幕間4:卑怯の定義 -前編-
手元の作業が一段落つき、ルーカスは顔を上げた。リビングの片隅にある柱時計は、日付が変わりそうな時刻を示している。
ミラとナターシャはとっくの昔に自室に帰っていて、この場所にいるのはルーカス以外にエフィとアリステアだけだった。エフィは兄の部屋から持ち出したらしい魔道書を、アリステアは医学書を読んでいる。ふたりとも手元の本に夢中で、会話はない。
友人はともかく、エフィが根を詰めすぎていないか心配になった。案の定、彼女は目をぱちぱちと瞬かせながら、時々ふわ、と欠伸をしている。
「エフィ、あまり無理するなよ」
声をかけると本から顔を上げて、エフィは小さく頷く。しかし席を立つことはなく、そのまま読書を再開してしまう。
彼女が魔法を真剣に学ぼうとしているのは、兄の手がかりを掴むため、仲間を守るためだ。彼女の気持ちは十分わかっているからこそ、引き留める言葉が見つからなかった。
とはいえエフィを置き去りにするのも気が引けて、ルーカスも蒸気機関をいじり始める。
考えることはたくさんあった。今後のこと。反予言派のこと。彼女を捕らえようとする星府のこと。
それらに抗い、彼女を守るにはどうしたらいいだろうか――
ふと気付くと、エフィが机の上の上に突っ伏すようにして眠っていた。兄の本は完全に下敷きになっている。
(あの本、星府の連中ならいくら金貨を積むかわからないくらい、値打ちがある貴重品なのにな)
その上で気持ちよさそうに寝落ちしているエフィに気持ちが和んだ。思わず息を吐く。
音を聞きつけたのか、アリステアが医学書から顔を上げた。
「寝てるね」
「疲れてるんだな……。エフィ、寝るなら部屋に行ったほうがいいぞ」
声をかけるが、彼女は「んん……」と声を漏らすだけで、目覚める気配はない。軽く肩を揺すると、穏やかな寝顔が僅かに歪む。その表情に、ルーカスは手を止めた。
「どうする?」
「……運ぶしか、ないだろ」
アリステアには冷静に返したが、無防備すぎるエフィの寝顔は触れてはいけないもののようで、躊躇ってしまう。
「代わろうか」
「い、いや、大丈夫だ」
出会ったばかりの頃、それからこの前の飛行船の時、気絶したエフィを運んだのはルーカスだ。それと同じで、彼女が落ち着いて休めるようにするだけ――そのはず、なのに。
躊躇ってしまうのは、何故なのだろう。
「エフィ……悪い、触るぞ」
一応断ってから、彼女の体を抱き上げる。
軽い。柔らかい。
落とさないように抱え直すと、エフィがもそもそと僅かに身動ぎした。収まりが良くなったのか、彼女は再び動かなくなる。
「いや、今ポジション探るなよ……」
苦笑いを浮かべつつ、彼女の家へ向かう。階段を上がる時、揺れたせいかエフィが軽く身を寄せてきた。些細なことに、なぜか心臓が跳ねる。
「入るぞ」
これも断ってから、エフィの部屋へ侵入する。数日前に初めて入ったばかりのここに、再び訪れることになるとは予想していなかった。
エフィらしい、落ち着いた内装はなるべく見ないようにしつつ、彼女の体をベッドに下ろす。眠ったままの少女を見て、息をついた。
穏やかな寝顔と、規則的な呼吸。起こさなくて良かったなと、そう素直に思った。一方の自分は、大した労働はしていないはずなのに、なぜかひどく疲労している。
「……おやすみ」
そう言って、踵を返そうとした。眠る彼女から返事はない。ただ、目の辺りに前髪がかかっているのが気になった。
指でそっと払う。エフィとの距離が、いつになく近い。そのまま、白金の髪に手を沿わせた。顔を近付ける。
自身の黒髪が、エフィの上に落ちる。顕になった額が、近付き――
はっと、我に返った。
「なに、やってるんだ」
自分の衝動を払うように首を横に振る。エフィの髪から手を離し、今度こそ彼女に背を向けた。
「卑怯だな、こんなの……」
独り言を呟きながら部屋を出る。
「卑怯って?」
「うわあああ!!!?」
不意打ちで声をかけられ、文字通り飛び上がった。エフィの部屋の外、廊下にアリステアが立っていた。青い瞳には一点の揺らぎもない。何故か、彼は仕込み杖を手にしている。
明かりは窓から差し込む僅かな月光だけ。闇の気配を纏ったアリステアは、いつも以上に感情が見えない。
「な、な、なんでここに!?」
「運んだだけにしては遅いから、見に来た」
言いながら、彼は仕込み杖の刀身に指を沿わせた。鞘の中に収まっているから一切危険はないとはいえ、その仕草は完全に獲物を狩る前のそれ。ルーカスは思わず後退る。
「怖えよ! 音もなく外にいるなよ!」
「気付かれたら、様子を見に来た意味がないよね」
「というか何で見に来たんだよ! はっ、アリス、お前まさか……!?」
こんな朴念仁で理性の塊みたいな男に『そういう』感情があるとも思えなかったが、彼が何かを察知してここにいるのは事実だ。
(つまり……アリスも……?)
脳内で勝手に想像が膨らんでいく。ひとつの予感に、ルーカスはごくりと唾を飲み込んだ。
そんなこちらの思いなど何も知らない顔で、アリステアは首を傾げた。
「ミラとナターシャに、『ルーカスが不埒なことをしないか見張れ』と言われているから」
アリステアは淡々と言った。そこには何の感情もない。あるのはただ、事実確認をしている冷静さだけ。
ルーカスは息を吐きながら、がっくりと肩を落とした。何ならこの場に座り込みたいくらいだった。
「そうかよ……知ってた。知ってたさ」
「ところで、何が卑怯なのか気になる」
「話を蒸し返すな!」
思わず大声を出してしまい、エフィの部屋を振り向く。物音も、中で動く気配もない。ほっとした。
「あー……、ま、アリスが見張ってくれるなら、安心だな。色んな意味で」
「……?」
アリステアは釈然としない、という表情を浮かべていたが、これ以上説明してやるつもりはなかった。




