幕間2:カフェのモーニング
エフィとルーカスの閑話です。
ナターシャと一緒に暮らすようになって、数日。
「カフェでモーニング、頼みたいよな……」
エフィとミラが朝食後の片付けをしている時、テーブルに着いたままのルーカスがそんなことを呟いた。本を読んでいたアリステアが顔を上げる。
「食事は家で摂ればいいよね」
「おいおい、喫茶店にはロマンがあるだろ! ほら、可愛いお嬢さんと優雅にコーヒーを飲みながら交流を――」
「どうしてそこで、女性と同伴する必要がある?」
アリステアは本気で訳がわからないという顔していた、
「……あー、アリスに話を振った俺が悪かった」
ルーカスは芝居がかった調子で項垂れる。そんな彼に、ミラとナターシャが白い目を向けた。
(カフェのモーニング)
聞き慣れない単語を、エフィは心の中で反芻した。
(……って、なんだろう)
彼は時々、カフェのモーニングとやらを話題に上げることがある。エフィ以外の全員は話についていけている様子なので、恐らくエルシオンでは常識的な言葉なのだろう。
状況から、『お店で注文する料理』『朝しか頼めないもの』というのはわかるが、それが一体どんなものなのか、想像もできなかった。
一番簡単なのはルーカス本人に聞くことだが、それはできればしたくない。
なぜなら――
(朝食に出したら、ルーカスはどんな顔をするかな)
そんな野望を思いついてしまったから。
彼を驚かせたいという悪戯心と、いつもお世話になっているから喜ばせたいという純粋な気持ちが、ちょうど半分ずつ、エフィの中に存在していた。
「じゃ、出掛けてくる」
ルーカスが工具の入った鞄を持ちながら、席を立った。今日は近所の時計の修理を頼まれているらしい。
「いってらっしゃい」
エフィが声をかけると、彼はにっと笑って手を振ってから、家を出ていった。
扉が閉まった直後、エフィは洗い物の手を止め、ナターシャをじっと見つめた。
「ナターシャさんに、聞きたいことがあるんです」
「なにかしら」
ナターシャは答えてから、ふっと破顔した。
「ルーカスには聞かれたくない話なのね」
疑問形ですらなかった。エフィはこくりと頷く。
「ば、ばれましたか……」
「エフィさんは案外、隠し事できないタイプだから」
隣のミラまでそんなことを言い出して、エフィは頬を赤らめた。
「ええと……あのね、カフェのモーニングってどんなものですか? ルーカスの好物なのかなと思って」
エフィの質問に、ミラとナターシャは揃ってきょとんとしていた。アリステアが読みかけの本を閉じる音が、リビングに響く。
「モーニングは、喫茶店が朝の時間帯に用意してくれる軽食とコーヒーのことだよ」
「仕事をしている人が、朝から食事を作るのは大変でしょう? だから軽くお腹に入れられるように、そういうメニューが用意されているの」
アリステアとナターシャの説明に、エフィは目を瞬かせた。
「えっと、つまり普通の朝食ってこと?」
「まあ、そう。兄さんは女の子と、朝からデートすることに夢を見てるだけ」
ミラがぴしゃりと言う。
「そっか……じゃあ、私が用意してもダメ、だね」
呟いた声は、自分の想像以上に沈んでいた。
「え? どうして?」
「だって、ルーカスが欲しいのは料理じゃなくて、喫茶店と女の子でしょ?」
目論見が外れて、わくわくしていた気持ちが急速に萎んでいく。洗い物に目を落としながら、うっかりため息をつきそうになった。
「……そんなこと、ないと思う」
ミラがぽつりと言ってから、エフィの顔を覗き込んできた。翠の瞳は、いつになく輝いている。
「エフィさんが用意したら、兄さんは絶対喜ぶ」
「……そうかな?」
「うん、間違いない」
ミラが力強く断言するので、エフィは目を瞬かせた。
翌朝。
エフィはリビングで、そわそわと動き回っていた。「カフェのモーニング」なるものの例をミラとナターシャに教わりつつ、準備をするだけしてみた。しかし本当にルーカスが喜んでくれるのか、あまり自信はなかった。
