3-3:アリステアの隠れ家診療所
訓練の後、エフィはアリステアに連れられて家を出た。彼は迷わず、星府搭に背を向ける方向――つまり、街外れへと向かっていく。
「どこに行くの?」
街は中心部とは違って閑静な空気に満ちている。
道行く人々は質素な服を身にまとい、鞄にはあちこち修繕した跡が見てとれた。街が発展していても貧富の差はある。エフィの故郷イーリスと同じだ。
「……職場」
しばらく歩いてから、答えが返ってくる。
「えっと、それってそんなに長考しなきゃいけないくらい、言いにくい場所かな?」
アリステアは僅かに視線を落とした。
(職場ってことは、診療所ってこと……だよね)
治癒魔法が必要になるから、エフィを連れて行こうとしているのかもしれない。
歩いても歩いても民家ばかりで、診療所らしい建物はどこにもない。そう思いながら歩いていたため、アリステアが突然奥まったところにある民家に向かっていった時、うっかり彼の姿を見失いそうになってしまった。
そこはどこからどう見ても普通の民家で、看板すら出ていない。
「えっと……ここなの?」
「うん」
アリステアが鍵を開けて、迷わず中に入る。エフィは一瞬固まるが、閉じかけていた扉のノブを慌てて掴んた。
「……お邪魔します」
小声で呟いてて、足を踏み入れる。建物の中は、エフィの思う診療所とは大きく様子が違っていた。
南向きの大きな窓から、光が柔らかく差し込んでいる。机や椅子といった家具類はすべて木製で統一され、素朴な雰囲気だ。棚には乳鉢や真鍮の秤、瓶詰めされた粉薬がきれいに並んでいる。薬草の匂いの代わりに、何かの薬品のような独特の香りが漂っていた。
当然だが、治癒魔法の補助に使う魔石などの魔法の触媒、魔道書といったものはなさそうだ。
「ここが診療所なんだ。ねえ、薬草とか、鍋はないの?」
「……エルシオンでは、薬草を煮込んだりはしないよ」
アリステアは淡々と言って、机のすぐ横にある椅子に座った。薬草がないなら、どうやって薬を出すのだろう、と不思議に思った。
アリステアは立ったままのエフィに、自分の斜め後ろにある椅子を目線で示した。ゆっくりと椅子に近付き、腰を下ろす。
「この消毒液の匂い、エフィは気にならない?」
「え? うーん、変わった匂いだなとは思うけど……」
「ならいい。慣れていないと、具合を悪くするかもしれないから」
そう言いながらも、アリステアは既にこちらを見ていなかった。机に向かって何かの書類を確認している。真剣な眼差しだ。
(……気を遣ってくれたのかな?)
彼が何も言わないから勝手な妄想だが、エフィはそう受け取ることにした。
「それで、私にお願いしたいことって――」
本題に入りかけた時、玄関扉が軽くノックされた。アリステアがエフィを振り向く。
「君には、そこにいて欲しい。……どうぞ」
(いるだけでいいの?)
訳のわからない『お願い』に内心首を傾げている間に、玄関扉が軋む音が聞こえた。
咄嗟にそちらに目を向ける。中に入ってきたのは、痩せこけた中年くらいに見える男性だった。顔色がひどく悪い。ここが診療所であり、アリステアが医者である以上、彼は患者だろうとわかるのだが――
「先生、この前は助かりました。今日もよろしくお願いします」
空いている椅子に座るなり、患者はアリステアに向かって話し始めた。エフィになど目もくれない。
「先生がいてくれなかったら、ひとりで旅立つところでした。本当に、本当に……ありがとうございます」
「予言では、いつになっていますか?」
とめどなく喋る患者に対して、アリステアはひどく冷静だった。その背中が僅かに強張っている気がして、エフィも知らず知らずのうちに背筋を伸ばしていた。
「3日後です。今夜から、急激に進むようです」
アリステアは何も言わなかった。微動だにしない彼に対し、中年の男性は再び口を開く。
「これは初めから決まっていたことです。ですが、今は、やはり……」
彼は言葉を詰まらせる。その両腕が小刻みに震え、落ち着かない様子で視線が診療所の中を彷徨ってから、エフィを捉える。
まるで、彼が何かに怯えているように見えた。
「大丈夫。ここのことを星府は知りませんし、彼女は僕の……」
アリステアが言葉を一度止めた。背後にいるエフィから、彼の表情を伺うことはできない。
「看護師……いや、違うな、僕の助手です」
(助手ね……)
看護師だったら真っ赤な嘘だが、助手なら嘘ではない。
アリステアの言い訳に、患者は少しだけ表情を和らげた。まだ震えたままの手で、患者はぎゅっと握り拳を作る。
「死ぬのは、怖い……ですね」
彼の口から滑り落ちた本音に、エフィは息が止まりそうになった。
(そうか、この人は……)
先程の3日後という言葉の重みが、胸にのしかかってくるようだった。痛いほどの静寂が、狭い診療所を包む。レースのカーテン越しに差し込む光が、今はやけに眩しく見えた。
「死にたくない。どうして、そう思うんでしょうね」
彼は嗤った。アリステアが小さく息を吐く。
「それは、当たり前です。誰にも怖いものはある」
「……先生の場合、それは死ぬことではないんですね」
患者の返しを、アリステアは否定も肯定もしなかった。
エフィも、少し考えてみる。今一番怖いのはみんなが――ルーカスやナターシャが、星府に見つかって捕らえられてしまうことだろうか。
(……あ)
そこまで考えて、ふと思う。
(兄様のことじゃ、なくなってる……)
それだけこの街に馴染んできた自分に、少し驚く。
エフィが考え込んでいる間に、患者は動き始めていた。座ったまま、アリステアに深々と礼をする。
「話を聞いて貰って、ありがとうございました。気持ちが楽になりました。少しだけ」
「……そうですか」
アリステアは、それ以上何も言わなかった。男性がゆっくりと立ち上がり、背を向ける。
(いいのかな……)
エフィはただの助手だし、医学的な知識はない。魔法で病気は治すことができないから、本当にお門違いだ。しかし3日後に死ぬとわかっている人を、このまま行かせていいのだろうか。
そんな迷いがエフィの体を突き動かし、無意識のうちにアリステアのコートの裾を引っ張っていた。
アリステアの肩が、ぴくりと跳ねた。
「お世話になりました」
患者がドアノブに手を掛ける。
「……待って」
その後ろ姿に、アリステアが声をかける。彼の声は僅かに掠れていて、エフィは思わずアリステアを見た。
「少し、彼女と話がしたいので、こちらで待っていて頂いてもいいですか」
「……わかりました」
患者は頷いて、先程の椅子に再び腰を下ろす。代わりにアリステアが立ち上がり、こちらを初めて振り向いた。
「上に行こう」
誘われるまま、エフィも席を立つ。アリステアに続いて、背後にあった階段を登り2階へ向かう。彼は廊下の突き当たりにあった部屋に入り、扉をしっかりと閉めた。
倉庫のような、狭い部屋だった。北向きの窓を背にするように立ち、アリステアはエフィに向き直る。
「……君に、意見を聞きたい」
そう切り出したアリステアの瞳は揺れていて、エフィは息を呑んだ。




