3-18:地図の正体
昼食の後、エフィはアリステアの部屋を訪れていた。彼はまだ目覚めた形跡がなく、ベッドに運んだ時と全く同じ体勢で眠っている。規則的に胸が上下しているのを見て、エフィは息を吐いた。
そのまま、ベッドサイドに置いてある椅子に腰かける。頬杖を突くようにして、何とはなしにアリステアに視線を向けた。
「初めてここに来た時とは、立場が逆だね」
眠り続けるアリステアに話しかけた。もちろん返事はない。いつも冷静でしっかりしている彼が無防備な姿を晒しているのを見て、エフィの体からも不思議と力が抜けていく。
(アリステアも人間、なんだよね)
そんな当たり前のことを思う。あの夜見てしまった彼の古傷が、脳裏に焼き付いたように離れない。そこそこ長い間一緒に暮らしているのに、エフィはアリステアのことをあまりにも知らなかった。
アリステアは予言に反したルーカスを守ったり、ナターシャのことで悩んでいたエフィの背中を押してくれた。他人の選択を肯定するのに、自分自身の予言もまた肯定する。
その姿勢が、エフィにはわからない。
友人であるルーカスなら、知っているのだろうか。
「僕が死ぬのはここじゃない、か」
彼の口癖を呟いてから、部屋の中をぐるりと見回した。ルーカスの部屋とはまるで違う。ものがあまりなく、きちんと整理整頓されていて、ほとんど生活感がない。がらんとした灰色。それが、彼が意識し続けているらしい『死』を思わせて、身震いした。
そんな思考を切り裂くように、シーツが擦れる小さな音が聞こえた。視線を戻すと、アリステアの体が僅かに動いた。
エフィが見守る中、睫毛が震え、目がゆっくりと開かれる。
「アリステア……!」
名前を呼ぶと、彼がその青い瞳をこちらへと向けた。ぱちぱちと瞬きをした後、表情がふわりと和らぐ。
「君は、無事だね」
「うん。……って、私は大丈夫に決まってるでしょ。重傷者はアリステアだったんだから」
彼はエフィの言葉を聞いて、納得できないとでも言いたげに眉を寄せた。
「君は無茶ばかりするから」
「いや、アリステアだってそうでしょ? 僕は死なないから、って」
「……君とは、違うよ」
低く、掠れた声で彼は言う。
「君は元々、戦いの訓練を積んだ人間じゃない。それに星府に狙われている立場だ。だから……」
アリステアの言葉が、途切れた。続きの台詞を探すように視線が彷徨う。しかし何も思いつかなかったのか、しばらく沈黙が続いた。
「……もしかして、心配してくれてる?」
エフィが指摘すると、アリステアは青い瞳を丸くした。
「心配」
口の中で、彼はエフィの言葉を小さく繰り返す。
「よく、わからない。君には……生きていて欲しい。ただそう思う」
「え、えーと」
思いの外、真っ直ぐ過ぎる言葉に慌ててしまう。顔が赤いのは誤魔化しきれていないだろうが、咳払いをしつつ、真剣な表情を作る。
「私だって、アリステアに生きてて欲しいって思ってるんだから」
感情というものが甚だ乏しそうな彼にも伝わるよう、同じ気持ちを返す。アリステアは髪紐を手で弄んでから、小さく頷いた。
伝わった、だろうか。
「……予言を破って死ななかったのは、君のお陰だね」
目覚めても、アリステアは何も変わっていなかった。いっそ笑いたくなってしまうくらいに。
「そうだよ! 感謝して」
あえて眉尻を上げて、彼を睨む。アリステアは淡い笑みを崩さなかった。
彼はゆっくりと上体を起こす。いきなり動いて大丈夫かと焦り、手を出しかけるが、杞憂に終わった。アリステアはベッドに座り、目の前にいるエフィに頭を下げる。
「ありがとう。君はいつも、僕を助けてくれるね」
「……いつもってほど、助けてる?」
「僕にとってはそうだから」
感情の籠った声。耳をくすぐるそれが心地よくて、エフィの表情も緩んでしまいそうになる。
「助けられてるのは私の方だよ。あとルーカスも、アリステアに大いに助けられてると思う」
