5-10:記されざる者
路地に、慌ただしい足音が響く。
振り向いたら、追い着かれる。そう確信できる程度には、追跡者とエフィたちの距離は近い。
追いかけてくる足音は、やはりひとつ。増援の気配がないから、ヤードでないことはわかる。
前を行くアリステアの赤茶髪が靡くのを見つめながら、エフィは思考を巡らせる。
結界を張るには振り返らなければならない。幻は足音ですぐに偽物だとバレるだろう。この距離感では、光魔法による妨害工作もほぼ意味を成さない。
そもそも、あまり派手なことをすると表にいたヤードを呼び寄せる可能性がある。
(どうする……?)
エフィは考えながら、手を引いて先行するアリステアの背中を見た。
彼はまだ表の通りにいる時に、わざわざ仕込み杖を持ち出していた。きっと、あの時から気付いていたのだろう。アリステアのことだ、勝算があるからここに入ったはず。
(なら、私にできることは――)
咄嗟に、太腿に固定している魔法銃のホルスターに触れる。金属の冷たさと重みが、エフィに決意を促した。
「アリステア」
走りながら、彼に僅かに身を寄せる。
「私はもう、大丈夫。だから、剣を抜いていいよ」
アリステアの指に、一瞬力が籠った。
彼の使う仕込み杖は、片手では抜刀できない。エフィを誘導する、それ自体が彼の重荷になっている。
「わかった」
アリステアから返事がきた直後、エフィは思いっきり彼の手を振り払った。そのまま直進する彼と離れ、右側の分かれ道へと飛び込む。
「なっ!」
エフィの予想外の行動に、追跡者が絶句する。声からすると、若い男だ。思いきって振り向く。
分かれ道で、追跡者がどちらを追うべきか迷ったのか、一瞬速度を緩めた。追跡者の襟足にかかる金髪が、揺れる。
「貴方は……!」
エフィは男の顔に見覚えがあった。兄の鍵を奪った時に、反予言派を指揮しこちらを狙撃してきた男だ。この男なら確かに、エフィとアリステアの人相を知っている。
追跡者は右を――エフィの方を向く。アリステアはそれを見逃さない。追跡者がエフィを見たと気付いた瞬間、素早く仕込み杖を抜き放ち、追跡者に肉薄する。
刃が銀の軌跡を描いて宙を裂いた。同時に、追跡者は大型の銃を構える。
示し合わせたように、両者はぴたりと停止する。アリステアは追跡者の首筋に刃を当てていた。一方で追跡者の銃口は、アリステアの眉間に向けられている。
「武器を捨てて」
アリステアはこの状況でも一切動じない。追跡者は紫の瞳でアリステアを睨む。
「お前が俺を斬るより、お前が撃たれる方が早いと思うが?」
追跡者は脅すように、とんとんと引き金を指で示した。アリステアは顔色ひとつ変えない。
「普通に考えたら、そうだね」
それどころか、ふっと息を吐いて笑った。追跡者は訝しげな表情を浮かべる。アリステアが視線でこちらを示す。
エフィはホルスターから魔法銃を抜いて、追跡者に向けて構えていた。人に向けて撃ったことはない。しかし、弱気を見せたらアリステアを助けられない。気力で震えを押さえつけ、エフィは追跡者を睨む。
「私を忘れてもらったら困るよ」
あえて、余裕たっぷりに笑う。頭の中に浮かべていたのは、ルーカスの顔だ。
「貴方の狙いはエフィだろう。僕を殺せても、目的は達成できない」
アリステアの言葉に図星を突かれたのか、追跡者の顔が苦渋に歪む。
「それに、僕の死に場所は今、ここじゃない」
チッ、と舌打ちが聞こえた。息を吐いて、追跡者は銃をゆっくりと下ろす。
「予言の信者が、なぜ『聖女』の側にいる。冗談じゃない」
「聖女……」
その言葉を繰り返して、エフィは魔法銃を強く握り直した。この追跡者は、反予言派だ。先ほどの通りでの光景が頭に過る。
「それで、反予言派はなぜエフィに近付く?」
アリステアは刃を突きつけたまま、追跡者に問いかける。
「そんなもの、決まってるだろ。予言を打ち破り、このエルシオンを変える。それ以外に何がある?」
追跡者は淀みなく、高らかに宣言した。迷いや葛藤はどこにも見えない。
「そのためには聖女という旗頭が必要不可欠だ。民衆の目の前で運命を変えてやれば、あいつらだって目を覚ますだろう。そういう意味では、飛行船の事故は最高の演習だったな」
「なっ……!」
その言い方に、全身がカッと熱くなる。構えた銃口が震える。アリステアが視線だけをエフィに向けた。揺るぎない青い瞳に導かれるように、揺れていた心が急速に落ち着きを取り戻していく。
エフィは一度、深呼吸をした。
「私はそれを望んでいない。運命を変えることが正しいことなのか、私にはわからないから」
冷たく言って、首を横に振る。
「それがどうした。お前の意思は関係ない。無理にでも連れていくつもりだったが――」
追跡者は一度言葉を切り、アリステアを横目で見た。構えを解かない彼を見て、銃を地面に落とす。アリステアがそれを足で踏んで制圧した。
「それは無理そうだ。だからお前に言うぞ。お前の意思に関わらず、ヤードは『聖女』に目をつけている。それはもうわかってるだろう」
「……ええ」
低い声で答える。追跡者は、唇の端をいびつに上げた。試すような視線が、エフィに纏わりついて離れない。
「そっちより、俺たちの方が人数が多い。だからこっち側に着け。お前も、お仲間を余計な危険に晒すのは望むところじゃない。違うか?」
「……それは」
言い返すことができなかった。アリステアは否定も肯定もせず、仕込み杖を下ろす。
「おい、見逃すのか?」
「僕は人を殺したいわけじゃない。それに、貴方が引くのなら、僕たちの敵じゃない」
「甘いな。……まあ、ここは引かせてもらうさ」
追跡者は路地の奥へと悠然と歩いていく。ふと足を止めて、エフィたちを振り向いた。
「俺は『記されざる者』のリーダー、オズワルドだ。俺たちは近々起こると予言されている列車事故を防ぐために動いてる。手を貸せよ、聖女様」
オズワルドと名乗った彼はひらりと手を振って、蒸気の路地の向こうへと消えていった。
その場には、沈黙だけが残された。




