5-1:夢の中の貴方
これは夢だ。
エフィはそう認識できていたのに、目を開けることができなかった。体全体が鉛になってしまったかのように重く、身動きひとつ取ることができなかった。
「愚かなことですね」
感情を抑えた、少女特有の高い声が響く。その声を、エフィはどこかで聞いたことがある気がした。
どこか。
とても、身近なところで。
「眠るエフィには何もできません。なのになぜ、貴方は彼女に期待をしているのですか?」
少女が歌うように滑らかに告げる。話しかけられた相手は何も言わず、ただ深く息を吐いた。
それが――
(嫌だな……)
どうしてか、そう思った。
*
窓から差し込む日差しが瞼に突き刺さり、エフィはゆっくりと目を開けた。飛び込んできたのは、見慣れた自分の部屋の光景。夢で感じていた心のざわつきがまだ残っていて、目を瞬かせた。
「またやっちゃった……」
呟いて、頭を抱えた。
ミラを守ろうとして咄嗟に放った魔法は、エフィの限界を越えていた。その判断を後悔しているとは言わないが、ミラを守る、それだけで終わってしまっている。
(もっとしっかりしなきゃ。ここには、兄様はいない。私しかいないんだから)
ぱちんと両頬を軽く叩き、気合いを入れ直す。ドレッサーの鏡に映る自分の顔は、はじめてエルシオンに来たときとは、どこか違って見えた。
エフィはベッドから抜け出し、ルーカスの家へと向かった。リビングへ続くドアノブに手をかけた瞬間、なぜか夢の残渣が心を過る。
無機質な声と、ため息。
あれは夢だとわかっている。エフィが自宅にいる以上、あの後ルーカスたちが気絶した自分を連れ帰ってくれたのだと理解もしている。
それでも訳もなく不安になって、扉を開けることができなかった。エフィは耳を扉にくっつけるようにして中の様子を伺う。
リビングからはとんとんと規則的な音がしていたが、それがふと、止まる。
「芋は切ったよ」
まず響いたのは、端的なアリステアの声だった。まさか、彼が包丁を握っているのだろうか。
(エプロン姿のアリステア……想像できないかも)
扉の向こうの光景を勝手に想像して、エフィは笑った。
「……何か、違う気がするわ」
続くのは、自信無さげなナターシャの声。
「僕もそう思う。エフィが切ったものとは形が違う。でも、この方が効率よく全体に熱を通せるはずだよね?」
「そりゃそうだけど。ソレ、あんまり美味しそうに見えないぞ」
苦言を呈しているのはルーカスだ。みんなが家で変わらない日常を送っているらしいことに、エフィはほっとした。ようやく夢の余韻がほどけていく。
「……エフィに聞いてみればいい」
アリステアの声と、足音。それは迷わずこちらに向かってきて、躊躇いなくエフィの目の前にある扉を開けた。完全に寄りかかっていたエフィは支えを失い、倒れ込みそうになる。
アリステアはいつも通りの無表情で、ルーカスとナターシャは驚いた顔で、こちらを見ていた。
「エフィ! 起きたのか!」
ルーカスが嬉そうに名前を呼んだ。
「……えっと、気付いてた?」
恥ずかしさといたたまれなさをを隠すように、曖昧に笑った。アリステアは真顔で頷く。エフィの想像通り、彼はやけに可愛らしい花柄のエプロンを身に付けていた。
(意外と、似合ってるかも)
うっかり笑いそうになり、慌てて表情を引き締める。ここで笑ったら確実にアリステアに眉をひそめられてしまう。
「気付くよ。足音が聞こえてた」
「そんなことまでわかるの? 暗殺者みたいで怖いわね……」
ナターシャの発言に、耐えられなくなったルーカスが吹き出した。アリステアが息を吐いて、無言でルーカスに視線を向ける。
「視線怖っ! それよりエフィ、こっちに来てくれよ。アリスの芸術作品だぞ」
ルーカスは火にかけられている鍋の前に、ナターシャは食器棚の近くに、それぞれ立っていた。アリステアを含めたこの3人が料理をする——なぜだろう、不穏な予感しかしなかった。
ルーカスの手招きに従って、エフィはキッチンへと向かい、まな板の上を見た。
「こ、これは……?」
エフィは目を見開く。
ルーカスの言葉は、過不足なく正しかった。そこには、皮を剥いた芋が、正確な立方体となって鎮座していた。端以外、形や大きさが違うところが見当たらない。
「芋だけど。なるべく小さく、均一に切った方が火の通りが良いよね」
アリステアが解説してくれる。ルーカスとナターシャに不満そうにされたのがよほど効いているのか、彼は珍しく唇を尖らせていた。
「でもこれ、スープに入れるんだよね? こんなに小さいと、形が崩れて混ぜている間に無くなっちゃうんじゃないかな」
エフィはルーカスと場所を替わり、沸騰している鍋にアリステアの作品を投入した。かき混ぜている間に煮えた芋は角が取れ、どんどん小さくなっていく。
「……本当だ。失敗だね」
アリステアが鍋を覗き込んで、感心したように呟いた。
「別に大丈夫だよ。ポタージュだと思えば」
エフィは笑って、木べらで芋を潰し、形を無くしていく。その様子を、アリステアは瞬きもせずに見守っていた。
「うまそうだな。やっぱりエフィがいてくれて助かるな!」
「私こそ、みんなに助けられてばっかりだよ。今回だって、結局無茶をしちゃったし……」
エフィは鍋の中に視線を落とした。
「いや、エフィはよくやったと思うぞ。飛行船を不時着まで持っていけたのは、間違いなく君の功績だ」
ルーカスがいつもミラにしているように、エフィの頭に軽く手を乗せる。
「そうだね。あの船に乗っていた人たちは、多くがエフィに感謝していたよ」
アリステアの言葉に、エフィは肩の荷が降りたような心地になる。
「そっか……良かった」
魔法ではなくて、ミラやみんなの気持ちが、運命を書き換える一番の力になった。胸がいっぱいになり、込み上げる何かを誤魔化すようにエフィは目を閉じた。
ちょうどその時、リビングに小さな人影が姿を現した。
「あ、エフィさん! 良かった……!」
明るく声を上げたミラの声に、エフィの全身が強張る。目を開けて、彼女の方へと視線を向ける。彼女はいつもと変わらない、明るい笑顔を浮かべてそこに立っている。
エフィは鍋を混ぜる手を止めていた。
彼女の声は、夢の中の少女の声と、とてもよく、似ていた。




