3-12:今、ここじゃない
正面出入り口は数名の警備兵によって守られていた。研究所から飛び出したエフィたちを見て、彼らは目を丸くする。恐らく正面側は襲撃に巻き込まれない予言だから、と油断しきっていたのだろう。
「通らせてもらうぞ、っと」
ルーカスに不意を突かれ、ひとりが打ち倒される。ルーカスに向けて銃を構えた警備兵に、アリステアが近付いた。仕込み杖の鞘で殴り、素早く意識を奪う。
その動きは、いつもより僅かにぎこちない。そもそも普段のアリステアなら、相手に銃を構えさせるような猶予は与えないだろう。
(アリステア……)
最初は先ほど負傷した左腕を庇っているのかと思った。だけど、違う。先ほどアリステアと合流した時、彼は「殺してはいない」と言っていたが、あれは自分の負傷を誤魔化すためのブラフだったのではないか。そんな考えが脳裏に過り、ぞっとした。
警備兵がすべて無力化されたことを確認してから、エフィは小走りでアリステアに近付く。
「アリステア、怪我してるでしょ。今、私が治癒魔法を――」
「エフィ」
治癒魔法を使おうとエフィが伸ばした指を、アリステアが掴んだ。決して強い力ではない。しかしその手を振りほどけなかった。彼の青い瞳が、真っ直ぐにエフィを見つめる。
「魔力は温存して。まだ予言は折れてない」
「でも……」
エフィはアリステアの体に目を向ける。あちこちについた赤い染みは、先ほどより明らかに範囲を増している。返り血ではなかったのだ。それに気付いて、エフィは震えた。
「君の魔法は切り札だ。安易に使わないで」
アリステアの言葉は冷たくて、しかし正しい。手の中にある鍵が、ひどく重く感じる。
(兄様……)
兄の顔が浮かんで、心が揺れた。ルーカスも言葉を探しているのか、視線を彷徨わせている。
鍵を胸に抱いた。冷たい金属の手触りが、エフィを今この場所に引き戻す。
兄の手掛かりを失うことは避けたい。でも、今はそれよりも――
「貴方を、失いたくない」
言葉が、するりと口をついた。エフィは鍵をルーカスに預け、アリステアの服に触れた。乾ききっていない赤が、指をぬるりと濡らす。
「せめて、止血だけでもさせて」
魔法は使えない。ここで魔力を失えば、彼の言う通り今夜やってきたことのすべてが水泡と化すかもしれない。それでも、できることがしたかった。
エフィの言葉に、なおもアリステアは首を横に振った。
「僕が死ぬのは今、ここじゃない」
「ふざけないで。死ななくても、アリステアが動けないと困る。それで逃げきれなかったらどうするつもり?」
エフィがぴしゃりと言うと、ルーカスが笑った。
「これは、エフィに一本取られたな?」
「いや。逃げきることを重視するなら、すぐここを離れるべきだ」
アリステアはなおも拒否の姿勢を見せる。ルーカスが一歩、彼に近付いた。
「なら、仲間の和を乱すやつは足手まといだ。取り押さえてでも言うことを聞かせるべきだな?」
反論の言葉を失ったのか、アリステアは不満げにルーカスに睨みつつ沈黙する。警備兵を拘束し終えたナターシャが、こちらを振り向いた。
「私は少し様子を見てくるわ。その間にアリステアのこと、見ててあげて」
返事を待たずに、ナターシャが門の外へと軽い足取りで走っていく。ルーカスも口を閉ざし、夜らしい静寂に包まれる。
エフィは携帯していた応急セットを取り出した。アリステアのコートのボタンに手を掛ける。彼は僅かに身を引こうとする。
「じっとして」
エフィが強めに言うと、彼は大人しくなった。代わりに、居心地悪そうに目を逸らされた。服を脱がせ、彼の上半身が露になる。古い傷跡が目に入り、エフィは一瞬だけ手を止めた。
今の傷はそこまで深くはないが、出血が多い。溢れる赤から、目が離せない。
(こんなになるまで、どうして戦ったの……)
アリステアの身体能力なら、逃げることだってできた筈なのに。彼がそれをしなかった理由は――わかっている。彼に感謝しながら、エフィは処置を再開した。
止血のためにガーゼを当てると、アリステアが息を詰めた。
「……痛い?」
「別に」
平らな声。でもエフィが力を入れて傷口を押さえると、眉間に皺が寄った。
「強がる必要ないのに」
エフィは少し笑って、包帯を巻いていく。アリステアの背後にいるルーカスは唇を引き結び、門の方を睨んでいる。周囲を警戒しているのだろうか。
「君は」
アリステアが、ぽつりと呟いた。
「どうして、僕に構う?」
「え?」
質問の意味がわからなくて、目を瞬かせた。
「目の前に怪我人がいた時、放置しないでしょ?」
「エフィが怪我人を放置するやつだったら、俺は今ここにいないだろうな。エフィは本当、可愛くて優しいお嬢さんだよ」
出会いのきっかけを思い出したのか、ルーカスが笑った。
「そういう冗談はともかく。私は知らない人だったとしても助けるし、それがアリステアだったら——もっと、見捨てられないよ」
アリステアが目を丸くする。そんなに意外なことを言ったつもりはないのだが。
エフィの言葉を噛み締めるように、彼はぎゅっと握り拳を作った。
「……はい、終わり」
包帯をきゅっと結ぶ。エフィが手を引く寸前、アリステアの手が伸ばされた。エフィの手首を掴みそうになって、けれどぱたりと下ろされる。
アリステアが大きく息を吸って、吐き出した。
「ありがとう。もう大丈夫」
低い声でそう言って、彼はそそくさと自分で服を着た。エフィが着せようとしていたのを、見抜かれていたのかもしれない。
「大丈夫じゃない! 無理は禁物」
力強く告げると、アリステアがようやくこちらを見た。
「さすがのアリスも、エフィには敵わないな」
ルーカスが笑う。アリステアは不満げに眉をひそめていたが、
「……わかった」
やがて、そう呟いた。
答える声色はいつも通りの冷静さを保っている。しかし、その中に確かな柔らかさを感じて、エフィは微笑みを返した。




