5-9:虚像の聖女様
エルシオンは曇り空の日が多い。灰色の空を見上げながら、エフィとアリステアは手ぶらで商業区の通りを歩いていた。
「買い物なら、僕ひとりでも良かったのに」
アリステアはルーカスの家を出てから、ずっとそう言い続けていた。
「それは……心配だからダメ」
留守番をしているルーカスたちにも、「アリスには絶対に買い物を任せるな」と厳命されている。今までの生活能力の無さを考えると、その指令は実に的を射ていると思う。
「僕だって買い物くらいできる」
「私だって買い物できるよ」
子供の言い合いのようになってしまった。しかめていた顔を緩めて、エフィは笑った。アリステアはまだ不満げな表情を崩さない。
「アリステアが心配してくれてるのはわかるけど、自分のことくらい自分でしたいの。お姫様じゃないんだから」
エフィが言葉を返すと、彼は一瞬、目を丸くする。珍しい表情を浮かべた彼は、どことなく幼く見えた。
少し間があって、
「……そうだね。君は、そういう人だ」
と小さな声で返事をされた。言い返されたのに、アリステアは唇の端を僅かに上げている。
(どこか、笑うところあったっけ?)
心の中で首を傾げる。何度見返しても、彼はやっぱり笑っているようにしか見えなかった。付き合いもそこそこ長くなってきたつもりだが、彼の笑いのツボがよくわからない。
その時、前方がにわかにざわつき始めた。エフィはアリステアから視線を外し、前を向く。
大勢の人々が、輪を描くようにして集まっている。車道の反対側にいる人まで、足を止めてこちら側を見つめていた。
「なんだろう、何かあったのかな?」
エフィが疑問を口にするのと同時に、アリステアはその場でぴたりと静止した。人だかりをじっと見つめる。
「関わらない方がいい」
アリステアが静かに首を横に振る。その表情は、無を通り越して冷徹にすら見えた。彼が纏う空気の変化を感じ取り、エフィも笑みを消した。
人だかりの中心には、男がひとり立っている。声を張り上げているその男には、うっすらと見覚えがあった。
「この前、私が治癒魔法をかけた人……?」
エフィの疑問を、アリステアが黙って頷くことで肯定する。
ナターシャを助けた時、星府塔西口でエフィが魔法を使った、一番重傷だった人だ。あの場では応急処置しかしなかったが、すっかり回復しているようだった。
「俺は、この前死ぬ運命だった。それを書き換えたのが『聖女様』とその魔法だ!」
空気を裂く勢いで放たれた言葉に、息を呑んだ。さっと血の気が引くような感覚がする。アリステアは青い瞳で男を睨んだ。
「お前たちも飛行船の事故のことは知っているだろう。運命は変えられるんだ!! 星府の言いなりになる必要なんかない!!」
熱の籠った言葉に、ざわめきが寄せては返す。
「星府に逆らうつもりか?」
「だが、飛行船が……」
民衆は彼の言葉を鵜呑みにはせず、遠巻きにヒソヒソと囁き合ったり、訝しげな視線を向けたりしている。
(でも、彼の話を聞いている……)
立ち去る人、通りすぎる人は少ない。彼らの空気に押されるように、エフィは半歩だけ、アリステアの方に寄った。
(私がしたことが、こんなに騒ぎになるなんて)
ここまで大きく影響が出るとは、予想していなかった。自分の軽率さに唇を噛む。反予言派のことはともかく、飛行船のことは目撃者も多く、誤魔化すことはできない。
「お前ッ! 何をしている!」
荒っぽい声と共に、人々の間を縫うようにしてヤードが現れる。反予言派の男はその姿を認め、一目散に駆け出した。人々もヤードに見咎められないようにか、素知らぬ顔をして解散していく。
人々の流れに乗るようにして、エフィとアリステアもそっと離れた。ヤードは反予言派を追いかけていき、こちらには気付かなかったようだ。
しばらく口を開かず、黙々と歩いた。ぬかるみを歩いているかのように、足取りがひどく重い。
(エルシオンの人たちも、もしかしたら……予言に思うところがあるのかもしれない)
ルーカスや反予言派たちが特別な訳じゃない。ナターシャやあの飛行船に乗っていた人々をことを思い出す。
彼らのような思いがある人も、エルシオンにはたくさんいるのだろう。
そういう人たちにエフィの存在が知られてしまった今、このエルシオンが大きく揺れることは避けられない――
考えながら歩いていたエフィは、石畳の継ぎ目に足を取られて転びそうになる。体勢を立て直し転倒は免れたものの、アリステアに足を止めさせてしまった。
「大丈夫?」
「ごめん、ちょっとぼーっとしてただけ」
「そうじゃない」
アリステアは、真剣な表情でエフィを見ていた。
「君は自分の行動が、こんなに大勢に影響を与えるかもしれないとは思っていなかった。違う?」
言葉は問い詰めるように鋭いのに、声色は優しい。
「……違わない。だから、こんなことになって戸惑ってる、かな」
エフィは曖昧に笑った。
この場を離れなきゃいけないとわかっているのに、足が棒のようで動き出せない。
「私がしたことは、間違ってたのかな。人をいたずらに混乱させるだけだった?」
そんな言葉がこぼれて、落ちた。人々は誰もエフィとアリステアには目を向けず、自分の道を歩いていく。
彼が腰のベルトから仕込み杖を引き抜き、それを地面に突いた。乾いた音が鳴る。エフィは、はっとして顔を上げた。無意識のうちに俯いていたことに、ようやく気付く。
「それを決めるのは、僕じゃない。……君だ」
アリステアが杖を携えたまま歩き出す。エフィは小走りでその後を追いかけた。なぜか、足はすんなり動いてくれた。
「アリステアは、予言をどう思ってるの?」
エフィの問いかけに、アリステアは少しの間、沈黙したまま歩き続けた。
答えはない。
一歩先を歩く彼の背中は、いつもより取りつく島がないように感じる。石畳に足音が響く。どうしてか、居心地が悪い。
アリステアが、ふいにエフィの手を取った。
「走るよ」
宣言と共に、彼は走って路地へと駆け込んだ。訳がわからないまま、エフィも走る。響くのは、3人分の足音。
誰かがエフィたちを追ってきていた。