「……そうだね。ルーカスは放っておけない。初めて会った時からそうだった」
アリステアはいつになく柔らかい声と笑顔でそう言った。
「あ、その話聞きたい。ふたりの馴れ初め」
「それは誤解を招く言い方だよ。……知りたいなら、ルーカスに聞いたらいい」
「え? なんで? アリステアは教えてくれないの?」
「他人のやらかしを勝手に吹聴することはできない」
「……なるほど?」
アリステアはふと、笑みを消した。真面目で、何を考えているか読みにくい表情。いつも通りのアリステアだ。
だが、彼が纏う空気の変化に、エフィはきゅっと心が握られたように苦しくなった。
「あ、ねえ、何か食べる? お腹空いてるでしょ」
あえて明るい声を出す。彼は大怪我をして、今目覚めたばかりなのだ。穏やかな時間が少しでも長く続けばいい。
そんなエフィの甘えを――
「……ねえ、エフィ。君はどうしたい?」
アリステアは迷いなく切り捨てた。青い瞳が強い光を帯びてこちらを見つめていて、縫い止められたように動けなくなる。
灰色の部屋の中、音もなくふたりは見つめ合った。
(――優しくない)
そう思った。彼は自分に優しくない。抜き身の剣のように、自分の思う道を切り開いていく。そしてきっと、彼自身の身は振り返らない。
エフィは椅子に座り直し、姿勢を正した。
「……地図のこと、だよね?」
「もしかして、ナターシャからもう聞いた?」
「詳しくは、まだ。でも、聞いたらもう戻れないって言われた」
アリステアは頷いて肯定した。
彼は真顔のまま無言を守っている。続きを、エフィの言葉を待っている。
兄の顔が浮かんでから、消えた。ゆっくりと口を開く。
「私は……もう、知らずにはいられないと思う」
薄々わかっているのだ。アリステアたちは、兄が残した地図に心当たりがある。このエルシオンと兄にはきっと、エフィが予想する以上に深い繋がりがあるのだろう。
それを知ってしまったら、きっともう何も知らなかった頃には戻れない。兄とふたりきりの、平凡な生活は崩れ去るだろう。
(わかってる。それでも、私は――)
アリステアと一緒に進むことを選ぶ。エフィはもうとっくに、この街に暮らすひとりの存在になっていた。
「だから、教えて」
アリステアたちを巻き込んでいる以上、逃げることは許されない。エフィの返答に、彼はなぜか寂しげに微笑んだ。
「わかった」
「みんなにも共有したい。……いいよね?」
彼は、はっきりと頷いてみせた。
アリステアと共に部屋を出ると、リビングにはルーカスとミラ、ナターシャが揃っていた。
彼らの向かい側に、アリステアと並んで座る。テーブルの真ん中には、例の地図が置かれていた。
「お、生きてたか」
ルーカスがおどけたように言う。その横で、ミラはジト目でアリステアを睨んだ。
「アリステアさんはもう少し自分を大事にしなきゃダメ」
「いや、あの場面ではこれが最善の手だった」
言い返すアリステアに、ミラが唇を尖らせる。彼はミラを一瞥したが、意見を聞き入れるつもりはなさそうだった。
「そこまで。言い合っても仕方ないわ」
ナターシャが言いながら、こちらを見た。
「エフィは覚悟を決めたのね?」
「うん。……聞かせてくれますか?」
エフィは着席している面々をぐるりと見回した。どんな真実が待っていたとしても、ここにいる仲間たちに支えられ、向き合うことができる――そんな気がした。
「わかったわ。ところで……アリステアは、気付いてるのよね?」
ナターシャがアリステアに水を向ける。彼は何もないはずの地図の一点に、ずっと視線を落としていた。そこに滲む感情の答えが、エフィにはわからない。
アリステアは緩慢な動きで顔を上げる。
「うん」
彼の声は凪いでいた。全員がアリステアに注目する。
「この地図は、星府塔の構造を記したものだと思う。当然、一般には流出していない」
淀みのない回答に、エフィの呼吸が一瞬、止まった。




