1-3:刻星と魔法使い
リビングに、重い沈黙が落ちる。
「決まってる、って……」
やっとのことで絞り出したエフィの声は、震えていた。
「どうして、そんなことになるの?」
「昔々、偉い賢者様がエルシオンの中心に聳える塔――刻星機を作り出したんだ。星を詠むことで、人間ひとりひとりの未来を見通して、世の中がみんな上手くいきますように、ってな」
ルーカスの声に、隠しきれない棘が混ざっている。
最初、その言葉の意味をうまく呑み込めなかった。違う答えを求めるようにアリステアを見たが、彼は黙って目を伏せる。
「そんな……最初から、全部決まっているの……?」
やっとのことで絞り出した声は、掠れていた。
「さすがに今日の夕飯だとか、誰と喋っただとか、そんなことまでは予言されてないさ。でも、その人の未来を左右するような大きな出来事は、生まれたときに支給されるこの本に記される」
ルーカスは腰から吊るしている本を、ベルトから外して机の上に乗せる。鮮やかな赤色をしたそれは、先ほど見たルーカスの血を思い起こさせて、エフィの体が震えた。
「それが外れた例を、俺は知らない」
ルーカスがおもむろにページを捲り始める。乾いた紙を捲る音が何度か響いた後、彼はある一節を指で示した。
6の月3日
ルーカスは刻星守護隊に追われ、捕縛される。翌日、審問にかけられ、星詠みを乱す者として正式に逮捕される。
(これが……ルーカスの運命?)
その一節を何度も読み返し、胸に刻む。ルーカスが本を閉じる時、後ろのページの大半が白紙だったことが、ちらりと見えてしまった。
白紙――未来がないということ。それが意味することに思い至り、エフィは凍りついたように動けなくなる。
自分がしたことの大きさの片鱗を、ようやく理解した。
「みんな刻星機の予言に従ってるけどさ。俺は、それを変えたいと思ったんだ」
ルーカスが寂しげに笑った。重さが胸に残る。
「そんなの……変えたいと思って当たり前だよ」
ぎゅっと、拳を握った。
「だって、運命が決まっているのなら、それは自由に生きられないってこと。……だよね?」
エフィの疑問に、アリステアが薄く笑みを浮かべた。彼が笑うところを見たのは、これが初めてだ。
「予言が人々の生活に定着して数百年。もう、予言があることが普通なんだよ。この世でそんなことを言うのは、僕の知る限りでは君たちふたりだけだ」
「おいおい、なーに他人事みたいに言ってるんだ。お前もだろ?」
ルーカスがアリステアを肘で小突く。顔をしかめつつも、アリステアは動かずにそれを受け入れていた。
「運命を変えようとして騒ぎを起こして、それで結局逸脱者として刻星守護隊に追われているのはルーカスだけだよ」
「違いねぇ。でもさ、妹のこと、無視できなかったんだよ」
ルーカスが小さく、だが明るく笑った。
(ルーカスには、妹がいるんだ)
そんなところにも、兄と似たところを見つけて親近感が湧く。
運命に、予言。まるでこの街に蔓延る歯車のようだと思った。人間の人生なんて、より巨大なものを動かすための歯車に過ぎない――そんな想像に、息がしにくくなるような錯覚に襲われた。
「確かに僕は君に協力しているけど、本気で変えられるとは思ってなかったよ。……さっきまでは」
アリステアの青い瞳がこちらを見る。
――ルーカスはここで捕まると決まっていた。それを書き換えた変数は……君と、君の魔法か。
初めて会った時の彼の言葉が、脳裏に過る。
衛兵たちとルーカスのやり取り。魔法に驚かれたこと。今の話。すべてが、ひとつに繋がる。
「まさか、私が……ううん、私の魔法が、運命を書き換えている、ってこと……?」
半信半疑で口にした言葉を、アリステアが無言で肯定する。
「まだ確定じゃないけど、俺はそう思った。少なくとも、俺の予言には、君との出会いは記されていなかった」
ルーカスの口調には、強い熱があった。一方でエフィは、彼の勢いに気圧されてソファの上で小さくなる。
「どうして、私が? 私は特別な存在じゃない。ただの、普通の――」
