3-11:脱出
状況が変わる。エフィたちは、二勢力を相手にしなくてはならない。
鍵を狙うドミニクの指が、引き金にかかった。
「させるか!」
ルーカスがドミニクに向かって突っ込んでいく。身を低く落とし、勢いのままに拳で一撃。ドミニクの姿勢が揺らぐのと同時に、発砲音が響く。弾はルーカスの黒髪を掠め、壁のガス灯を撃ち抜いた。気体が漏れる音と共に、ボッと小さく火の手が上がる。
「おい、邪魔をするな」
「邪魔するに決まってるだろ!」
ドミニクとルーカスが拳の応酬を繰り広げる。月光のみだった部屋の中が、赤く不規則に照らされた。
「お前、まさかヤードか!」
鍵を持たない方の反予言派の男が、ドミニクの制服から彼の正体に気付いたらしい。ルーカスと共闘する形で、ドミニクに向かっていく。
鍵を持つ方は、仲間に加勢することもなく焦げ臭い部屋を飛び出して逃走を図った。ドミニクが撃つ。暗闇の中で動く標的には当たらない。
「待って!」
逃走する男を追いかけ、エフィは廊下を走った。屋外からの銃声と共に、窓ガラスが吹き飛ぶ。足を止めさせられた。その間にも、男は進む。炎で作られた男の影がゆらめく。
(兄様を、失えない……!)
心に浮かんだのは、そんな思いだった。
エフィは魔力を集中させ、この薄明の中で出来うる限りの魔法を放つ。光が歪み、虚像を結ぶ。
男の行き先、廊下の突き当たりに階段がある。それを手前に見せかける。男は目の前に階段があると疑わない。迷いなく駆け下りようとした男は、些細なズレに体のバランスを崩した。
その拍子に、鍵は彼の手をすり抜けて宙を舞った。月光を反射しながら、本物の階段へ向かって落下していく。
割れた窓ガラスを靴底で踏みながら、エフィは走る。外から放たれる銃撃に構っている暇はない。頭にあったのは、予言の強制力のことだけ。
鍵が落下したら、破損するかもしれない。『失われる』という予言の通りに――
(間に合わない――!)
エフィが絶望しかけた瞬間、弧を描いて闇へと落ちていく鍵を、大きな左手が掴み取った。足音が歯車のように、一定のリズムを刻む。
見えてきたのは、長めの赤茶髪。
「エフィ、無事?」
階下から姿を現したのはアリステアだった。エフィに惑わされて転んだ男が、鍵を取り戻そうと突進する。アリステアは右手に構えた仕込み刀の切っ先を、狂いなく男の喉元へと向けた。男はその場で急停止する。
「アリステアこそ……!」
エフィはアリステアへと駆け寄った。彼から鉄の臭いがすることに気付き、思わず足を止める。暗くてわかりにくいが、彼のフロックコートはあちこち赤く染まっている。
「大丈夫。反予言派の足止めはしたけど、殺してはいない。ふたり逃がしたから、追いかけてきた」
アリステアが視線で剣を向けている男を示す。彼はエフィの逡巡を違う意味に受け取ったらしい。服についた赤い汚れは返り血、なのだろうか。
どんな顔をしていいかわからず、俯く。
「それより、これ」
アリステアがエフィの手に、鍵を手渡す。片手で包み込める程度の大きさなのに、その重みには確かな存在感がある。帯びる魔力から懐かしい兄の気配が漂っていた。鍵をぎゅっと握る。
「ありがとう……」
エフィの小声を聞き取って、アリステアが軽く笑顔を浮かべた。
背後から激しい戦闘の音が聞こえ、我に返る。まだ、戦いは終わっていない。
ドミニクと戦っていた反予言派が彼に蹴り飛ばされ、壁に強かに頭を打ちつける。気を失ったのか、彼は力なく床に倒れ込む。
ルーカスをいなしながらも、ドミニクの視線はエフィに、いや、エフィの持つ鍵に、一直線に向けられている。
「それを持っていかせる訳にはいかないんだよ」
ドミニクの声と、何度目かの発砲音。咄嗟にエフィの体を押したアリステアの左腕を、弾丸が掠める。目の前に赤いものが舞った。
なおもこちらに銃口を向けるドミニクを、ルーカスが掴んで押さえ込もうとした。
その背後、暗がりの中に、ナターシャが音もなく立っていた。ふたりとも、目の前のことに集中していて彼女に注意を払っていないように見える。
ナターシャは静かに右腕を上げ、ドミニクに向けた。左手を肘の辺りに添え、タイミングを見ている。
ルーカスとドミニクの力が拮抗し、膠着状態に入る。
「お待たせ」
ナターシャは小声で呟くと共に、トリガーを引く。風を切る鋭い音。彼女の腕、袖の中に隠されていた超小型のボウガンから小さな矢が放たれ、ドミニクの右肩に刺さった。
威力はほとんどない。ドミニクはナターシャを見る。
「おいおい、何のつもりだ?」
最初、ドミニクは余裕ありげに笑っていた。しかし台詞を言い終わる頃に、変化が訪れる。ドミニクの手から、銃がこぼれ落ちた。姿勢を保てないようで、彼はその場にふらふらと跪く。
「これは……」
「どうだ? ミラ特製の痺れ薬だ」
ルーカスがにっと笑う。彼は銃を蹴って、廊下の隅にある暗がりへと銃を紛れさせる。
「四肢がちょーっと動かしにくくなる程度だ、安心しろ」
「やれやれ、そう来るか」
頭を振るドミニクを尻目に、ルーカスとナターシャはエフィたちの方へと走ってくる。
「逃げよう」
エフィの提案に、他の3人が頷いた。アリステアに剣を向けられたままだった男をルーカスが昏倒させ、全員で階段を駆け降りる。
「逃がすつもりはないぞ、お嬢さん」
ドミニクの声が反響して、追いかけてくる。彼が動けるようになるまでに、距離を稼がなければならないだろう。
エフィはふと窓に視線を向けた。外からの銃撃は止んでいる。こちらは明かりを持っていないから、狙撃手としてもどこに弾を撃てばいいのか、目標を見失っているのかもしれない。
「ねえ、裏口から出たら狙撃されるんじゃないかな」
エフィの提案に、アリステアが頷いた。
「そうだね。警備されているだろうけど、表から出るしかない」
「なら、こっちよ」
先導するナターシャが踵を返す。エフィたちは彼女の背を追って、暗い廊下を走った。
手に入れた鍵を握り直す。ルーカスの家までは、まだ遠い。




