5-17:『蒸気機関』
脇腹から生える、銀の刃。
その光に他人事のように目を奪われて――遅れて、灼熱にも似た痛みが走る。声すら満足に上げられず、呻く音が唇から漏れる。魔力の供給が途切れ、ブレスレットが光を失う。
エフィの正面にいるルーカスと、目が合った。彼は何も言わず、目を見開いてエフィを、刺された部分を凝視している。
「エフィ……?」
ナターシャが、震える声で名前を呼んだ。彼女の顔色はひどく白い。
「おい、なんだよこれは……」
あんなに尊大だったオズワルドの声は、いつになく小さかった。
「貴方たちが崇めていたものの、正体」
エフィのすぐ背後で、鎧の人物が答えた。
至近距離で聞くその声に、やはりエフィは引っ掛かるものがあった。痛みで思考がまとまらない。けれど、どこかで聞いたことが――
「なぜ、血が流れない!?」
オズワルドが叫ぶ。
「――あ」
銀の、美しい刃。
その違和感をエフィはようやく自覚する。霞む視界の代わりに、手を動かして自分を貫く刃に触れた。金属の冷たい感触だけが指に届く。
それは一切、濡れていない。
背後で、鎧の中身が笑った気がした。
ゆっくりと、エフィの内部から剣が引き抜かれる。ナターシャが息を呑んだ。やはり何かが流れ出る気配はない。
支えを失ったエフィの体がバランスを崩し、床に倒れ込みそうになる。視界に入ったのは、信じられないものを見る目を向けるルーカスたち。
(……だめ)
咄嗟に、そう思った。
背後にいるこの鎧の人物を止めなければ、次に狙われるのはルーカスやナターシャかもしれない。
それに――
(僕が死ぬのは、ここじゃない)
心の中で、アリステアの言葉を反芻する。
彼は歩みを決して止めない。それをエフィは知っている。だからエフィもまた、止まるわけにはいかない。
一緒に行こうと言った、一方的な約束を果たすその日まで――
(動、いて……!)
歯を食い縛りながら、エフィは全身に力を込めた。視界が揺れる。ずきんと拍動する痛みに喘ぐ。それでも、やめることはできない。
まず、指がぴくりと動いた。腕が、体が動く。動かすとなお、焼かれるような痛みが襲ってくる。それでも構わなかった。
一度動き出した体は、不自然なほどにいつも通りに滑らかに動作を行う。エフィは素早い動きで振り向き、渾身の力で鎧の腕を掴んだ。
考えがあってのことではない。腕力ではどう足掻いても敵わないのもわかっている。
ただ、この鎧を止めなければと思っただけ。
エフィが鎧に触れた瞬間、魔力がぶつかり合って弾けた。咄嗟に手を引くが、その余波は全身に広がり、痺れたように動けなくなる。それは鎧の人物にとっても同じだったようだ。
バイザー越しに苦しげな吐息を感じた直後、鎧は動きを止める。
致命的な隙。それを彼が見逃すはずはない。
「……引いて」
静かな声と共に、鎧を通してエフィにも衝撃が伝わってきた。エフィが掴んでいた右腕、その付け根にアリステアの仕込み杖が突き刺さっていた。
鎧の右腕から力が抜け、剣が床に落ちる。派手な音を立てて転がったそれを、ナターシャが確保した。
「どうして、動ける?」
鎧がぽつりと呟く。その声は、親を見失った子供のようにも聞こえた。
「僕は、まだ死ねないから」
アリステアが剣を引き抜きながら答える。そこにどんな感情の色があるか、エフィには見えなかった。
鎧の人物は動けるようになったのか、ゆっくりと立ち上がり、開けっ放しになっていた機関室の外扉へと向かう。
列車の走行音が、僅かに変わる。外の景色は、街並みから広大な河へと変化していた。
「待って……!」
エフィは鎧を追いかけようと一歩踏み出すが、足がもつれて転んだ。鎧は振り向き、エフィを一瞥すると、走行中の列車から躊躇わずに飛び降りた。
「なっ!」
オズワルドが言葉を失う。少し間が空いてから、派手な水音が響いてきた。オズワルドが扉に駆け寄り、外を確認する。それから、無言で首を横に振った。
がたんと、大きく車体が揺れた。エフィは蒸気機関に目を向け、睨む。
(まだ、予言……おれてない……)
床に倒れ伏したままのエフィは、這うようにして前へと進もうとする。動力へ、震える手を伸ばした。
「列車、止めなきゃ」
魔力を制御しなければいけないのに、負傷のせいか、指先に魔力が宿らない。
「動かなくていい……! 俺がやるから!」
ルーカスが叫び、エフィから視線を逸らして蒸気機関へと向き合う。先ほど修理を終えたそれを、慎重に動かし始める。大きな揺れと共に、列車の速度が一気に落ちる。
うつ伏せのまま床を滑りかけたエフィの体を、誰かが掴み、支えてくれた。
「エフィ」
名前を呼ばれ、軽く顔を上げる。すぐ近くに、アリステアの青い瞳があった。
彼はいつかのように全身血まみれで、エフィは思わず手を伸ばしていた。それが彼に届く前に、逆に手を取られる。
アリステアの手の温かさに、どうしてかほっとした。
「僕はいい。それより、君だ」
「私……?」
アリステアの指が、ぎゅっとエフィの手を包む。
「……ごめん。あれを止められなかった」
どうして謝るのかわからなくて、エフィは首を傾げかけて――思い出す。剣で間違いなく貫かれ、血は流れなくて、それからどうなった?
アリステアの指が、躊躇いがちに離れる。エフィは恐る恐る、自分の脇腹に手をやった。つるりと無機質な感触があり、息を呑む。いつの間にかそこは、痛みすら感じなくなっていた。
思わず顔を上げて、みんなを見た。
ナターシャは痛ましげな表情を浮かべている。唇を引き結び、何も言ってはくれない。オズワルドは顔を引きつらせながらこちらを見下ろしていた。エフィと目が合うと、黙って視線を逸らされる。
最後に軽い衝撃を残して、列車が完全に停止する。ルーカスが勢いよく振り向き、エフィのすぐ側に跪いた。
「エフィ……起き上がれるか?」
ルーカスの声は、いつになく揺れていた。エフィは頷き、仰向けに体勢を変える。ルーカスが息を吐く。それは、やけに大きく聞こえた。
ゆっくりと上半身を起こして、座位になる。エフィは自分の脇腹を見た。皮膚がなくなり、ぽっかりと穴が空いている。
その穴から――切断された配線のようなものが、覗いていた。連結した真鍮の歯車。力を運ぶ配管。
思わず、ルーカスを見た。
エフィの中身は、この街に来て、彼と何度も一緒に見てきたもの――蒸気機関と、同じ見た目をしていた。
エフィは目を瞬かせる。どれだけ見直しても、それはそこに存在していた。悪い夢を見ているようだと思った。訳がわからなかった。
ただひとつわかるのは――
「私、」
言葉を紡ぐ。楽しくもないのに、なぜか乾いた笑いが顔に浮かぶ。止められない。取り繕えない。もう一度エフィは自分の脇腹を、そこに横たわる現実に目を向ける。
「人間じゃ、ないんだ」
吐露したそれが、機関室に響いて、消えた。




