5-5:今、この時
エフィは両手に荷物を持ちながら、ルーカスの家まで戻ってきた。
彼は「持とうか?」と言ってくれたが、断った。彼の手はいざという時のために空けておいた方がいい。
扉を開けると、椅子に座って本を読んでいたミラが、ぱっと顔を上げてこちらを見た。
「おかえり。その荷物、どうしたの?」
「エフィの服を買ったの。お洒落でかわいいのをね」
ナターシャの言葉に、ミラの顔が輝いた。その表情には隠しきれない期待が滲んでいる。ナターシャが自信満々に答えるものだから、エフィは自室に逃げ帰りたい気持ちでいっぱいになった。
「見たい。ね、エフィさん、着替えてきて」
「う、うん」
そう言われることは予想済みだったとはいえ、改めて言われると背筋が伸びる。声を上擦らせながら返事をして、エフィは荷物を自室へと運び入れた。
それから、少し経って――
エフィは自宅玄関のドアノブを掴みながら、大きく息を吸って、吐いた。奇妙なことに、星府塔や研究施設に侵入したときよりもずっと緊張している。
(これ、変じゃないかな……)
ナターシャの目を疑う訳ではないが、そわそわと落ち着かない気持ちで自分の格好を見下ろした。
身に纏うのは、例のフィッシュテールのスカート。珊瑚色に染められた布地は、パニエで裾がふんわりと広がっている。ブラウスはナターシャと一緒に選んだ袖口がフリル状になっているもので、その上からサスペンダー付きのコルセットも着けている。足元を飾るのは、ヒール付きのロングブーツ。
髪飾りは歯車をモチーフにした金属製で、スカートと共布の飾りがついたバレッタだ。
ここでこうやってモダモダしていることは、過去の経験から、少なくともアリステアにはバレているだろう。それは容易に予想がついた。
彼に呆れられることは避けたい。エフィは意を決して、扉を開く。力みすぎて、勢いがついてしまった。
大きな音に、リビングにいた全員の視線が集中する。
「えっと、どうかな……?」
みんなと目を合わせられなくて、エフィは下を向く。訳もなく床の木目を視線で辿ったりして、気を紛らわせようとした。
「エフィさん、かわいいー!」
最初に声を上げたのはミラだった。
「思った通り、よく似合っているわ」
続けてナターシャの言葉が響く。照れ臭くて、でも嫌ではなくて、エフィは曖昧に笑った。
それっきり、ルーカスの家のリビングは沈黙に包まれた。こういう時、真っ先に「いいじゃん」と軽く言って、ニコニコと笑ってくれそうなルーカスからは何の反応もない。それが気になって、エフィはそろそろと視線を上げる。
ルーカスとアリステアは、エフィに視線を向けたまま微動だにしていなかった。その反応に、ブラウスの胸元を飾るリボンを隠すように身を縮ませる。
くすぐったい気持ちが、急速に萎んでいく。
「……ごめん、お洒落なんて浮わついてるよね。落ち着かないし、私やっぱり――」
「いや!」
エフィの言葉を遮るようにして、ルーカスが叫ぶ。その声量に、ミラが顔をしかめた。
「その、なんだ……ええと……」
目線を泳がせながらも、ルーカスが声を上げた。いつになく言葉がたどたどしい。
「いっ、いいと、思う……」
「そんなの当然でしょ。兄さん、口下手過ぎ」
「本当ね。いつもは軽々しく可愛いとか言っているのに、こんな時はダメダメだなんて、とんだ紳士だわ」
ミラとナターシャがぴしゃりと言う。お陰で居たたまれない空気がどこかに流れていってくれて、エフィはようやく息をすることができた。
「ルーカス、ありがとう」
「お、おう……」
ルーカスはそっぽを向いた。顔を手で覆っている。その反応に、何となくエフィも居辛い気持ちになって、彼から視線を逸らした。
ミラとナターシャの視線が、次の標的に向けられる。
「それで、アリステアは? 何か感想はないのかしら?」
言葉には有無を言わせぬ圧があるのに、ナターシャは唇の端を上げて笑みを浮かべている。隣にいるミラも同じ表情だ。
当のアリステアは、真面目な顔でエフィを上から下まで眺めていた。ゆっくりと口を開く。
「……その服では咄嗟に動けないよね。敵に襲われた時に困る」
「だよね……」
いつも通りの現実的な意見に、なんとなくほっとした。アリステアが場の空気を締めてくれることが、これほどまでに有難いと思ったのは初めてだった。