だって、本当にいつもとそう変わらないメニューなのだ。ルーカスが希望しているものとは、違う気がしてならないのだが――
心の準備ができる前に、リビングの扉が無慈悲に開いてしまう。
「エフィ、おはよう」
まだ眠そうな顔をして、ルーカスがリビングに入ってくる。いつも通り新聞を手にした彼の袖口を、エフィは軽く掴んで引いた。
「ルーカス、あの」
「ん?」
新聞に向けられていた視線が、こちらに向いた。
「こ、こっち……」
緊張から、上手く舌が回らない。エフィは半ば無理矢理、ルーカスを連れて自宅の中庭へと向かう。
そこにはすでにエフィとルーカス以外の全員が揃っていた。
「兄さん、遅い」
ミラが軽く頬を膨らませていた。
リビングから持ってきたテーブルと椅子を中庭に置き直し、その上には朝食が乗せられている。
メニューはトーストとバター、ゆで卵、それからコーヒー。ミラとナターシャから聞いた、モーニングらしい簡単な料理たち。
「どうかな。あの、ルーカスが時々、言ってたでしょ。モーニングを頼みたいって。だから……その、デートする女の子はいないけど、メニューだけでもと思って」
しどろもどろになりつつ、エフィが言う。
ルーカスは最初、中庭の入り口で固まっていた。瞬きも忘れて、テーブルの上を見つめている。
「カフェじゃないから、ダメだった……?」
一番の懸念を口にすると、突然ルーカスがエフィの頭に大きな手を乗せてきた。重みで顔が下を向く。
紅茶に似た香りが、ふわっと漂った。
「ルーカス?」
「あー! もう!!」
そのまま、やや乱暴に頭を撫でられる。編み込んだ髪が乱れていく。どうしていいかわからず、エフィは黙ってそれを受け入れることしかできなかった。
嫌では、なかった。
「ダメな訳ないだろ」
降ってきたその言葉が、優しく響く。エフィは顔を上げようとしたが、彼の手の力が強くなり、それは叶わなかった。
「ま、待て、顔は上げないでくれ。今はちょっと……」
ルーカスにしては言葉の歯切れが悪い。くすくすとミラが笑っている。
ひとしきり頭を撫でた後、ルーカスの手がそっと離れた。エフィは顔を上げる。ほんの少しだけ、彼の顔が赤い気がした。
「ありがとな。なんか……すげぇ嬉しい」
「……そんなに?」
「当たり前だろ。エフィが俺のために用意してくれたんだぞ? これで喜ばない紳士はいないさ」
ルーカスの表情が、いつになく柔らかなものへと変わる。
「そっか。じゃあ今度、順番にみんなの好物を用意して――」
「えっ」
ルーカスが固まる。何か悪いことを言ってしまっただろうか。不安になって、エフィは思わずミラの方を見た。
「兄さん、墓穴掘ってる」
「本当ね」
ミラとナターシャが噴き出している。ふたりが笑っているから、そう変なことを言ってしまった訳ではないだろうと胸をなで下ろす。
「いやいやいや、みんなの分はエフィが大変だろ。今回だけでいいぞ」
「そう? こちらこそ、いつもありがとう」
エフィが返すと、ルーカスはにっと明るく笑った。いつも通りのルーカスだ。
視界の端では、アリステアが飲み物に手を伸ばしているのが見えた。
「ルーカスが来る前に、全部食べよう」
彼がぼそりと呟く。小声のそれをルーカスは聞き逃さなかったようで、勢いよく振り向き、アリステアを睨む。
「おいアリス!」
「だって、女性と交流したいんだよね?」
「そう言ってたわね。そんな人に、エフィが作った食事は勿体ないわ」
ナターシャが言いながら、トーストを口にする。
「くそっ、エフィ、あいつらに取られる前に行くぞ!」
今度はルーカスがエフィの手を引いて、テーブルへと足早に向かう。アリステアとナターシャが笑っている。ミラはこちらに向かって得意げにウインクしてみせた。
(……喜んでもらえて、よかった)
そんな想いを隠して、
「うん! いっぱい食べよう!」
エフィは微笑みを返した。




