4-12:逃避行
墜落現場から走り去り、どれほど時間が流れただろうか。今のところ追っ手の姿はない。
星府は予言にあること以外の事態に弱いから、まだ混乱していて上手く連携が取れていないのかもしれないと推測した。
走りながら上を見る。建物の間から僅かに見える灰色の空、そこにまだ星府の飛行船は君臨し続けていた。星府は魔女の確保を諦めてはいない。油断はできなかった。
「ごめん、ちょっと、待って」
荒い呼吸の合間に聞こえた微かな声に、アリステアは足を止める。振り向くと、かなり後方を走っていたミラとナターシャが、よろよろとした動きで近付いてきた。
ふたりとも疲労困憊といった様子で、肩で大きく息をしている。
「……少し休もうか」
アリステアが言うと、ふたりはあからさまに表情を緩める。彼女たちが普通の女性であることを完全に失念していた。
エフィは何も言わずにアリステアやルーカスのペースに合わせていたから、『普通』の基準が鈍っていたかもしれない。
(ルーカスなら、もっと早くに気付いていただろうな)
ここにいない男のことを考える。彼は大胆不敵に見えるが、案外きちんと周囲を見て行動している。
座り込むふたりを眺めながら、アリステアは周囲の気配に意識を傾けた。大通りから一本奥に入った路地のため、街の喧騒が聞こえてくる。慌ただしい靴音はない。
それを確かめて、アリステアは一度エフィを下ろす。彼女はまだ、目を覚ます気配がなかった。
「エフィは大丈夫なの?」
ナターシャが心配そうにエフィに視線を向けている。
「エフィは魔力が無くなるまで魔法を使うと気絶するらしい。前も一度見たことがある」
「うん。その時は、1日くらい目覚めなかった」
アリステアとミラの言葉に、ナターシャは表情を曇らせた。こちらに近付いてきて、改めてエフィの側でしゃがむ。
「……無理をさせてしまったのね」
呟きながら、ナターシャがエフィの頬についた煤汚れを優しく落としてやっている。
今この場にいる者で、満足に動けるのはアリステアだけだ。もしも今、ヤードに遭遇したら、手段を選んではいられない。
無意識に、腰ベルトに引っ掛けた仕込み杖の柄に触れていた。あまり誰かの予言をねじ曲げたくはないが、エフィを——ここにいる3人を守ることには、代えられない。
(必要なら、やる)
迷いを殺し、覚悟を決める。
「兄さん、大丈夫かな」
だいぶ呼吸が落ち着いてきたミラが、ぽつりと呟いた。あてもなく周囲を見回している姿は、迷子の子供のようだった。
「気になるわよね」
「うん。助けに行ってあげたいけど……」
ミラが言葉を濁す。エフィを見下ろす彼女の眼差しは揺れている。アリステアはあえて、仕込み杖を軽く抜いてすぐに戻した。金属音が鳴る。ミラとナターシャがこちらを見た。
「様子を見てくる。エフィのことをお願い」
「ヤードが来たらどうするの?」
「閃光弾を持ってるよね。あれを使ってくれればすぐに戻ってくる。僕が戻るまで、この場を動かないでいてほしい」
回答を補足するように、アリステアは軽く仕込み杖を持ち上げてみせた。何かあれば、ヤードを力で排除することも厭わないという意思表示。
ナターシャには意図が正しく伝わったのか、息を呑んだ。ミラはぴんときていないようで、軽く首を傾げている。
「……わかったわ」
ナターシャがミラに寄り添うように近寄った。それを見届けてから、アリステアは踵を返して走り出す。
大通りを避け、人気のない廃工場が立ち並ぶ区域へと向かった。錆び付いた金属片が散らかり、植物が舗装を割るように逞しく生えていて、随分昔に放棄されたとわかる。
こういう時、ルーカスは人を巻き込むことを疎むことはよく知っている。それに、エフィを連れたアリステアたちが逃げる可能性が高い、自宅の方角は避けるだろう。
推測ばかりの道の先、複数の慌ただしい足音を聞いて、アリステアは足を早めた。
前方の十字路、腐食した柱の陰から、人影が飛び出してくる。黒髪の男――ルーカスは、アリステアを見て一瞬体を仰け反らせた。ついでに足元にある金属片を思いっきり踏みつけ、体勢を崩す。
「うわ! ……って、アリスか」
彼は両手で宙を掻き、何とか踏み留まった。明らかにわざとだとわかるため息をついてみせる。
「あー、もう、脅かすなよ」
「ルーカスは驚きすぎ。見ればわかるよね」
「いや認識するまで時間かかるだろ!?」
と言いつつ、ルーカスはいつも通り、にやっと笑った。
「ま、アリスとも合流できたし、そろそろ追いかけっこを終わりにする頃合いか?」
言いながら、彼は自分が今来た十字路を振り向く。4人分の足音が、寂れた工場跡に大きく響く。
角を曲がってきたヤードが、不敵に笑うルーカスを見て目を見開いた。先ほどのルーカスと同じように、ヤードは地面の植物に足を滑らせ、僅かに姿勢を乱した。
相手の方が数が多いとはいえ、不意打ちで潰せばそれだけこちらが有利になる。アリステアは仕込み杖を抜くのと同時に突き出した。
狙いは、一番手前にいたヤードだ。
銀の輝きが右の手首を浅く裂く。痛みで剣を取り落としたヤードはそのまま放置。
呆気に取られ、動きが鈍っている次の男へと迫る。彼はアリステアの姿を認め、慌てて真正面で剣を構えようと腕を動かすが――
「遅い」
呟きと共に、身を低くしてがら空きの脇腹を狙う。手応えと共に赤いものが舞った。内臓には達しない傷だが、彼は大袈裟に傷口を押さえ、地面に転がる。
人を斬る覚悟はある。それでも、命を奪わないよう細心の注意を払う。
「アリス!」
ルーカスの声。考えるよりも先に体が動く。アリステアは一歩右へと跳び退く。3人目の剣の切っ先が、フロックコートの袖口を僅かに切り裂く。鈍い痛みを覚えて顔をしかめる。熱い雫が手のひらを伝い、地面へとこぼれた。
やってやったぞ、とばかりにヤードが笑みを浮かべた。




