触れる。金属の歯車――生き物ではありえないその冷たさに、エフィは体を震わせた。
「……蒸気機関、だな。詳しく見てみないとわからないが……エフィの体は恐らく、機械的な力で動いてる」
言葉を選ぶが、濁さない。それがどうしてか痛くて、エフィは膝の上でぎゅっと手を握った。
「……うん」
エフィはこくりと頷いた。少し離れたところからこちらを見ていたナターシャが、何も言わずにそっと目を伏せる。
「前から、不思議なことはあったの。いくら動いても全く疲れを感じなかった。それに……」
エフィは自分の左胸に手を当てる。そこには、何の動きもない。
「どれだけ緊張しても、苦しくても、鼓動を感じたことは一度もなかった。多分、エルシオンで目覚めてから……だと思う」
「そうか」
ルーカスが真剣な表情で頷く。揺るぎないその姿勢に、エフィは胸の辺りがざわついた。機械の体に心臓なんて、存在しないのに――
「なんで?」
心の声が、そのまま零れた。ルーカスが僅かに首を傾げる。
「なんでルーカスは、驚かないの? 怖がらないの? こんなの、変だって思うでしょ……」
言葉が尻すぼみになる。エフィは機関室の片隅で所在なさげにしているオズワルドに意識を向けた。こんな訳のわからないものを見せられた時、彼のような反応になるのが普通だと思う。
俯いたら、見たくないものが見えてしまう。エフィはどこに視線を向けていいかわからず、ただルーカスだけを見ていた。自分がどんな顔をしているか、全くわからなかった。
そんなエフィの思いを、ルーカスが笑って吹き飛ばす。
「そんなことを気にしてたのか?」
いつもと同じ笑顔。
胸の奥が軋む音がした。
「そりゃ驚いたさ。だけど、それでエフィがエフィじゃなくなる訳じゃないだろ」
ルーカスの指が頭をくすぐる。髪に触れる手は、どこまでも優しい。
「なんで触るの? 別に、私は……大丈夫だから」
「それ、大丈夫なヤツは絶対言わないぞ。別に大した理由なんかない。強いて言うなら、そうだな……」
ルーカスの手が止まる。考え込むように視線が一瞬、宙を彷徨った。
「俺が、そうしたいと思ったからだな」
「なら、私も」
ナターシャがしゃがみこみ、冷たくなったエフィの指先をそっと握る。彼女の方を見たら、穏やかに微笑まれた。
アリステアは何も言わない。しかし一歩離れたところからこちらを見る表情は、見たことがないくらい穏やかだった。
「私……」
心の奥底、何かが、音を立てて崩れていく。
ずっと、自分を異物だと思っていた。予言を知らず、魔法を使い、いつかここから去る者だと。そういう本心を誤魔化すように、ただのエフィだと言い続けてきた。
そして普通の人間ですらないと判明した今が、『その時』なのだと、どこかで怯えていた。
だけど――
(みんながいてくれる)
それがわかったから、もう止まれない。唇を震わせて、目の前の人を見た。
「ここに、いたい」
素直な言葉が、落ちた。
ルーカスがまた笑う。
「いくらでもいてくれ」
ルーカスがエフィに手を伸ばした。力強く引き寄せられる。エフィは抵抗せず、彼の腕に収まった。今だけは、見たくないものから目を逸らしてもいい。そう言われている気がして、ただその胸に身を預けた。
瞳から溢れて止まらないものが、ひとつの答えだと思った。
「……えっと、ごめん」
落ち着いたところで、エフィは自分から動いてルーカスと距離を取る。兄にするように接してしまったことに、今さら気恥ずかしさを覚えた。顔を軽く背けて、赤くなった頬を誤魔化そうとする。
「ちょっと甘えすぎちゃった」
「別に構わないさ。淑女を守るのは紳士の役目だからな」
気にした様子もなく笑うルーカスに、また肩の力が抜けた。
「おい」
黙って成り行きを見守っていたオズワルドが、ここで初めて声をあげた。
「エフィのそれは何だ。動くのに支障はないんだろうな?」
オズワルドが指で示したのは、エフィの腹部だ。身も蓋もない物言いに、ナターシャがオズワルドをきつく睨む。
「貴方ね、少しは気を遣えないの?」
「そんなものが何の役に立つ? 予言は回避された。星府の連中がエフィの捕縛に来ることは明白だ。エフィが動けるなら、さっさと去るべきだろうが」
反論できなかったのか、ナターシャが唇を噛む。視線はオズワルドから外さない。
「ナターシャさん、私は大丈夫です」
エフィは手を上げて、ふたりの言い争いを制した。
「オズワルドの言うことは正しいよ。むしろ、かなり時間を使わせてしまってごめんなさい。もう痛みもないし、動けるよ」
証拠を示すようにエフィはさっと立ち上がり、機関室内を軽く歩いてみせた。傷口は、いつの間にか跡形もなく塞がっていた。まるで治癒魔法をかけたかのように。
「なら、逃げるぞ」
オズワルドは言うが早いか、機関室から外に出た。エフィはあちこち負傷しているアリステアに軽く治癒魔法をかけてから、その後に続く。
外は郊外なのか、草原が続いていた。ぽつぽつとまばらに民家らしき明かりがある他、遠くの方にエルシオン市街地がぼんやりと光って見えている。
「俺の車が近くで待機している。遅れずについて来い」
オズワルドが早足で歩き出す。
「……助けてくれるの?」
「勘違いするな。お前が捕まったら、今後予言が破れなくなるだろうが」
オズワルドは強い口調で言い返してきた。
(それを、助けるって言うんじゃないの?)
エフィは思わず笑いそうになり、慌てて真面目な表情を作った。
ふと、後ろを振り向く。完全に動きを止めた先頭車両を見た。レールに沿って遥か後方には、切り離された後続車両の明かりが僅かに見えている。
大勢の運命を、勝手に変えた――その事実がのしかかってくる。飛行船の時と同じ。このことが、この先のエフィたちに影響を与えてくるかもしれない。
(それでも)
エフィは列車から視線を外し、前を向いた。先を行くみんなを小走りで追いかける。
逃げたくはなかった。
この場所で、生きていくために。
5章 完




