3-8:妹たちの夜会
エフィが目覚めた時、周囲は夜の闇に沈んでいた。ひとりで部屋に戻って、そのまま眠ってしまったらしい。
ごろりと寝返りを打った。ひんやりとした夜の空気に触れて、頭が冴えていく。兄の顔が脳裏にちらついた。
(……眠れない)
息を吐いて、起き上がる。
(水でも飲もうかな……)
窓から差し込む月明かりを頼りに、エフィはサイドテーブルの上にあるランプに手を伸ばした。魔力ではなくガスを使った明かりを、スイッチひとつで簡単に灯す。
いつの間にかエルシオンの文化にすっかり慣れていることにその時気付き、伸ばした腕がぎくりと震えた。
明かりを手に、エフィは部屋を後にした。玄関ホールを通り抜けた時、ルーカスの家と接続されている玄関扉が僅かに開いていることに気が付いた。
漏れている光に誘われるように、エフィはルーカスの家をそっと覗き込む。
リビングには、テーブルに向かっているミラがいるだけだった。作業の休憩中だったのか、ゴーグルを上げている。
エフィの視線に気付き、ミラははっと息を呑んだ。
「ごめん。驚かせちゃった?」
「……ううん」
ミラは首を横に振ったが、その表情は浮かない。エフィがリビングに入ると、ミラはひとつの包みを差し出してきた。ふわりと甘い香りが漂う。
「これ、あげる」
受け取ったそれは、焼き菓子だった。
甘いものは、故郷イーリスでは超高級品で、滅多に手に入るものではなかった。エルシオンではそれなりに流通しているらしいが、庶民にとってはそこそこ貴重なものだ。
「えっ……いいの?」
「うん。その代わり、私が甘いものを食べてたこと、兄さんには黙ってて」
口止め料ということらしい。エフィは頷く。貰った焼き菓子を口に入れると、ほどけるように溶けた。甘みとバターの風味がいっぱいに広がる。
「ね、どうしてルーカスに秘密にするの?」
「……甘いものが好きだって、知られたくないから」
ミラはテーブルに視線を落として、自分の分の焼き菓子をひとつ、口へと放り込む。その仕草と大人ぶろうとしている言動が可愛らしくて、エフィは微笑んだ。
「私もね、兄様に秘密にしてたことがあるんだ」
「エフィさんも?」
「兄様が嫌いな野菜を、みじん切りにして料理に混入したりとか」
過去の秘密を告白すると、ミラがくすっと笑った。
「兄さんにも、今度それやってみる」
「ふふ、いいんじゃない」
軽いトーンで返してから、ふと気付く。
(……私、兄様のこと、ちゃんと話せてる……)
甘い香りがそうさせるのだろうか。
戸惑うエフィの前で、ミラは立ち上がると、窓を全開にした。それからゴーグルを下ろし、テーブルの上に置かれた箱から、次々と道具を取り出す。
何かの粉末を秤で量り、それを慎重に容器に入れ、きっちりと密封する。容器の形に見覚えがあった。ルーカスがヤードから逃げる時に投げていたものだ。
「それ、ミラが作ってたんだ」
「うん。今は、わたしの仕事」
ミラは固い声で返事をして、作業をする手をふと止めた。秤を見つめる瞳は、どこか遠くに焦点を結んでいるように見える。
「前は、姉さんと父さんがやってた。わたしは、不器用だったから」
唇の隙間から漏れたような小声が響く。エフィの胸に、彼女の言葉が突き刺さった。
ルーカスの、もうひとりの妹。ルーカスやミラの態度から、彼女はとても大切にされていたのだろうとわかる。
沈黙が落ちた部屋の中で、ミラが作業を再開する。
彼女の口振りとは裏腹に、その手つきには迷いも躊躇いもない。止まらずに滑らかに流れ続ける。まるで、昔から慣れ親しんできた作業のように。
「エフィさんのお兄様って、兄さんと似てるんでしょ? どんな人?」
眼差しを秤に向けたまま、ミラが口を開く。
「明るくて、往生際が悪い。あとは魔法のことなると突然燃え上がっちゃう困った人、かな」
「それ、兄さんと同一人物なんじゃない。兄さんの場合は魔法じゃなくて蒸気機関だけど」
「確かに!」
ふたりで微笑み合う。
そうこうしている間にミラの作業は終わったのだろう。彼女は完成品のみをテーブルに残し、使い終わった道具を綺麗に箱に戻していく。エフィも手伝おうと近寄ったが、
「危ないよ。わたしひとりで大丈夫」
ミラにそう言われたので、引き下がることにした。正直どう扱っていいかわからないものばかりだから、あまり力になれなかったかもしれない。
その時突然、ミラのすぐ後ろにある扉が開いた。エフィは飛び上がりそうになってしまったのだが、入ってきたのはルーカスだった。
エフィとミラがいるのを見て、彼の表情から力が抜ける。
「ふたりとも、何してるんだ? というかミラは早く寝ろ。大きくなれないだろ」
「余計なお世話。兄さんこそ早く寝れば?」
エフィは思わず、ミラの方に視線を走らせてしまった。先程の焼き菓子は既に完食という証拠隠滅がなされているし、窓が空いているから香りもない。完全犯罪にできている。
ミラもそれをわかっているのか、目の前の箱と完成品を自然で示した。
「これ、作った」
「お、いつもありがと」
ルーカスの言葉に、ミラの頬にほんのりと赤みが差す。
「だって、これがないと兄さんはダメダメだから」
「手厳しいな」
言いつつも、ルーカスの顔は笑顔だった。本当に、この兄妹は仲が良いなと思う。
(……兄様も、そうだった)
エフィが何か言ってもいつも笑っていた兄の顔が、目の前にいるルーカスと重なる。
「これで、エフィさんのことも助けてあげて欲しい。……家族とは、ちゃんと話せるうちに話しておいた方がいいから」
「だな」
ルーカスがエフィに近寄ってきて、優しい顔で頭を撫でた。ぬくもりが滲む。兄にされているようで、とても落ち着く気がした。
「……ありがとう」
ふたりの気持ちが胸に響いた。それに背中を押されるように、エフィは再び口を開く。
「私、兄様に会いたい。会って話したいよ」
こぼれ落ちたのは素直な言葉。リビングに漂う空気は穏やかで、どこか落ち着く。
「兄さん。鍵、絶対手に入れてよね」
「まかせろ」
ルーカスがにっと笑う。その力強さに、エフィは微笑んだ。