そんなエフィとは裏腹に、ミラとナターシャは揃ってアリステアを睨んだ。
「アリステアさんって、敵と戦うことしか頭にないの?」
「思った以上に重症だわ……」
ルーカスすら、アリステアに呆れたような眼差しを向けている。
「アリスお前、そこはもっと何かあるだろ」
「もっとって?」
「え、それはその……アレだろ……」
冷静に返されて、ルーカスが言葉に詰まる。ごにょごにょと何か言っているが、エフィには小さすぎて聞き取れない。
「あー、もう! いいか、紳士にはな、淑女に対する礼儀が必要なんだよ!」
「……なるほど」
ルーカスの言葉に、アリステアが腕を組んで考え事を始める。
「いやそれ、真剣に考えなきゃいけないことか?」
「君の論理でいくと、真剣に考えないのは、淑女に失礼に当たるんじゃないかな」
「それは正論だけど、そうじゃなくてだな……!」
アリステアは真面目な顔で首を傾げ、ルーカスが困り果てている。
いつも通りの空気感に、エフィは知らず知らずのうちに微笑んでいた。
「そういやさ、いいものがあるんだよ」
ルーカスはそう言い残すと、いそいそとリビングを出て行った。
彼が戻ってきた時、その腕には箱型の機械が抱えられていた。小さな窓のような硝子がついている。
ミラがルーカスへ、白い目を向けた。
「兄さん、また無駄遣いしてる?」
「無駄じゃないぞ。これはな、俺が作った感光式の魔道写真機なんだ。フルカラーだぞ。……って言っても、まだ一回も試してないんだが」
「魔道写真機……!」
その響きに、ミラの瞳がわかりやすく煌めいた。無駄遣い、と言っていた時の刺々しさは完全に消えている。
「カラーですって!?」
珍しく、ナターシャまでもが絶句している。
「まだ理論上だけどな。これを使うには、色情報を保存する方法――エフィの光魔法が必要なんだ」
全員の視線が、一斉にこちらを向いた。
「え? ごめん、どういうことか全然わからないんだけど……」
「白い光って、いろんな色を内包してるんだよ。それを利用して、3種類の色を重ね合わせて――って、説明するより実際やってみた方が早いな。こっちに並ぼうぜ」
ルーカスは笑って、手招きをした。エフィたちは顔を見合わせて、彼が示した位置へと並んで立つ。
アリステアだけは、椅子に座ったままだった。
「おいアリス、お前もだぞ」
「そうだよ。集合写真なんだから、みんないないとダメ」
ルーカスとミラに名指しされて、アリステアは目を瞬かせた。が、やはり動く気配はない。
エフィは思わず彼のところへ歩いていって、彼の手を取った。
「ほら、来て」
言いながら微笑む。アリステアは一瞬迷ったように沈黙したが、小さく頷いてから立ち上がる。エフィに手を引かれ、素直にみんなの所に歩いてきてくれた。
最後にルーカスがエフィの隣に来た。
「瞬きせずにレンズを見ててくれよ。エフィ、あの箱に光魔法を当ててみてくれ」
「うん。やってみる」
エフィは頷き、ルーカスの指示通りに箱に魔法を当てた。カシャッ、と小気味いい音が響く。
「よし、成功だな!」
ルーカスが軽い足取りで写真機に近付き、その表面をそっと撫でる。
「……これで、大丈夫なの?」
エフィには特に何も感じられなかったのだが、ルーカスは力強く頷いた。
「理論上はな。明日には写真を届けるよ」
「……あっ! わ、私、この服のまま写真に写っちゃった……!?」
その事実に気付き、かっと体が熱くなる。
「それがいいんだろ。エフィの可愛い姿は永久保存しないとな」
ルーカスが軽口を叩きつつ、にやりと笑う。隣で、ナターシャも頷いていた。
「ルーカスにしてはいい考えね」
「え、ちょ、ひどくない? 俺はいつもいい考えを持ってるぞ?」
ルーカスのぼやきに、ナターシャがくすくすと笑った。
「あ、あの、私……着替えてくるね」
いたたまれなくなったエフィはそう言って、踵を返して自宅の玄関扉を開けた。先程とは対照的に、扉は驚くほど簡単に開けられてしまう。
どこかふわふわとした気持ちのまま、エフィは家に戻ろうとする。
扉が閉まる寸前――
「その服、似合っているとは思う」
そんな声が飛び込んできて、エフィはぱっと振り向いた。アリステアはいつも通りの真顔。視線が交わったのは一瞬だけ。
扉が閉じる。向こうの声は、もう聞こえない。
エフィはどんな顔をしていいか、ちっともわからなかった。




