2-18:いつか、また
ナターシャが、エフィの家の客室で暮らし初めた翌日のこと。
朝食を終えた後、それぞれ思い思いに過ごしていた。ルーカスとミラは仕事である蒸気機関の修理に取り掛かり、アリステアは本を読んでいる。わざわざルーカスとミラが大きな音を立てる中で読書をするのは――
(ひとりでいるのが寂しい、とか?)
その想像はあながち間違ってはいない気がして、エフィは微笑ましい気持ちになる。こちらの視線に気付いたのか、アリステアが僅かに顔を上げた。読書な集中していたような気がするのに、察しが良すぎる。
「邪魔してごめん」
エフィは言って、アリステアから視線を逸らした。次に目を留めたのが、テーブルに着いたままぼんやりとルーカスたちを眺めているナターシャだった。
「ナターシャさんは、何かしないんですか?」
そう聞いてみると、彼女は困ったように眉尻を下げた。
「よくわからないの。もう私は予言に従うことはできないでしょう? だから……」
ナターシャが何を言いたいかすぐにわからなくて、エフィは首を傾げる。代わりに反応したのはルーカスだった。
「別に、何したっていいんじゃないか? 好きなこと、やりたいことをやれば」
俺みたいに、とでも言いたげに、彼は工具を持ち上げてみせた。ナターシャは返事をせず、テーブルに視線を落とす。ミラが冷たい目を兄に向けた。
「ナターシャさんみたいになるのが普通。毎日元気な兄さんが変」
「え、変か……!?」
「うん。わたしだって、どうしたらいいか困る」
ミラの発言に、ルーカスは不思議そうな顔をした。
「ミラはまだ予言を変えてないだろ?」
兄の指摘に、ミラは一瞬だけ言葉に詰まった。それを誤魔化すように笑う。
「それはそう。でも、色々……考えることはある」
「そういうものか……?」
ルーカスは眉間に皺を寄せた。アリステアは何も言わないが、本を読む手は止まっている。
俯くナターシャに、何か声をかけたい。エフィはその一心で口を開く。
「何か、やり残したことはないですか?」
「やり残したこと……」
ナターシャの暗い赤色の瞳が、僅かに逸らされる。
「私はやり残しちゃったなってこと、ありますよ。こんなことになるなら、兄様ともっと話しておけば良かったなって」
口にはしてこなかったが、ずっと後悔していた。
いつもの夜、寝る前に交わした挨拶が最後だった。目覚めたら別の場所にいるなんて、あの時は考えもしなかった――
エフィの言葉にそれぞれ思うところがあったのか、リビングは静寂に包まれた。ナターシャが、躊躇いながらこちらを見る。
「それなら、私……お母様を一目見たいわ。私は死んだことになっているから、直接話すことはできないけれど、遠目から見ておきたいの」
「じゃあ、一緒に行きませんか?」
「エフィが?」
「はい。私の魔法で姿を隠せますから、近くまで行けるはずです」
ナターシャが、ぎゅっと拳を握る。
「エフィ、ありがとう……」
そう言って、彼女は小さく笑みを浮かべてくれた。
目眩ましの魔法を使いながら、エフィとナターシャはルーカスの家を後にした。
「こっちよ」
ナターシャに導かれて、エフィはエルシオン中心部から遠ざかる方向へ歩いた。建物や蒸気機関は明らかに減っていく。代わりに畑や牧場が増え、緑豊かな田園風景へと移り変わる。
道の石畳が疎らになり、やがて完全に消える頃、ナターシャは足を止めた。目の前に、大きな畑を持つ一軒の民家がある。
家の前に、中年の女性がいた。暗い表情のまま、井戸から水を汲み上げ洗濯をしている。身に纏うのは喪を示す黒い服。
(もしかして、あの人が……)
ナターシャが、じっと彼女を見つめている。何も言わなかった。声を出したら、すべてが台無しになってしまう。エフィは静かに、ナターシャに寄り添う。
女性がのろのろと洗濯を終えて、桶を抱えて家の中へと戻っていく。扉が完全に閉じてしまうまで、ナターシャは瞬きひとつせずに女性の姿を追っていた。
(……本当は、声をかけたい、よね)
彼女の気持ちがわかる気がして、エフィの胸が苦しくなる。
扉が閉まる音が響く。ナターシャは大きく息を吐くと、おもむろに自身の髪に手を伸ばした。向かって左側に着けていた、釣鐘型の白い花を模した髪飾りを外し、指で摘まむようにして眺める。
「これね、お母様に貰ったの。就職祝いにって」
そう言いながら、ナターシャは残された右の髪飾りに触れた。玄関先までゆっくりと歩いていき、外した左の髪飾りをそっと地面に置く。
「……ごめんなさい」
閉まった扉に頭を下げてから、彼女がくるりと背を向ける。
(こんなに近くにいるのに、会えない、話すこともできないなんて……)
今は会えない兄の顔がちらつく。それを仕方のないことだと割りきるのは、どうしてもできなかった。
躊躇いは、一瞬だけ。
エフィは腹に力を入れてから走り出す。真っ直ぐに玄関へと向かい、扉を叩いた。
「エフィ!?」
ナターシャの驚いた声が聞こえる。彼女の手を引いて玄関から少し距離を取り、エフィは次の魔法を発動させた。
玄関が軋んだ音を立てて開くのと、ナターシャの幻が生成されるのは、ほとんど同時だった。
「ナターシャ……!?」
女性の悲鳴のような声が響く。幻のナターシャは視線で地面を示した。女性がその場に膝を突き、先ほどナターシャが置いた髪飾りの片割れに手を伸ばす。
その指は震えていた。エフィの隣で、ナターシャが一歩前へと踏み出す。
幻の唇が、微かに動く。
「……さよなら、お母様」
ナターシャが呟いた。
女性はこちらには気付かず、幻を見上げる。幻のナターシャは微笑んで、宙に溶けるように姿を消した。女性は跪いたまま、髪飾りを胸に抱いている。
本物のナターシャが、エフィを促してその場を後にする。黙って彼女に従った。
無言が続く。ナターシャの実家がすっかり見えなくなっても、彼女は歩くのをやめなかった。
「……エフィ、ありがとう」
ぽつりと彼女が呟いたのは、もうほとんどルーカスの家の前まで来た後のことだった。
「おかげで、お母様に最後に挨拶することができたわ」
ナターシャの声が鼻声だったのは、気付かないふりをした。
「私がしたくてしたことですから。……少し、思ったことがあるんです」
「思ったこと?」
エフィは足を止め、自分よりも背が高いナターシャを軽く見上げた。
「いつかエルシオンに、予言が当たり前じゃなくなる日が来たら――その時はきっと、お母様に会えますよね?」
エルシオンにいる限り止まない歯車の音。それに負けないくらいの声量で、エフィは言った。
ナターシャの目が丸くなる。一拍置いて、唇をへの字にしながら笑ってくれた。
「そう、ね。ええ、きっといつか、そうなる日が来る」
へたくそな笑顔に、エフィも微笑みを返した。
そんなやり取りを経て、ふたりはルーカスの家へと帰宅した。
どうなるかわからない未来と戦っていく、仲間たちのところへ。




