3-19:兄の遺したもの
機密とされている星府塔の内部構造が、兄の残した地図に記されている――
その事実を、エフィははじめ、上手く呑み込むことができなかった。
リビングに冷たい沈黙が落ちる。ルーカスが地図を一度じっくりと観察してから、アリステアを見た。
「なんでそう思う?」
「記されている階段が小さい。縮尺を考えると、かなり大きな建物だとわかる。それに円形と思われる外観。それを加味すると、当てはまる建物は星府塔以外にはない」
アリステアはきっぱりと言いきった。ルーカスの視線がナターシャへと移ろう。彼女もまた、強張った顔で重々しく頷いてから、口を開く。
「つけ加えると、星府の上層部――刻星機がある中枢部の地図、だと思うわ。私も、一度しか入ったことがないから、断言はできないけれど……」
ナターシャがほっそりとした指先で、地図の中央に記された正円をとん、と叩いた。
「この丸が刻星機なのか?」
「恐らく。元星詠み士とはいっても、実物は見たことがないのよ。刻星機は天球儀を模した、美しい円形の機械だと聞いているわ」
ナターシャの言葉が、ゆっくりと心に落ちてくる。エフィは擦りきれた地図の端を、意味もなくなぞった。
「エルシオンの機密そのものであるこれを、エフィのお兄さんが持っていた……」
ナターシャがそこで言葉を途切れさせる。
(兄様は、このエルシオンに深く関わっている)
彼女の言葉の続きを、エフィは心の中で呟く。
覚悟していたことだった。それでもはっきりと突きつけられると、心の揺れを抑えられない自分がいることに気付く。
深く息を吸って、吐き出した。それすら震えて、不規則な呼吸となる。
「エフィ……」
ルーカスが名前を読んだ。エフィは地図から顔を上げる。琥珀色の瞳と、気遣わしげな声色――いつも明るい彼に、こんな表情をさせたくなかった。
(これは、私の問題だから)
指が白くなるくらい、強く握った。アリステアが地図から視線を外し、こちらを見る。
「ルーカス、私は大丈夫だよ。……その中枢って、ナターシャさんが入れないくらいだから、限られた人しか入れない。そういうことでいいんですよね?」
「ええ。少なくとも一般職員は入職時に軽く案内される程度で、入り口部分しか見ることはできないわ」
ナターシャが顎に手を当て、考え込む。
「奥まで入れるとしたら、星府の高官か女王陛下、それから彼女を守る近衛騎士くらいでしょうね」
彼女が挙げたのは、どれも兄とは直接繋がらなさそうな役職ばかり。エフィの知る兄は、明るくどこか抜けていて、でも頼りになる自慢の家族だったのに――
(兄様は、どこにいるの)
地図に向かって問いかけても、答えはない。黄ばんだ紙がエフィの祈りを嘲笑う。
「近衛騎士? あんなの名誉職だろ?」
「下っ端はね。女王陛下に近い側には、実力も地位もあるよ」
アリステアが淡々と返す。ナターシャは言葉なく、呆れたようにルーカスを見た。
「さすが、アリスは博識だな」
「常識だよ」
アリステアの言葉に、ルーカスはにっと笑った。その笑顔を見て、アリステアが僅かに肩の力を抜く。
「とにかく、その中にエフィのお兄さんがいる可能性があるんじゃないかしら」
「どいつもこいつも接触しにくそうな奴ばっかりだな。ナターシャは星府塔でエフィに似た男を見なかったか?」
「……記憶の限りでは、覚えがないわ」
だよなあ、と肩を落としているルーカス。その横で、ミラが食い入るように地図に視線を走らせているのに気が付いた。
そういえば、彼女はこの話が始まってからずっと、口を閉ざしている。
「ミラ? どうしたの?」
エフィが声をかけると、ミラは弾かれたように顔を上げる。全員の視線がミラに集中し、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「……あのね、この地図、何かを消した跡があるなって思った」
「消した跡?」
ルーカスに示すように、ミラは地図の一点を指差す。中央にある刻星機と思われる正円、それが鎮座している空間と隣を通る廊下の間の壁に、うっすらとインクらしきものの跡が残っている。
エフィはその跡をなぞるように触れた。何も書かれていない白紙の部分に比べ、そこは僅かに凹んでいる。
アリステアとナターシャも、身を乗り出すようにして地図を凝視した。
「まさか、隠し通路か?」
「わからないけど、そうかも。この廊下と刻星機がある広い部屋を繋いでるみたいに見える」
「刻星機は星府にとって重要な蒸気機関なのに、こんな風に直接行ける通路なんて作るのかな……?」
エフィの疑問に、アリステアが青い瞳を細めた。
「普通はないだろうね。……この地図を作った人間が意図的に用意したもの、なんじゃないかな」
「……それが兄様かもしれない、ってことだよね」
誰も、返事をしなかった。アリステアとミラは地図を眺め、ルーカスとナターシャは心配そうにエフィを見つめている。
彼らの沈黙こそが、何よりも肯定を表しているように思えた。
(兄様……)
兄が何を考えていたのか、エフィにはまたわからなくなった。心は波打つようにざわめいている。
それでもエフィは、努めて前を向く。
「みんな、ありがとう。おかげでひとつ、兄様のことを知ることができたよ」
そう言って微笑む。兄のことがわからないのは怖い。それと同時に、この場にいるみんなに感謝しているのもまた、本当の気持ちだった。
「この地図はエフィが持っててくれ。かなり貴重なものだから、無くさないようにな」
ルーカスが丁寧に地図を折り畳み、エフィに差し出してくれる。皺にならないよう、そっと胸に抱きしめた。
ルーカスとミラが「ブレスレットの解析を続けるから」と言ってルーカスの部屋へと消え、ナターシャが「少し外の風に当たってくるわ」と出ていったので、リビングにはエフィとアリステアのふたりが残された。
彼は椅子に座ったまま、固い表情で沈黙を守っている。顔色がいつもよりも悪い気がした。
「アリステア、体は大丈夫?」
問いかけると、アリステアは無言で、しかしはっきりと頷いてみせた。
彼は口を開かない。何をするでもなく机に視線を向け続けている。彼のことが気になって、エフィは席を立てなかった。どうにも落ち着かない。四つ折りにされた地図を、手の中で弄ぶ。
そのまま、どれほどの時間が流れただろうか。
「エフィ」
ふいにアリステアが名前を呼んだ。顔を上げると、彼の青い瞳と視線が交わった。彼は姿勢を正し、体ごとこちらを向いている。
「君に話しておきたいことがある」
改まった態度。硬い声色。
そこから感じる緊張に、エフィもまた彼の方に向き直る。
「僕の死について」
彼の宣言が、静かにリビングにこだました。




