3-4:君だから
アリステアは、いつになく悩んでいるように見えた。
(……アリステア)
こんな彼は初めて見る。エフィも戸惑い、落ち着かない気持ちで視線を彷徨わせてしまう。
ふと、彼の背後にある窓が目に入った。澄んだ青空の向こう側――高い星府塔の姿が、霞みつつも見えている。
「話は聞いていたよね。彼は肺の病気を長く患っていて、3日後に死ぬと決まっている」
「……うん」
エフィは患者の顔を思い浮かべる。痩せこけ、顔色が悪かった印象が強い。医学的な知識がなくても、健康に問題を抱えていそうなことはすぐに判断がつく。
「治療は、できないの?」
アリステアは考え込んでから、ゆっくりと首肯する。
「彼がはじめてここに来たのは、もう病状がかなり進んだ後だったから、打つ手が最初からなかった。……そもそも、エルシオンで医者にかかるのは、そう予言に記されているような裕福な市民だけ。一般市民には病気を治療するという概念がほとんどない」
「……予言に、記されてないから?」
エフィはナターシャと出会った時のことを思い出した。怪我をした彼女の手当てを拒否されたことは、記憶に新しい。
「そう。むしろ、治療を受けることで、予言に反することを恐れている」
アリステアが二度目の肯定をする。
エフィはフリルになっている服の裾をぎゅっと強く掴んだ。エルシオンはイーリスよりもずっと文明が進んでいるように見えるのに、医学は人々に浸透してはいないらしい。
予言というものの歪さに、息苦しさを覚えるながらも、目の前にいるアリステアを見つめた。
「ならどうして、アリステアは医者をしてるの……?」
彼はいつでも、合理的な判断を下す。短い付き合いだが、それは十分わかっているつもりだった。そんな彼が、わざわざ人々のために医者をしている理由が、わからなかった。
「彼みたいな人が、時々いるから」
アリステアは平坦な声で答えた。いつもと違う、感情を抑えつけたような声色が、小部屋に満ちる。
「死の間際になって……いや、だからこそ、かな。彼らは星府の目を盗んででも、診療所に救いを求めてくる」
「……そっか」
喉が詰まるようで、そう言うのがやっとだった。
きっと下にいる彼も、病状が進行するまでは予言を受け入れていたのだろう。病気でじわじわと死を意識しなければならない気持ちは、エフィにはわからない。しかし、想像することはできる。
窓の外に見える塔を、睨むように見つめる。
「反予言派みたいな大きな声じゃなくても、陰で予言に思うところがある人はいる。……ってこと、だよね」
だからこの診療所は隠れるように、看板も出さずに営業をしていたのだと気付いた。星府に見つかれば、アリステアも患者も何らかの処罰を受けるだろうから。
「そうだね。僕にできるのは、そういう人たちの話を聞いて、少しでも残りの時間を健やかに過ごせるようにすることだけ」
「……大事なことだね」
「彼の死の運命は変えられない。だけど、僕は……」
アリステアはそこで口を閉ざす。エフィは続きを黙って待った。目の前の人の言葉が、ただ聞きたかった。
「彼に何かをしたいと、そう思うんだ」
こぼれた、小さな声。
アリステアはあまり喋らず、表情を変えることも少ない。それでも彼から温かななにかが伝わってくるようで、エフィは微笑んだ。小さなこの部屋に満ちる空気が、ほんの僅かに緩む。
「エフィ、君ならどうする? 彼になにができると思う?」
アリステアの青い瞳が、こちらを真っ直ぐに捉えている。
「私なら、か」
考えながら、アリステアから視線を外す。代わりに、窓の外、遥か彼方にある星府塔に目を向けた。
つくづく、この世界は予言に支配されているのだなと、ここに来て何度思ったかわからないことを改めて思う。
予言がいくら絶対的なものとされていても、人の心までは制御できない。避けられない苦しみを、少しでも緩和するには――
長考の末に、エフィはひとつの答えを出した。アリステアを見上げて、口を開く。
「もし私が3日後に死ぬとわかっていたら、って考えてみたの」
「うん」
アリステアは真面目な顔で頷いた。
「まずね、やりたいことがたくさんある。兄様ともう一度会いたいし、ルーカスたちが悲しんでくれるだろうから、いっぱい一緒に過ごしたい。それで3日目、みんなに囲まれている中で静かに目を閉じる」
言いながら、今ここにいるエフィも目を閉じた。脳裏に、ルーカスの家で暮らすみんなの顔が浮かぶ。もしも選べるのなら――そんな終わりがいい。そう思った。
目を開ける。アリステアはまだ、こちらを見ていた。
「……それが、君の望み?」
「そうだね。でも、きっと実際は痛かったり、苦しかったりして、穏やかには過ごせないのかもしれないけど」
「その可能性が高い。痛みを抑えるなら、強い鎮静剤を使うことになる」
アリステアは平坦な声でそう告げた。その響きに、僅かに体を震わせる。
「それって、寝たまま残りの日を過ごすってこと?」
「うん。それもひとつの選択だよ」
「……そっか。そうだよね。辛いのは避けたいよね」
アリステアが顎に手を当てる。どこかを見ているようで見ていない瞳。エフィは彼が答えを出すのをただ、待った。
長い沈黙。その末に、アリステアはひとつ、深く息を吐いた。
「……決めた。彼のところに戻ろうか」
彼がそう言って、踵を返し足早に部屋を出ていこうとする。
「あ、ねえ」
思わずエフィはその背中を呼び止めてしまった。
「なんで、わざわざ私に意見を聞いたの? 私が魔法で運命を変えられるから?」
アリステアは足を止めた。振り向かないまま、彼は顔だけを床に向け、視線を落とす。なぜか、その手は髪を結んでいる青紫の髪紐に触れていた。
沈黙は、一瞬だけ。
「君だから聞きたかった」
早口でそう告げて、アリステアは今度こそ小部屋を出ていく。
(私、だから?)
一瞬、固まった。まるでエフィ個人に向けられた言葉のように思えて、ほんの少し心がざわつく。
そうしている間も、彼は扉を手で押さえてエフィのことを待っていてくれた。慌てて彼の後を追う。
(私が予言のない世界で生きてきたから……ってこと?)
アリステアの返答をそう受け取りながら、エフィは彼に続いて階段を下りていった。




