4-9:運命を変えるものは
ミラの言葉を聞いて、その場の全員が硬直した。
「悲しむ、人……」
うわ言のように、誰かが呟く。どよめきが広がる。
「……そう。わたしが死んだら、きっと兄さんは悲しむ。すこく泣くし、この世に絶望しちゃうかも。……わたしは、兄さんにそんな思いをして欲しくない」
「ミラ……ええ、そうね」
穏やかな声で兄への信頼を告げるミラに、ナターシャが声をかけている。
「……私もお母様に、とても辛い思いをさせてしまっているわ」
ナターシャが青い顔を上げて、はっきりと言う。それを聞いて、何人かが俯き、また何人かが拳を握った。
「最後に会った時、悲しそうだった」
誰かが、声をあげた。
「もう一度、家に帰りたい……」
「死にたく、ない」
空気が塗り替えられていく感覚を、エフィは朦朧としつつある意識の中でもはっきりと味わった。
(運命を変えるのは、魔法だけじゃない)
そう、思った。
「お、おい、お前ら星府に逆らうつもりなのか……?」
反論が響く。動き始めた空気を切り裂くには頼りない声。操縦士の元へ、人々の視線が殺到する。
「予言が絶対なら、『魔女』なんて存在しない……」
「そうよ、星府は彼女を恐れてる」
「彼女は本物だ!」
魔女を否定する者、信じる者、船上は様々な意見をもつ人々の声で満ちる。そんな中で、操縦士だけが口を閉ざし、視線を声をあげた少女へと向けていた。少女もまた、彼だけを見つめていた。
「お兄ちゃんなら、みんなを助けられるんでしょ……?」
真っ直ぐに少女に語りかけられ、操縦士はびくりと身を震わせた。
「……俺は」
呻くような声。大勢の人々が、祈るような目で彼の一挙一動を見守っている。
震える指が、舵へと伸ばされる。ゆっくりと、けれど確実に。それを握り、僅かに指を引っ込める。
「もう一度、娘に会いたい」
呟いて、もう一度掴んだ。彼は泣きそうな顔で笑う。それを見て、ミラも同じ顔で笑っていた。
「なあ、あんた、手伝ってくれないか」
「……わたし?」
ミラが目を丸くして、操縦士を見た。
「ああ。船体を安定させるために、副操縦士がいてくれた方がいい」
「操縦なんて、したことない」
「大丈夫。俺が教える」
ミラはおずおずと頷いて、操縦士と場所を入れ替わった。
「舵を握れ。傾けた方向に曲がる。調整は俺がするから、進む方向だけ意識してくれればいい」
「わかった」
ミラが頷き、背伸びをしながら舵を握る。操縦士はその隣で、計器類をチェックし始める。揺れと傾きが僅かに改善され、人々から安堵の息が漏れる。
エフィの負担も軽くなり、大きく息を吐く。
「少しでもバランスを取りやすいように、少しずつ後方に移動していくのはどうかしら」
ナターシャの提案に、操縦士が頷く。それを見た人々は、まだ傾いている甲板を這うようにして、慎重に船尾の方へと移動していく。
「ねえ、さっきの発着場に戻る?」
ミラは横目で地上の発着場を確認して、操縦士に問いかける。
「いや、それには大幅に飛行船の向きを変えなきゃならない。魔女がそこまで保たないだろ」
「じゃあ、どうする?」
「……川に、不時着するしかないだろうな」
それを聞いた瞬間、ミラとナターシャの顔がはっきりと強張った。
(不時着……)
空飛ぶ乗り物自体に縁がないエフィにはその言葉の重大さがわからない。が、ふたりの顔色からきっと危険な着陸方法なのだろうとわかる。
「危険だが……市街地に墜ちるよりはいい」
「……そうだね」
ミラは舵を握り直す。彼女の視線は、真っ直ぐにエルシオン市内を流れる川を見つめていた。川幅は十分に広く、上手く着水できれば助かる可能性はあるような気がする。
「橋はどうする? 着水しても、勢いを殺しきれなくて橋に激突するかもしれない」
「君、本当に素人か?」
操縦士は笑った。
「もう少し行った先に、橋が長いこと無いポイントがある。狙うならそこだ」
「わかった」
ミラがゆっくりと舵を切る。川に沿わせるように飛行船の進路を変えていく。
まだ水面までは距離がある。エフィの魔力が底を尽きかけ、供給が途切れがちになる。船が大きく揺れた。
「ミラ、気をつけて!」
ナターシャの声が響く。エフィが周囲を見回すと、遠くの空に一隻の飛行船が浮かんでいるのが見えた。こちらの飛行船よりも大型で、きらびやかに飾られている。
「星府の飛行船だわ」
ナターシャは、その飛行船を睨んだ。人々の顔に恐怖が広がる。星府の飛行船には、巨大な銃のような筒が配備されていた。そこから鉛玉が発射されるような気がしてならない。
この船よりも速いのか、どんどんと船影が近付いてくる。
(まさか、予言通り墜落させるために撃ってくるつもり……?)
エフィは恐ろしい予感に身構えた。
しかし、星府の飛行船は沈黙を保っている。こちらを見下ろすように位置取りをしたまま、何かをしてくる気配はない。
気付けば、水面が迫りつつあった。突っ込んでくる飛行船に気付いたのか、地上の馬車や自動車は我先にと川から遠ざかろうとしている。
無人になった橋に、飛行船の船底が掠めた。破壊音と共に、船体すべてが大きく揺れる。
「着水する! 捕まって!」
ミラの声に、全員が一斉に動いた。エフィも残りの力を振り絞るようにして、配管にしがみつく。
それと同時に、今までで一番大きな衝撃が襲ってきた。悲鳴と、何かが壊れる音。火薬の臭いが満ちると共に、爆発が起こる。エフィが掴んでいた配管が根元から折れ、熱風と共に体が吹き飛ばされた。
船縁に叩き付けられ、息が止まる。霞む視界で上を見上げた。星府の飛行船が上空を横切っていく。例の筒の奥で、火花が弾けた。銃弾とは比べ物にならない大きさの鉛玉が、こちらへと迫る。
「伏せて!」
ナターシャの声が、人々の悲鳴を上書きするように大きく響いた。
飛行船のすぐそばの水面に、鉛玉が着弾する。水飛沫が上がり、二度目の衝撃。エフィの体は甲板を転がり、背中を強かに打ち付けた。
同じように、ミラが吹き飛ばされていくのが見える。その小さな体が、船縁を飛び越えて川へと落下しそうになる――
「みら……」
掠れた声が漏れる。ほとんど無意識のうちに、魔法を発動させていた。ミラの体を包み込むように、光の結界が展開される。
ミラを、誰かが助け起こしている。それを見届けた頃には、体中の魔力が尽きて、エフィの意識は途切れそうになっていた。
その直後――
「エフィ、よく頑張ったな」
頼もしい声が響く。エフィの頭に、あたたかい手がそっと触れた気がした。
(ルーカス……)
その名前が呟かれることはなく、エフィの意識は深いところへと落ちていった。




