1-9:約束
揺りかごの中にいるように、意識が暗い空間を漂っていた。ゆらゆらと不規則に揺蕩うのに、聞こえてくる秒針の音は寸分の狂いもない。
微睡むエフィの隣に、誰かが立っている。
「ねえ。今日も、話を聞いてくれる?」
少年の高い声。眠るエフィの返事を待たず、彼はその日にあったことを語り出す――
* *
泡沫の夢がぱちんと弾けて、エフィの意識が浮上する。全身が気だるく、指を動かすのも億劫だった。夢の続きを求めて、深いところへと再び落ちていきたいと願う。
心地よさに包まれかけた瞬間、脳裏にルーカスの顔が浮かんだ。はっとして、勢いよく起き上がる。その拍子に、体に乗っていた掛布がずり落ちた。
エフィは、見知らぬ場所のベッドに寝かされていた。ぐるりと視線を巡らせる。誰かの私室なのか、本棚や机などの家具が並んでいた。それ以外はほぼ物がなく、無機質で、あまり生活感がない。
最後に、真顔でこちらを観察している男と目が合った。
「アリステア……!」
ベッドサイドに置かれた椅子に、アリステアが座っていた。青い瞳が、こちらの全身を素早く確認する。
「おはよう。異常はなさそうだね」
「え、おはよう……って、そうじゃなくて。無事だったんだね!」
普通に挨拶されて、エフィは拍子抜けしてしまう。アリステアとはあの日、ヤードとの戦いの中で別れたきりだった。
「僕の死に場所は、あの日、あの場所じゃないから」
彼の声には感情の色がなく、淡々としている。ルーカスを助けようと動くのに、予言を「当たるもの」として行動する。そういうところはあの逃避行の中の姿勢と変わらない。そこに彼らしさを感じて、エフィは小さく笑った。
「何も面白いことは言ってないよ」
「そうだね。……ねえ、ルーカスは無事? 怪我をしていたけど、捕まってないよね?」
アリステアは、ほんの少し表情を緩めた。
「おかげさまで」
あの時の『変わった』感覚。ルーカスの本から放たれた光。それは、錯覚ではなかった。
アリステアが示した事実に、全身の筋肉が弛緩しそうになる。慌てて姿勢を保った。
「良かった……いや、良くない! ルーカスは怪我をしてたの、早く治療をしないと」
言うが早いか、エフィはベッドから抜け出そうとした。しかし、立ち上がった瞬間にぐらりと強烈な眩暈に襲われる。倒れないように目を閉じ、ベッドに腰か
けた。
「エフィ。もしかして、魔力が戻ってない?」
「うん、そうみたい……」
じっとしていると、少しずつ眩暈は良くなって来た。そろそろと目を開ける。アリステアは、腕を組んで視線を下へ、エフィの足辺りへと落としていた。
「どうかした?」
「いや。魔力は不思議だなと思っていただけ。君が倒れてから丸1日経っているのに、あまり魔力は回復していないように見える。エフィの家では、短時間でそれなりに回復していたのに」
「この街の空気自体が、魔力回復に向いてないみたい。あの家だと大丈夫なんだけど」
「なるほど。興味深いね」
アリステアがまた考え込んでいる。
「って、それよりルーカスは? 大丈夫なの?」
「焦らないで。ルーカスは大丈夫。怪我はしているけど、命に関わるようなものじゃない」
「良かった……」
それを聞いて今度こそ、力が抜けてしまった。そのままころんとベッドに転がる。スプリングが、脱力した体を優しく受け止めてくれた。
「君は、予言を変えた」
平坦な声が、上から振ってくる。アリステアの顔は、心なしか嬉しそうに見えて、エフィは目を瞬かせた。
「今まで誰も成し遂げなかったことをやり遂げた。この先、この街の価値観は大きく揺れ動くかもしれない。……君の存在によって」
「ちょっと、大げさだよ! 私ひとりじゃ無理だったもん。ルーカスと、それからアリステアがいてくれたおかげ」
エフィがアリステアに微笑みかけると、彼は僅かに青い目を見開いた。しかしそれ以上の反応はなく、アリステアは席を立つ。
「ルーカスを呼んでくる。その様子じゃ、君が移動するより効率的だと思う」
そう言って、こちらの返事を待たずに部屋を出ていった。
ドアが閉じ、ひとり残されたエフィは、ふとあることを思い出した。
(私も足を撃たれたような……?)
