1-5:逃避行は魔法と共に
「路地で、ね。……確かに、彼らは路地に固執している傾向がある。予言に記されている可能性は高い」
アリステアがエフィの考えを肯定し、腕を組み直した。
その立ち姿に、ふと違和感を覚える。ルーカスもヤードも、腰のベルトに固定する形で予言の本を持ち歩いているのに、アリステアは所持すらしていない。
彼は、ルーカスの仲間だ。予言を快く思っていないから、本に拒否感があるのかもしれない。エフィはそう結論付けた。
「あいつらって、運命と違う行動をすることは罪だと思ってるからな。極端な話、『路地で捕まえる』って予言になってるなら、俺がカフェでモーニングを食ってても捕まえにはこない筈だ」
「だね。彼らは絶対に『逸脱』だけはしない」
ふたりのやり取りを聞いて、愕然とした。
(そんなの、本当に歯車と一緒じゃない……)
それがこの街の常識。改めて突きつけられて、ぞっとした。
「どうする? さっきの道にいたヤードをどうにかするか?」
ルーカスが拳を握り、突き出す。
「それは悪手だろう。その程度で破れる運命なら、数百年も予言頼りの世の中は続いてないよ」
「ま、そうだよな」
ルーカスは口調こそ軽いものの、息を吐いて肩を落としていた。アリステアはこちらに顔を向けた。
見定めるような、もしくは探るような、鋭い視線が突き刺さる。その態度に、自宅で会話した時のことが甦った。
(この人は……)
エフィを特別だと肯定したが、信用してはいないのだと思った。彼の視線から逃れるように、目を伏せる。
(路地から抜け出せば、ルーカスの予言を折ることができるかもしれない。でもきっと、普通の方法じゃ足りない)
今までの情報を総合して、考え込む。どこからか聞こえてくる規則正しい歯車の音は、考え事をするのに向いている。
アリステアは、エフィとその魔法が『変数』だと言った。恐らく普通に魔法で応戦するだけでは、強固に、連綿に続いてきた運命は破れない。
ルーカスの腰にある本に、意味もなく目線を向けた。ヤードは予言に縛られている。そこに突破の糸口があるはずなのに――
「いたぞ!」
そんな声が、思考を妨げた。はっと顔を上げる。路地の向こう側から、ヤードが現れた。反射的に彼らとは逆方向へと足を向け、地面を蹴った。
「しつこい男は嫌われるぞ!」
ルーカスが軽口を叩きながら、先陣を切って逃げていく。
次の角を曲がる。そこで路地は終わり、代わりに広い運河が現れた。建物と運河に挟まれ、もう逃げ場はない。
「あー、やっちゃったな……」
ルーカスの表情は固い。
「飛び込む?」
エフィは迷わず欄干に駆け寄り、手をかける。運河を覗き込むと、目が眩みそうになった。
ここと水面との落差は、3階建ての建物ひとつ分ほどある。前言撤回。さすがにこの高さで飛び込むのは現実的ではない。
こちらを袋小路に追い詰めたことに気付いたのか、ヤードも走るのをやめ、じりじりと距離を詰めてくる。欄干にくっついたままのエフィを庇うように、ルーカスとアリステアが立つ。
アリステアは仕込み杖を構えている。その刃は、迷いなくヤードたちに向けられていた。
「強行突破する?」
彼は淡々と質問する。拳を構えかけたルーカスが、はっと顔を上げ、こちらを振り向いた。
「いや! エフィ、あの光、足場にできないか!? それで川を渡ろうぜ」
「えっ!?」
ルーカスの大胆な発想に絶句した。
「なるほど。かなり強度はありそうだから、不可能ではないと思う」
アリステアが、ルーカスの発想を後押しする。
迷っている時間は、なかった。
「……わかった!」
エフィは大きく息を吸った。運河に向き合い、もう一度欄干に手を置く。
「ふたりとも、着いてきてくれる?」
返事は聞かなかった。手を支えにして、欄干を乗り越える。浮遊感に包まれた。エフィの体は、重力にしたがって水面へと落下を始める。
瞬間、魔法を発動させた。地面と水平になるように光の結界が生まれ、そこに着地――いや、ほとんど墜落した。衝撃で肺の中の空気が吐き出され、全身が痛む。
「なんとか、大丈夫……みたい」
痛みを堪えつつ、ふたりに声をかける。アリステアは迷わず仕込み杖を仕舞うと、軽々と欄干を飛び越え、エフィの隣に綺麗に着地する。
彼はこちらを見て、無言で手を差し出してきた。その手を取ると、力強く引っ張り上げられる。
「エフィ、さすがだな」
器用に欄干の上に立ったルーカスは、言いながらこちらを見下ろす。にっと不敵に笑った。
「さて、それじゃ俺もお暇させてもらうぜ、っと」
ルーカスは懐から丸い玉のようなものを取り出した。つい先ほどまで自分がいた場所へ、玉を投げつける。そのまま彼は欄干から、結界の上に着地した。
小さく、けれど連続した爆発音が路地に響く。火花のような光も見えた。ヤードたちはそれに驚いたのか、その場で立ち竦んで動けずにいるようだ。
「行こう!」
エフィは結界を、運河の向こう岸へと伸ばす。追われないよう、3人が走り抜けた後の結界は消滅させた。
2つの制御を同時に行っているため、体に掛かる負荷が強い。ふらつきそうになる足を叱咤しながらも、気力で運河を駆け抜ける。川沿いにいた一般人が、空中を走る3人をぎょっとした顔で見つめていた。
ぱんぱん、と何度か破裂音が響く。ヤードが持つあの筒のような武器が起動した音だ。エフィの思考がそれを認識するのと同時に、飛来したものが顔のすぐ横を掠め、光の結界を貫いた。そこから放射状にヒビが広がる。更に魔力を込めて、なんとか結界を維持した。
あと少しずれていたら。そう思い至って、背筋が凍るように冷たくなる。
「エフィ、なるべく先頭を走って。銃弾が僕に当たってここで死ぬ未来はない。でも、君は運命に守られていない」
予言を肯定するようなアリステアの言葉に、エフィはぎょっとした。
「アリステアは、予言を信じているの?」
「使えるものは利用する。それだけだよ」
淡々と答える彼は、表情ひとつ変えなかった。
「……わかった」
素直に納得しにくいものの、彼の理屈は理解できた。頷き、彼より前へと進み出る。
「アリスのそういうふてぶてしさ、見習わないとな」
ルーカスの軽い言葉に、アリステアはほんの僅かに笑みを浮かべていた。
エフィが先頭を走り、その後ろにルーカスたちが続く。予言にないこと――アリステアに当てることを恐れたのか、例の音は聞こえなくなった。
広い運河の上をひたすら走り、ようやく反対岸にたどり着いた。思った、通りヤードの姿はない。それを確認して、魔法を解除した。
残りの魔力はほとんどゼロ。ルーカスが支えてくれなかったら、エフィは石畳に力なく倒れ込んでいたかもしれない。
「ヤードが橋を渡ってくるかもしれない。すぐここを離れた方がいい」
「だな。エフィ、大丈夫そうか?」
「ん……頑張る」
体は重いが、歩けないほどではない。
振り向いた運河の向こう側は遠く、あの場にヤードがいるかを確認することはできなかった。
アリステアが先行し、エフィとルーカスが彼に続いて歩みを進める。
太陽はようやく、西へと傾き始めていた。