言いかけてから、ふたりの視線を感じて言葉を止めた。
(運命や予言なんて、私は知らない)
エフィはただの人間だ。兄と一緒に生きてきて、人並みに魔法が使えて、ごくごく平凡に暮らしてきた。
だけど、このふたりにとっては違う。予言を知らず、魔法を使う――まるで違う世界の人間のように見えているはずだ。エフィにとっての、この街やふたりのように。
背筋に、冷たいものが走る。
「……私は、特別なの?」
「そうだね。少なくとも、今のエルシオンに魔法使いはいないし、君の存在すら僕たちの予言にはない。明らかに異質な存在だ」
即答したのはアリステアだった。その声が、どんな温度をしているかわからない。ただ真っ直ぐに胸へと届いた。
「私が暮らしていた街では、予言なんかなかった。魔法は誰もが普通に使えるものだった」
抑揚のない声で呟く。
「でも、気付いたら家ごとこの街にいて、あの人たちに追い回されて……この街での私は『特別』なんて言われても、すぐに納得することは難しい……」
背負ったものの大きさを思い、そっと目を伏せる。
(でも、これからどうするかを決めなきゃいけない。私が)
エフィは今、この街にいて、頼れる兄はいない。その事実が胸にのし掛かってきて、肩で大きく息をした。
「……待って」
ふと、アリステアが視線を玄関の方へと走らせた。彼は音もなく立ち上がり、玄関の方へと向かう。その表情は固く強張っている。
ここでエフィにもようやく、足音と人の声が聞こえてきた。ひとりふたりじゃない。
(まさか、あの追っ手たち?)
ルーカスと共に、身動きひとつせず、ただ待つ。アリステアはすぐに戻ってきて、首を横に振った。
「ヤードがいる。この場所は特定されているだろうね」
彼の報告に、息を呑む。
「そんな……」
「あいつら、本当にしつこいな。そんなんじゃモテないぞ、っと」
ルーカスがぼやきながらも立ち上がった。
「まだ、貴方が捕まるって運命は変わっていないの?」
「その可能性が高い。刻星機の予言は当たる……いや、強制力として『当てて』くる。一時的に逃げ切っただけでは、運命を変えたとは言えない」
難しい顔をして、アリステアは腕を組む。
「ま、いつまでもここにいるとエフィに迷惑だし、そろそろ出るか?」
ルーカスの口振りは、まるで普通に遊びに来た客人のようだった。アリステアが頷く。
「あ、エフィはどこかに隠れていろよ。俺が捕まっても、エフィのことは言わないから」
「服装を馴染ませれば、ヤードに見つからずに過ごせるんじゃないかな」
アリステアに指摘されて、エフィは身に纏う色鮮やかなローブの裾を引っ張った。
「さすがアリス。いいアドバイスだな」
ルーカスににっと笑われて、心の中に形容しがたい何かがこみ上げて来た。衝動的に口を開く。
「……なんで」
腹の底から出た声は、震えていた。表情を隠すように俯く。
「ルーカスは、このままじゃ捕まっちゃうんでしょ? 私は一度、貴方を助けた。なのになんで、私を置いていこうとするの」
『特別』だというのなら、エフィに運命を変えられるかもと言うのなら、一緒に連れていけばいいのに、ふたりは示し合わせたようにそれをしない。
こちらの言葉を聞いて、彼らは顔を見合わせた。
「いや、普通にこんなことに巻き込めないだろ。女の子なんだし」
「女の子云々はともかく、一般人をルーカスの無茶に巻き込むことはできない」
「言うじゃねーか」
ルーカスが声に出して笑う。こんな状況なのに笑う彼に、エフィは心を決めた。
「私も行く」
顔を上げ、真っ直ぐに言いきった。
放っておけない。それにここで逃げたら、さっきルーカスを助けた意味が無くなってしまう。
武器を向けられたことを思い出して、身が竦みそうになる。それでも――
(このままは、嫌だ)
赤色を残しながら逃げる彼を、もう想像したくもなかった。
「……着いてくるって言うなら、止めないよ」
「おい、アリス」
「この街のこと、自分の目で確かめるといい」
アリステアはそう言って、躊躇いなく玄関を開けた。




