2-23:ただの女の子
夜のエルシオンに、光が煌めいた。エフィが生み出した結界が、緩い下り坂となって建物の間に架け橋を作り出す。
ルーカスがエフィを追って、屋上から結界の上へと着地する。
「エフィ、いいのか? あいつに魔法のことがバレたらまずいんじゃないのか?」
「今さらだよ。それに多分、彼は私たちのこと、かなり調べてるはずだから」
話しながら足を動かす。隣の建物に跳び移るが、詐欺師は既に屋上を伝い、次の建物へと移動しようとしている。
「ご明察。変装の技術は見た目だけじゃない。相手の過去を知り、言動や行動も模倣しなければ意味がないのさ」
詐欺師が叫ぶ。エフィたちも彼に続き、次の建物へ渡った。街の明かりがあるとはいえ、今は夜。魔力の消耗を感じ、重い頭を押さえた。
「エフィ、無理するなよ」
声をかけてくれたルーカスに頷きを返す。詐欺師が背負った蒸気機関を投げ捨て、走るスピードを上げた。
「まずい、追いつけないよ」
「お前ッ! 蒸気機関は大事に扱え!」
ルーカスが叫ぶが、詐欺師は返事をしない。
「え、そっち……?」
こんな状況でも蒸気機関のことを気にしているルーカスは、根っからの技術者なんだなとしみじみ思う。彼は未練ありげに蒸気機関に視線を向けて、僅かに走る速度が落ちた。
詐欺師が振り向き、ペースを緩める。彼との距離は全く開かない。逃げ切るチャンスだというのに、彼はそれをしなかった。むしろ――
(……私たちを待ってる?)
思い浮かんだのは、荒唐無稽な考え。しかし彼はエフィの疲労を見て、蒸気機関を捨てた。まるで、エフィに魔法を使わせたくないかのように。
(そもそも、煙幕の時に素直に逃げていれば、逃げられた……よね?)
詐欺師の奇妙な行動に、エフィは首を傾げた。
大通りに当たり、建物が途切れる。もう空を跳べない詐欺師は、突き当たりにあった階段を駆け下り始める。エフィとルーカスも後に続いた。地上がどんどん近くなる。
階段は路地に繋がっていた。詐欺師は後ろを振り返りながら、今度は大通りへと逃げ込もうとする。
「ねえ、ルーカス。もしかしたらあの人――」
「止まりなさい!」
通りを挟んで路地の向かい側に、カジノの入り口が見えた。いつの間にか、ぐるっと一周してきてしまったらしい。
電飾が作る逆光の中に、ふたりの人間が立っていた。詐欺師が舌打ちと共に足を止める。
「ナターシャさん!?」
エフィの声に、路地の出口を封鎖していたナターシャが軽く手を振った。隣にはアリステアの姿もある。
「もう逃げられないわ。貴方の目的もわかっているから」
ナターシャは不敵に微笑む。
「目的、ね。それはもちろん逃亡だ。この状況で、それ以外なんてないだろ」
詐欺師が答え、肩を竦める。ナターシャは静かに首を横に振った。
「それは半分だけでしょう? 本当の目的は、『今日捕まる』という予言を破ること。そうよね?」
自信ありげなナターシャの声に、はっとした。
「そっか! この人は酒場にいた時から私たちに目を付けてて、私が予言を破る魔女だと知った。だからルーカスの姿で私に接触したんだ」
エフィの推測に、詐欺師は無言を貫く。
「ん? エフィの話は星府の機密事項だろ。俺のことはともかく、なんでエフィのことがわかるんだよ」
「彼の本業が情報屋だから」
アリステアの静かな声が、路地に響く。
「さっき、貴方の予言について思い出した。今夜、賞金稼ぎたちの手でカジノの前で捕まり、そのまま数日後に処刑される」
処刑。アリステアが告げた言葉の強さに、エフィは息を呑んだ。
「強い影響力を持つ情報屋は、星府にとって邪魔な存在なのよ。捕らえられたら即処刑と決まっているわ……」
ナターシャの言葉が、重く胸に響く。囲まれ、身動きひとつしない詐欺師を見つめる。その表情からは、感情が読み取れない。