ルーカスが放った白光の中、目では確認していないが、確かに左足に痛みが走った記憶がある。そこをわざと刺激して、気絶しないようにしたことも覚えていた。
恐る恐る、ローブを捲って足を確認する。傷痕は、まるで最初から何もなかったかのように、どこにもなかった。そういえば、痛みも感じない。
(寝ている間に、無意識で治癒魔法を使って治したのかな)
腑に落ちない気がしたが、傷がないのだからそうとしか思えない。最終的にエフィは、そんな風に結論付けた。
ノックの後で扉が開き、ルーカスと、続いてアリステアが入ってくる。今度はゆっくりと体を起こした。
「エフィ、目覚めたんだな。良かった」
ルーカスは屈託ない笑顔を見せてくれた。しかし彼の二の腕に包帯が巻かれているのが目に入り、エフィは表情を曇らせる。
「おーい、そんな顔するなって。別にもう痛まないし――」
言いかけたルーカスの傷口を、アリステアが真顔で押さえた。ルーカスの体が大きく仰け反る。
「いってえ!! おいアリス!」
「堂々と嘘をつくルーカスが悪い」
アリステアは涼しい顔でそう言った。いつも通りのふたりに、思わず笑いそうになってしまう。
「ルーカス、大丈夫なの?」
「それはこっちの台詞だ。エフィが気絶して、あの時は本気で焦ったぞ」
ルーカスはベッドの縁に腰かけた。腰のベルトから本を外し、こちらへと差し出してくる。
震える手で、エフィはページを捲った。白紙。次も、その次も。中身はすべて、白紙へと書き換わっていた。まるで最初から、何も書かれていなかったかのように。
「予言を破ると、本の内容が消えるみたいだな」
「そうなんだ……」
あの日、自宅で見た『ルーカスが捕縛される運命』は、消えた。それがはっきりとわかって、エフィは息をつく。
「ほんと、エフィには頭が上がらないな」
「そんなことない。ルーカスが『化学』のことを教えてくれなかったら、多分あのまま捕まってたよ」
エフィとルーカスの間に、この街に来て初めて、ほっとできる時間が流れる。
予言なんてものが存在し、信じられているこの街で、話が通じるのはルーカスたちだけだと感じていた。他の人々は、予言に記されていないというエフィの存在を、間違いなく訝しむだろう。
その一方で、アリステアは難しい顔をしている。
「でも、これで確実に君とルーカスはヤードに目をつけられた」
アリステアの言葉が、波紋のように部屋に広がる。部屋の外から聞こえる歯車の規則的な音が、やけに大きく聞こえた。
ゆっくりと口を開く。
「それは……予言を、破ったから?」
「うん。本が白紙になるなんて、前例がない。予言を是とするヤードたちにとって、君たちふたりは不穏分子だ」
「いや、不穏分子はアリスもだろ」
ルーカスの突っ込みに、アリステアは淡く笑顔を見せた。ルーカスは予言の本を回収して、また腰に戻している。
(白紙でも、持ち歩くんだ)
そんな些細なことが気になった。
「なあエフィ。……君さえ良ければ、俺たちと来ないか?」
「え……?」
ルーカスが切り出した一言に、エフィは目を丸くした。
「僕も、手を組む方が合理的だと思う」
「合理的って……あのなアリス、エフィは俺が巻き込んだんだ。その責任は俺が取る、ただそれだけだぞ?」
「でも、彼女の魔法は頼りになる。協力してもらった方が動きやすい」
「そりゃエフィの助力があれば有難いけど、俺が言いたいのはそうじゃなくて――」
ふたりが目の前で言い合いを始めたので、思わずくすっと笑ってしまった。ルーカスは言葉を止めて、こちらを見る。
「あのね、私も同じことを思ってた」
今度は、ふたりが目を丸くする番だった。
「私、兄様を探したいし、元々暮らしていた場所に戻る手がかりも欲しい。だけど、この街で私が頼れるのはふたりだけなの。だから、帰るまでふたりと一緒にいくよ。ううん……一緒にいさせて欲しい」
「もちろん。決まりだな」
ルーカスがにっと唇の端を上げ、手を差し出してくる。エフィは自分の手を重ねて、固く握り合った。




