5-7:矛盾
部屋の空気は、澱のように淀んでいる。身動きひとつできない沈黙の中、エフィはただルーカスを見つめた。
「そんなに身構えないでくれ。もう4年も前のことだし、秘密の話って訳でもない。ミラも、アリスも知ってる」
彼の顔には、まだ僅かに笑顔が残っていた。しかし、いつもと違ってぎこちない。エフィの胸が詰まった。慎重に吐いた息が、震えているのを自覚する。
「はじまりは……ティアの言葉だった。あいつが、『もうすぐ兄さんとお別れだね』って言い出したんだ。それではじめて、俺は自分の予言の本を確認した。そこには『双子が行方不明になり、ティアは二度と戻らない』と記されていた」
告げられた言葉の重みに、エフィは目を伏せる。
「妹を守りたくて、俺はふたりを部屋に閉じ込めた。その上で、ふたりが出ていかないように部屋の前で見張ったんだ。ふたりを部屋から出さなければ『行方不明』にはならないと、楽観的に考えてた。……予言を変えたやつなんて、この世界にはいなかったのにな」
「ルーカス……」
語るルーカスは、いつの間にか拳を握りしめていた。強く握りすぎて、指先は白くなっている。今にも皮膚を突き破りそうなほど。
「痛くない?」
エフィは手を伸ばして、握られた指をやんわりと解いた。解放された彼の手が、所在なさげに宙を彷徨う。
「……悪い」
エフィはなにも言わず、僅かに表情を緩めることで返事をする。開け放たれたままの窓から、ゆるく風が吹くのを感じた。
「エフィならわかるだろ。そんなに簡単に予言は破れない。……家に星詠み士が来て、俺は拘束された。その間に、双子は奴らに連れていかれた。解放されてから、慌てて街中を探し回った。星府は当然門前払いだし、手掛かりはどこにもなかった。何日もかけてエルシオン中を探して、結局見つからなかったんだ。予言通りに」
ルーカスが吐き捨てるように付け足す。
「俺は一度、家に戻った。そうしたら、家の前にミラと、アリスがいた」
「アリステアが?」
意外な名前に、エフィは思わず口を挟んでしまった。以前、妹の死を止めようと奔走する中で出会ったと言っていたのは、このことだったのかと納得する。
「おう。で、俺は咄嗟にアリスを殴っちまったんだ」
「ええ? なんで?」
エフィが突っ込むと、ルーカスが苦笑いを浮かべる。いつもの空気に近い。そのことを感じ取って、エフィの心も緩んだ。彼には、笑顔が似合う。
「だって見慣れない男が、行方不明の妹を抱いて立ってるんだぞ? こいつが予言の元凶で、ミラを取り戻さなきゃいけないと思ったんだ」
「わかるような、わからないような……?」
「あの時は、頭に血が登ってたんだ」
ルーカスが当時を思い出したのか、遠い目をしている。
「で、アリスをぼこぼこにしてミラを取り戻してから、あいつが言ったんだよ。『君は予言を確認しないのか?』って。その場で本を開いたら、確かに『医師アリステアと出会う。その後、ミラと再会する』と書かれてた。アリスはただ、星府塔の前に倒れていたミラを見つけて、予言通りに家まで連れてきてくれただけだったんだ」
「なるほど……」
色々な話が、エフィの中で繋がった。確かにアリステアも、前にルーカスとの出会いは彼の『やらかし』がきっかけだったと言っていた。
確かに、『ルーカスにぼこぼこに殴られたことが出会いのきっかけ』とはとても言いにくいだろう。あの時のアリステアの笑みを思い出して、エフィもつられて笑ってしまう。
「ミラが目を覚ましてから、何があったかを聞いた。ふたりは星府の何かの実験台に選ばれて、星府塔に連れていかれたらしい。実験台にティアが志願したから、ミラは解放されたとその時知った」
その話は、既にミラから聞いていたものと一致している。エフィは顔に出ないように真剣な表情を保ちながら、静かに頷いた。
「それから俺は、ティアを取り返すために星府塔に乗り込んだ」
「乗り込んだの!? ひとりで?」
衝撃の発言にエフィが目を丸くする。ルーカスが頷いて、言いにくそうに唸りながら後頭部を掻いた。
「……まあ、そうだ。結果的には失敗して、アリスに迷惑かけちまっただけだったが。本には『ティアは失われ、再会は叶わない。星府塔への襲撃に失敗し、逸脱者として追われることになる』と書かれていて……予言通りにするのは癪だったが、ティアが死んだなんて納得できなくて、俺は星府への反抗を繰り返すようになった。それで、エフィと出会ったんだったな」
「……え?」
エフィの唇から、疑問がこぼれた。ルーカスが不思議そうにこちらを見る。
(ティアが、死んだ?)
ルーカスが告げた言葉の一節に、エフィの中で急速に疑問と違和感が膨らんでいく。
(だって、失われた、なんだよ? ミラが持っていたティアの本にも――)
飛行船の上でミラが見せてくれた本の内容は、昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。『ティアは失われた』と書かれていたが、ルーカスの本と同様に死んだとは書かれていなかった。
何より、ティアの本は白紙ではなく、続きがあった。
その記述からも、ティアは死んでいない。エフィはそう思っている。それに誰も彼女の死を確認していないのだから、生きている可能性はある。
(なのに、どうして死んだと言いきれるの?)
エフィは固まったまま、目の前の男を見ていた。知らない人を前にしたかのような、そんな感覚が全身を包む。
「エフィ?」
ルーカスがじっとこちらを見つめ返す。エフィは強張った表情を取り繕おうとして、しかしどんな顔をしていいかわからなかった。
(ルーカスは)
鳥肌が立った。彼の顔を見られなくて、目線が自然と下に落ちた。白紙になったルーカスの本が視界にちらつく。彼は今でも、それを所持し続けている。
(自分の予言を、まるっきり信じてる……んだ)
予言に抗いながらも、本を確認するようになった。そこに記されたティアの運命を、一切疑わない。
(なんで?)
一瞬そう思って、すぐに打ち消す。
(ちがう……予言を信じるなんて、当たり前なんだ。ここでは)
生まれたときから予言と共にある暮らし。それがどんなものなのか、エフィは今ようやくその一端を理解できた気がした。
エフィにとって魔法を使うことが当たり前のように、ルーカスにとっては、本の記載が正しいことは当たり前。いちいち疑ったりしない。自分の常識を疑うことはり、ひどく難しいから。
その事実が、エフィの胸に深く刺さる。
(ティアのこと、言えない。言えるわけないよ……)
彼は予言を信じているし、予言に抗う。その矛盾、自身の歪みには気付けていない。言ったらきっと、今の空気は失われてしまう。
抱えた秘密がひどく重い。空気を求めて、エフィは喘いだ。
「ごめん、キツい話だったか」
「……うん。ちょっとだけ。でも大丈夫だよ」
エフィはルーカスの優しさに乗ることにした。嘘ではない。でも、彼に対する心苦しさが消えてくれない。
「話してくれて、ありがとう」
あえて微笑む。ルーカスはあからさまにほっとした顔をしていた。
(……これで、いい)
自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。
エフィとルーカスは他愛ない話を続けたが、エフィはあまり話に集中できなかった。
(ティアは、死んだ……)
その一節が、どうしても頭から離れてくれなかった。




