1-8:歯車が噛み合うように
ルーカスが、懐中時計を取り出して眺めた。今日が終わるまで、長い方の針があと1周分。長くはないが、短くもない。
エフィとルーカスは路地を逃げ回っていた。港から直接、大通りへ出る道は、ヤードによってすべて封鎖されている。路地の出入口も同様。
結局のところ、「ルーカスが捕まる」という予言が、最悪の形で収束へ向かっている感覚は拭えない。
それでも、ふたりは進み続けていた。
ここに至るまでに、ルーカスが持ち歩いている道具たちはほとんど使いきってしまった。エフィの魔力も、あと一発魔法を撃つのが限界な上、路地は街灯が少なく薄暗い。あまり期待できないだろう。
(一発で、状況を変えられる魔法は……)
ルーカスに先導を任せながら、考えを巡らせる。
エフィが使える魔法は、大半が兄から教わったものだ。使える魔法はないか、兄とのやり取りを思い出してみようとするものの、焦りからか同じ記憶ばかりがぐるぐると浮かんでくる。
「ルーカス、大人しく投降しろ!」
路地のどこかで、ヤードが怒鳴る声が聞こえた。
「やなこった!」
ルーカスが小声で答える。その表情には隠しきれない疲労と、緊張の色が見えた。
「ルーカス、無理は――」
言いながら角を曲がろうとしたエフィは、ヤードの一団と鉢合わせてしまった。咄嗟に身を引き、今来た路地を引き返す。視界の端で、ルーカスがヤードを蹴りで吹っ飛ばしているのが見えた。何人かが巻き込まれ、一緒に地面に倒れる。
「くそっ」
走るルーカスがエフィに並び、追い抜いた。道をふさいでいた木箱を、彼が蹴りで無理やり移動させる。
背後から、複数の足音が追いかけてくるのが聞こえた。
「多少危険でも構わん、ルーカスを捕らえることを優先しろ!」
背後で、誰かが叫んだ。
パン、と例の破裂音が響き、見えない速さで射出された弾が路地の壁に当たる。それを皮切りに、次々と背後から破裂音が響く。
そのうちのひとつがルーカスの左腕を掠め、ぱっと赤い花を散らせた。
「ルーカスっ!」
エフィの背筋がぞわりとした。ほんの少しずれていたら、心臓を貫いていたかもしれない。
ルーカスは表情を歪めてはいるものの、足を止めることはしなかった。傷口を押さえる右手から、血がとめどなく滴り落ちる。
その様子に、ヤード側も動揺したのか僅かに動きが鈍る。それでも再び銃とかいう武器を構えて、こちらを狙ってきた。
次の弾が、今度はルーカスの右頬を掠める。
「あいつら、なりふり構わなくなってきてるな」
お互い、時間が迫っていることは十分に理解していた。
(このままじゃいけない)
ルーカスの左肩を染める赤から、目を離すことができない。エフィは魔法を使いたくなったが、すんでのところで衝動を抑える。今使ったら、ルーカスを逃がす最後の手段を失ってしまう。今まで以上に、慎重に見極める必要がある。
ルーカスに続いて飛び込んだ横道の先は、大通りに繋がっていた。つまり、封鎖しているヤードたちがいる。
「まずいな」
振り向くと、背後にもヤードが迫ってきていた。完全に挟み撃ちになっている。彼らが構えている銃口が真っ直ぐにルーカスに向けられている気がして、エフィの中は膨れ上がる嫌な予感でいっぱいになる。
「エフィ、大丈夫だ。落ち着け」
こんな状況でも、ルーカスの瞳に宿る光は消えていない。
両側からじりじりと距離を詰められ、エフィとルーカスは身を寄せあった。
どう魔法を使うべきか、頭をすべて使って思案する。ここさえ乗り切れば――それは、両者に共通する思いだろう。緊張から、手の平が汗ばんでいるのを感じた。
「なあ、エフィ」
ルーカスがヤードを睨んだまま、語りかけてくる。
「ヤードも焦ってる。今なら、君の魔法一発で奴らを全員『騙せる』かもしれない。……難しいが、できるか?」
その言葉に、はっとした。港で光と化学について話したことを思い出す。
(光の道を歪めて、錯覚させる……。今ここにいるルーカスから、目を逸らさせる!)
ルーカスの化学知識を元に魔法を創生するなんて、やったことはもちろんない。だけど、やらなければこの状況は変えられない。要領は、目眩ましの魔法と同じことだ。
(……やってみせる!)
エフィはしっかりと頷いた。
「光源が欲しい。何とかできる?」
顔は動かさず、視線だけを走らせる。路地には街灯がほとんどなく、エフィの光魔法では十分な威力を期待できない。
「任せろ」
ルーカスが力強く言いきり、懐から丸い玉を取り出した。昼間、川を渡るときに投げていたものに似ている。彼は躊躇うことなく、それを地面へと叩きつけた。
カッ、と瞬間的に真昼のような白光に包まれ、エフィは咄嗟に目を閉じた。瞼の裏が赤く染まる。魔法に利用するには、十分すぎる光量だ。光の向こう側で、ヤードが慌てふためく声が聞こえてくる。
(……お願い!)
祈りながら残りすべての魔力を解き放ち、光の進路を意識的に歪ませる。白光の中で銃声が聞こえ、エフィの左足に灼熱感が走った。かつてない痛みに思考が止まり、呼吸が不規則に乱れる。
それでも、魔法だけは止めない。
白光が薄れる。魔力の大半を失った体がぐらりと崩れた。ルーカスがエフィを抱き留めてくれる。
(もう、少し……!)
意識が途切れそうになり、エフィは右足で左の傷口を蹴った。息さえできないような痛み。しかし意識は強制的に引き戻される。エフィは声を上げないように歯を食いしばりつつ、ルーカスにただ身を預けていた。
魔法が終息し、ひとつの像を結ぶ。
「なっ、いつの間に!」
白光が消え、ヤードの慌てた声が聞こえてきた。エフィもうっすらと目を開けて、自分の魔法の結果を見る。
『ルーカス』が大通りに立っていた。
黒髪に不敵な笑み、歯車があしらわれたジャケットを身に纏う姿は、どこからどう見ても本人だった。隣にいる本物のルーカスまでもが、『彼』を見て硬直した気配を感じる。
大通りに立つ『彼』はヤードになど目もくれず、エフィたちから遠ざかる方向へと走っていく。
「追いかけるぞ!」
隣にエフィがいない違和感に気付かず、ヤードが全員、幻のルーカスを追いかけていく。目眩まし中のふたりは、息を殺してそれを見送った。
最後のヤードが路地から立ち去った瞬間、変化は訪れた。
ルーカスの腰にある予言の本が、淡い光を放ち始める。
「えっ!?」
彼は驚いたように本に視線を落とした。目を見開いたまま、本の表紙に触れる。
エフィもまた、どこかで何かがカチッと音を立てるのを感じた。
まるで、歯車が噛み合うように――
理屈ではなく本能で、何かが、しかし確実に『変わった』ことを理解した。
ルーカスが、震える手で胸ポケットから懐中時計を取り出す。長針も短針も、そろって真上を示している。
「日付、変わった……」
彼が捕縛される運命の日は、静かに終わりを告げた。
「私……やりとげた?」
「ああ……」
その静かな声を聞きながら、魔力が完全にゼロになったエフィは、今度こそ意識を失った。




