5-2:予言を破る魔女
エフィの動揺に気付かず、ミラは小走りに近付いてくる。少女らしい高く弾んだ声が、耳に残って離れない。
「あのね、船ではありがとう。エフィさんには感謝することがたくさんある」
ミラは笑顔で言いながらも、ルーカスを気にするように、ちらちらと彼の方に視線を向けていた。そんな妹の態度に、ルーカスは僅かに首を傾げる。
ミラは、姉のことを気にしている――それに気付いて、エフィは言葉を返すことができなくなる。
「たくさんってなんだよ。ミラ、エフィに迷惑をかけるなよ」
「迷惑じゃないし、女同士の秘密だから」
兄妹のやり取りを、エフィは一歩遠いところから見つめていた。楽しげに笑うミラの横顔に――
(違う)
はっきりと思った。
夢の声と、ミラは違う。ミラは感情豊かだ、あんな風に冷たい声を出したりしない――わかっているのに、エフィの胸に過る靄は消えてはくれなかった。思わず彼女から視線を逸らしてしまう。
「ねえこれ、兄さんは手伝ってないよね?」
ミラがひょこっと鍋の中を覗き込む。
「どういう意味だよ。俺だってな、料理くらいやろうと思えばできるぞ。この前は紅茶をちゃんと淹れられたし」
「ティーバッグ使ってるでしょ、淹れられて当たり前」
ミラに一刀両断で切り捨てられ、ルーカスが硬直した。その様子を見て、ナターシャが笑っている。アリステアは鍋のことを忘れていたエフィに代わり、焦げない程度にかき混ぜてくれていた。
いつもの日常に、エフィはようやく呼吸することを思い出す。
(……今度、確かめないと)
その決断をそっと胸の奥に仕舞ってから、エフィはあえて微笑んでみせた。
「ねえ、私からひとついいかしら」
揃っての朝食の後、声を上げたのはナターシャだった。
「街の様子を見に行きたいの」
唐突なナターシャの言葉に、話が見えなくてエフィは目を瞬かせた。リビングを見回すと、ルーカスたちは真剣な表情を浮かべてナターシャを見つめていた。
「そうだね」
アリステアが静かに肯定する。
エフィはようやく、墜落していく飛行船で自分が何をしたかを思い出す。
強張っていた肩が、すとんと落ちた。
「……良かった」
真っ先に出たのがそれだった。あの船に一緒に乗っていた人々の顔が、浮かんでは消える。
「みんな、助かったんだね」
エフィの呟きに、ミラが頷きで返してくれる。
あの時、全身を強かに打ちつけたはずだが、その痛みはすでにすっかり消えていた。あんな高さからほとんど墜落するように落ちたのに打撲程度で済んだのは、奇跡としか言い様がない。
(だけど……喜んでばかりはいられない)
――魔女が、世の理を乱しているのだと。彼女を捕らえ、女王に捧げなければ安寧は訪れないと!
操縦士の放った言葉が、まだ耳の奥で反響しているようだった。エフィはナターシャに目を向ける。
「ナターシャさん。魔女が予言を破る存在だと、人々は……知ってしまいましたよね」
「……そうね」
ナターシャは言いにくそうに小声になりつつも、こちらから視線は逸らさなかった。
「街の様子を確認した方がいいと思うわ」
「俺も同感。多分、かなりの騒ぎになってるんじゃないかと思う」
ルーカスがテーブルに乗っていた今朝の新聞を、エフィへと手渡す。一面の一番目立つところに、飛行船不時着事故のことが掲載されていた。
(予言を破る魔女、現る――)
エフィは見出しを、心の中だけで読み上げる。
リビングに沈黙が落ちた。会話に加わらなかったアリステアは何かを考え込むように明後日の方向を見ている。ミラはルーカスを見上げ、表情を曇らせていた。
エフィが返事を躊躇ったのは、ほんの僅かのことだった。
「私も行きたい」
「やめといた方がいいんじゃないか」
ルーカスが新聞の一面、記事の最後の一節を示す。
『魔女を見つけた者、魔女の情報を持つ者は星府に届け出ること。報償金は金貨100枚』
記された報償金を見て、エフィは息を呑む。星府が『魔女』を本気で捕まえようとしていることが伝わってくる。強い力で握りすぎて、新聞にくしゃりと皺が寄った。
「今まで以上に星府は魔女に固執してる。エフィが行くのは危ないんじゃないか」
そう発言したルーカスに、アリステアが呆れたような視線を向ける。
「ルーカスは過保護過ぎ。エフィが決めることだよ」
「だよね。わたしへの対応とまるで一緒」
図星を突かれたのか、ルーカスの視線が泳ぐ。エフィは新聞をテーブルに置いて、彼に向き直った。
平凡な自分が、星府という強大な組織に追われる――その事実を思うと、胸を冷たいものが過る。だから、ルーカスが気にかけてくれることには、素直に心が温かくなった。
「ルーカスは心配してくれてるんだよね、ありがとう。でもね――」
守られるためにここにいる訳じゃない。
(ルーカスだって、覚えてるでしょ?)
そんな気持ちで彼を見つめる。
「私、自分の目で確めたい。自分のしたことだから」
「エフィ……」
ルーカスが呟く。エフィは笑ってみせる。多分、彼にはこれで通じるだろう。
ルーカスは口を開きかけて、閉じた。記憶にある限り、一番に苦い顔を晒している。それでもただ、彼の返事を待った。
「……わかったよ。だけど、俺も行くぞ? 淑女にはエスコート役が必要だからな」
そう言った彼の顔には、もう苦さはない。代わりにいつもの不敵な笑顔が戻ってきていた。
「うん、ルーカスがいてくれたら心強いよ。改めてよろしく」
エフィとルーカスが握手をするすぐ隣で、アリステアは無言で立ち上がった。仕込み杖を持ち、玄関扉の前まで歩いていく。
「アリステアも来てくれるの?」
「僕も、街の様子を見たいと思っていたから」
「素直に『エフィが心配』って言えばいいのにな」
ルーカスが小声で呟く。距離が遠いアリステアには聞こえないであろう声量だったのに――
「聞こえてるよ」
アリステアが鋭く言って、ルーカスを睨む。
「マジか。これ聞こえるのかよ」
ルーカスが項垂れながら、玄関へと向かう。ナターシャがその後に続いた。
アリステアが『心配』を否定しなかったことがこそばゆい。緩みそうになった表情を引き締め、慌てて真面目な表情を作る。
ルーカスが壁際のコートラックから自分の帽子を取り、エフィに被せた。視界が狭く、暗くなる。
サイズが大きいから、図らずとも目深に被るような形になってしまう。紅茶に似た、彼の香りに包まれた。
「ま、多少は正体、隠そうぜ」
「うん、ありがとう」
エフィは微笑みながらお礼を言った。もう少しものが見えるように、さっと位置を調整する。
「わたしは留守番してる。気をつけて」
ミラに見送られながら、エフィたちは揃って家を出た。




