3-14:鍵をもつ限り
彼はエフィの背に乗り、膝で押さえつけるようにして動きを封じてくる。体重をかけられ、唇から呻き声が漏れた。強い硝煙の香りが漂う。
男は鍵を握ったままのエフィの手を掴み、無理やり開かせようとしてきた。歯を食いしばって抵抗する。
(渡さない……っ!)
男の膝からの圧力が増し、エフィは思わず息を吐く。呼吸ができなくて、視界が霞む。それでも鍵だけは手放さない。意地だけで耐える。
「エフィ!」
アリステアの声と共に、再びの衝撃。エフィの上に乗っていた男を、アリステアが体当たりで排除した。ふたりは勢いのまま、石畳に転がる。
「大丈夫か?」
起き上がったルーカスが駆け寄ってきて、手を差し出してくれる。エフィがその手を取ると、力強く引っ張り上げられた。
「ありがとう……!」
エフィが振り向くと、ナターシャがボウガンで襲撃してきた男を狙おうとしていた。しかしアリステアがすぐ近くにいるためか、射撃に踏み切れずにいる。
男は金髪で、20代後半くらいの年頃に見えた。胸元が軽くはだけた服は、ヤードの制服とは違う。正確に配管を撃ち抜いた技術を鑑みると、きっと彼が研究所でエフィたちを狙撃してきた人物だろう。
「貴方は、反予言派?」
「『記されざる者』だ」
エフィの問いを、男が低い声で訂正した。言葉ひとつで場を掌握するかのような威圧感。彼から視線を外せなくなる。
「その鍵を渡せ。逃げきれると本気で思ってるのか?」
男が声を張り上げる。それを合図に、路地のあちこちから反予言派らしい男たちが現れた。目の前でエフィを見据えるこの金髪の男が、彼らのリーダーなのだろうか。
エフィは鍵を握り直し、リーダーらしき男を睨んだ。
「銃は使うな。大事なブツに傷をつけるわけにはいかない」
男の号令で、反予言派たちは一斉に携えていた剣を抜いた。統率が取れている。
「私には、どうしてもこれが必要なの」
エフィはあえて強い声を発する。この空気に呑まれたら負ける。そんな気がした。
「なら、無理やり貰い受けるだけだ」
その言い分に、ルーカスが眉をひそめる。彼の視線はリーダーの背後にいるアリステアに向けられている。アリステアが小さく頷く。
ルーカスが動くと察して、エフィも身構えた。
「それは、紳士的とは言い難い発言だな!」
ルーカスが叫ぶと同時に、こちらを包囲している反予言派に殴りかかる。振り下ろされた剣を飛び退くことで回避し、素早く懐に入り込んで鳩尾を突く。
「アリスに比べりゃ止まって見えるぜ」
ルーカスの軽口に、アリステアは返事をしなかった。彼もルーカスと同時に飛び出し、ただ黙々と反予言派を打ち倒していく。
ただ、普段よりも動きが鈍い。いつでも援護できるよう、エフィはアリステアの動きを注視していた。彼の背中に、リーダーが肉薄する。鈍色の剣が閃く。
「アリステア!」
考えている暇はなかった。エフィは咄嗟に魔法を発動させる。アリステアの姿がぶれ、彼が分裂したかのような虚像が生まれた。
「は!?」
幻に面食らったのか、リーダーの動きが一瞬止まる。その静止を、じっと息を潜めていたナターシャは見逃さない。ボウガンの矢が宙を切り裂き、リーダーの大腿に突き刺さる。
「チッ、痺れ薬か」
すぐに異変に気付いたらしいリーダーが、剣をナターシャに向けて投擲する。エフィは次の魔法を展開。剣が光の壁に突き刺さる。壁が硝子のようにあっけなく崩れ去る。その後ろ――ナターシャは無事だ。
リーダーの足が力を失い、体勢を崩す。
「まだだっ!」
彼は仕舞ったはずの銃を取り出し、不安定な姿勢のままで素早く引き金を引いた。予想外の弾はエフィの足のすぐ近くを飛翔し、石畳にぶつかる。
一拍遅れて、エフィの背筋が凍る。彼が体勢を崩していなければ、きっとエフィは撃たれていた――
(この人、本当に……かなりの腕だ)
それを確信して、全身が強張った。
「奴らを取り押さえろ!」
リーダーが叫ぶ。動きだそうとした反予言派を、アリステアが昏倒させる。彼の横をすり抜けてきたひとりが、エフィの手を掴んだ。
「やめて!」
エフィは咄嗟に力任せに張り払おうとした。その瞬間、アリステアの姿が目に入る。
(……違う。こういう時は――)
訓練した時のことを思い出し、エフィは手を捻り、相手の親指側に力を込めて一気に拘束から抜け出した。アリステア相手より、ずっと簡単だ。
「なっ!」
絶句し立ち止まった男に、ルーカスが飛びかかる。ルーカスを狙う反予言派は、アリステアが戦闘不能に追い込んだ。ふたりの連携で、瞬く間に反予言派は全員地面へと倒れ伏す。
「逃げるぞ」
ルーカスが促す。後を追おうとしたエフィは、視界が回って足を止めた。ナターシャがエフィに寄り添ってくれる。
普段なら限界で倒れていそうな魔力消費量だが、今日はなんとか意識を保つことができている。普段よりも魔力の回復が少しだけ早い。握っている鍵からあたたかな魔力を感じるからだろうか。
「大丈夫」
エフィは頭を振って、足を動かす。ルーカスが何も言わずに隣を走ってくれた。
「あの女、まさか『魔女』か……!」
そんなリーダーの声が聞こえたが、エフィが振り向くことはなかった。
配管の森のような工業区を抜けて、エフィたちは住宅街を走っていた。ルーカスの家まではまだ距離があるのに、夜はもう明け始めている。このまま逃亡を続ければ、民間人を巻き込んでしまうかもしれない。
走る4人分の足音が3人分になったことに気付き、エフィは振り向いた。最後尾を走るアリステアが足を止めている。顔は白く、呼吸が不規則に早い。
「少し休んだ方がいいな」
「……先に行って」
呼吸の合間に、小さな声が聞こえた。
「何言ってるんだよ。俺が休みたいんだ」
「私も。貴方たちと体力が一緒な訳ないでしょ?」
ルーカスとナターシャの言葉に、アリステアは何か言いたげにしていた。しかしルーカスが民家の壁にもたれかかったのを見て、無言で目を伏せた。
つかの間の、静かな時間が訪れる。靄に煙る薄色の空に、鐘が6回、厳かに響き渡った。
「どうする? さすがにそろそろ、ドミニクもあいつも追い着いてくるだろ」
ルーカスの言葉に、ナターシャが俯いた。
「ええ。予言にある限りヤードは諦めないわ。それに反予言派も追いかけてくるでしょうね」
「鍵を持っている限り、追われ続ける……よね」
エフィは呟いて、手の中で鈍く光を反射する鍵に目を落とした。兄の魔力が宿った、手がかりになる鍵。その冷たい感触を、ぎゅっと握りしめる。
「ヤードと反予言派が争ってくれればな……」
ルーカスがぼやく。
二勢力から逃げきる方法が見つからない。考え込んでいる間に、時間だけが過ぎていく。
壁際で休んでいたアリステアが、一番近くにいたエフィの服の裾を軽く引っ張った。視線で背後を示す。
「誰か来る」
エフィが振り向くと同時に、朝霧の向こうから、小さな足音が聞こえてきた。