「逃げる時も本気じゃなかったのって、私に魔法を使わせようとしてたから、なんだ」
ただ運命に抗い、生き残るために。
視線を地面へと落とす。彼の願いを、もうエフィには否定することができなかった。
表通りの喧騒だけが聞こえる。しばらく、誰もその場を動かなかった。
凍りついたような世界の中で、詐欺師がふっと笑った。それからエフィに向き直る。
「って訳だ、逃がしてくれるよな?」
「それは」
口ごもる。カジノの屋上から飛び降りたときにはあんなに迷いがなかったのに、今はどうすればいいか、答えが見えなかった。
膠着状態が続く。
「エフィ」
悩むエフィに、ナターシャが優しく呼びかけた。
「星府塔でのこと、覚えてる? エフィは、私に言ってくれたわよね。『私と来るか、ここに残るか、選んでくれませんか』って」
ナターシャの暗い赤の瞳に、炎にも似た感情の揺らめきがあった。
「はい。ナターシャさんの予言を勝手に破っていいのか、わからなかったから」
「そうよ。……エフィは王様でも偉い人でもなくて、ただの女の子なのよ。自分の責任は、自分で持たないといけないの」
ナターシャが詐欺師を軽く睨んだ。
「貴女がこの男のことまで背負う必要はないわ。選ぶのは、あくまでもこの人よ」
彼女の言葉が、すとんと心に落ちてくる。エフィは指先に魔力を集めながら、ぎゅっと握った。
(選ぶのは……この人。私はただ、選択肢を示すだけ)
ナターシャに手を差し伸べた時のことを思い出し、心の中で呟く。それなら、エフィにできることはひとつしかない。
「ルーカス、あのね……お願いがあって」
「任せろ」
突然話を振ったのに、詳細も聞かずに彼は頷いた。それからにっと笑う。そういう姿勢が、兄のように頼もしかった。
エフィは大きく息を吸い込んでから、告げる。
「日付が変わるまで、私と一緒に走ってくれる?」
✱
「おい、金貨20枚のルーカスがいるぞ!」
「捕まえろ!!」
そんな声と共に、詐欺師を捕まえるためにカジノを訪れていた賞金稼ぎたちが、次々と建物の屋上へと上がっていく。
ナターシャは無駄に騒がしい彼らを、半眼で見送った。彼らは路地にひっそりと突っ立っているナターシャたちになど、見向きもしない。
「え、俺、金貨20枚なの? 超大物じゃないか?」
ルーカスの明るい声が、上から降ってくる。ナターシャは顔を上へと向けた。建物の間から、雲ひとつない星空が見える。
「ルーカス、これほんとに大丈夫……?」
エフィの声は、不安げに揺れていた。
「任せろ! エフィもしっかり捕まってろよ」
「う、うん!」
そんなやり取りの後、エフィを抱えたルーカスが建物の間を『跳んだ』。ルーカスは蒸気機関のようなものを背負っている。それが蒸気を噴き出し、ふたりを対岸の建物へと着地させてくれたようだ。
「……全く、お人好しなんだから」
「だね」
アリステアが肩を竦める。
(……役得もありそうだけれど)
そう思ったが、口にはしなかった。
「くそ、地上から追うか……!?」
ふたりを追いかけていた賞金稼ぎたちは、建物の間を渡れずにざわついた。先ほど駆け上がっていった階段を下り、次々と路地の奥へと消えていく。
「振り回されてご苦労さまね」
「エフィとルーカスなら、問題なく逃げきるよ。目を離せないのはこっち」
アリステアが青い瞳で横にいる詐欺師を見据える。その視線にはいつも以上に温かみというものがない。
「次の日になった瞬間に捕まえる」
「ここまでしてもらってるんだ。それ以上は望まねーよ」
詐欺師が呟く。
(エフィは、ただのひとりの女の子。だけど)
どこかで眩い光が炸裂した。内容は聞き取れないが、ルーカスのふざけた声と、それに応えるエフィの真面目な声が聞こえてくる。
(きっとあなたの行動が、たくさんの人に新しい未来をもたらすのでしょうね)
そう思って、騒がしい空の下、ナターシャはひとりで微笑んだ。




