1-2:時を刻む街
霧の路地から突然現れた青年の冷静な言葉と、肌で感じる視線の重圧感。エフィの喉がひりつき、彼から目を逸らせなくなる。
彼は何者なのか――エフィが考えている間に、ルーカスがふらりと青年に近寄った。
「アリスじゃん。脅かすなよ」
「アリスって言うな」
ルーカスが青年に気さくに話しかけたので、拍子抜けする。アリスと呼ばれた彼も、不機嫌そうには見えるものの、先ほどよりもずっと柔らかい声でルーカスに応じた。
「脅かされたのはこっちだよ。君が捕まらずにここにいるなんて、予想していなかった」
「おいおい、酷くね? ちょっとは俺の活躍を信じてくれてもよくないか?」
ルーカスが笑いながら言って、アリスの肩をばしばしと叩いた。
「ま、実際、この子がいなきゃ捕まってたな」
ルーカスがこちらを振り向く。アリスの眼差しが、再びエフィを捉えた。
「ルーカスを助けてくれたことには、感謝する」
アリスは帽子を取り、頭を下げた。背中でひとつ結びになっている赤茶の髪が、僅かに揺れる。
そんな彼の態度とは裏腹に、探るような視線が突き刺さった。つぶさに観察される。非常に居心地が悪い。
(この人、なに考えてるのか全然わからない……)
敵ではないようだが、思わず視線を逸らしてしまう。視線の先にはルーカスがいて、彼もまた、こちらを見て何か考え込んでいる様子だった。
その様子に、先ほど彼を助けた時、魔法を使ったらとても驚かれたことを思い出す。
(私、何か変なことした……?)
内心、そんなことを考える。沈黙が重い。
「あ、あの、追っ手は大丈夫ですか?」
エフィの苦し紛れの問いかけに、アリスは首を横に振った。
「……まだここは安全な場所とは言えない。一度移動した方がいい」
「そうだな。ちょうど可愛い女の子もいるし、いつものカフェでモーニングでも頼むか?」
言いながら、ルーカスはニヤッと笑う。
(か、可愛いって……こんな状況でそんなこと言う!?)
エフィは心の中だけで突っ込んだ。対するアリスは呆れたような、冷たい目線をルーカスに向けている。
「カフェなんて行ったことないよね」
「いやお前、そこは乗れよ」
ルーカスはがっくりと肩を落とした。
しばらく口を閉ざし、男性ふたりの様子を伺う。彼らは軽口を叩いているものの、周囲を警戒するように見回している。ちゃんと逃げるつもりはあるらしい。ただ、移動先の決定打がないことが、進まないやり取りから伝わってくる。
何度か、蒸気が吹き出す音が響いた。
エフィは深呼吸をしてから、口を開く。
「……あの、私の家はどうでしょうか?」
その提案に、男性ふたりは顔を見合わせた。
「君が助けてくれるのはありがたいけど、いいのか? 俺たちを庇うと、君まであいつらに追われる羽目になっちまうぞ」
「今さらです。それに、私もあいつらに追い回されていたから」
そう言うと、ルーカスがほっとしたような顔で笑った。人好きのする、明るい笑顔だった。
「君のその格好だと、あいつら『逸脱者だ!』ってすぐ飛んできそうだもんなぁ。悪いけど、世話になる」
指摘されて、自分の服を見下ろした。身に纏うローブは、鮮やかな海の色をしている。色彩も形状も、元々暮らしていたところでは一般的な服装だったが、ルーカスやアリスの落ち着いた服装とは、まるで違う。
端的にいえば、この灰色の街ではとても目立つ。
「はい。目眩ましの魔法をかけますから、移動しましょう」
ふたりの間に近寄り、手を向ける。指先に生まれた光が、3人をヴェールのように包み込んだ。
「これは?」
アリスがこちらに向ける視線は鋭い。
「見た目が風景に馴染むので、目視では発見されにくくなります。物音や気配は消せませんが」
「なるほど、保護色ってことか。魔法は便利だな」
先ほど逃げてきた道へと一歩踏み出したエフィは、強いめまいを感じてふらついた。意識を失うほどではないが、視界は歪み、焦点が合わない。
「お、おい!」
咄嗟にルーカスが支えてくれなければ、石畳に倒れ込んでいただろう。
「すみません。魔力の使いすぎです」
気力を振り絞って立ち上がるが、やはり世界はぐるぐると回っている。ふらつきながらも一歩踏み出すが、ルーカスが手で制した。
「そんなんじゃ、いざって時に逃げられないだろ。失礼」
言うが早いか、ルーカスはエフィを横抱きにした。軽々と持ち上げられ、慌ててしまう。
「ちょっと、足の傷は、まだ完全に治ってないんですよ。無理をすると……!」
「だけど、逃げ切るためにはこれが一番簡単な解決方法だ。それに、君の魔法は音は消してくれないから、大声は厳禁。だろ?」
ルーカスの隙のない発言に、エフィは唇を尖らせつつも、頷くしかなかった。アリスも深々と頷く。
「僕が偵察をして、危険がありそうなら伝える。とりあえずふたりは真っ直ぐ家に向かって欲しい」
アリスの提案に、反対する声はなかった。
3人は、自宅に向かって歩き始めた。つい先ほどルーカスと出会った広場を通り過ぎ、更に路地を進む。
陽が登ってきたためか霧が晴れ、視界が広くなっている。アリスの誘導とエフィの魔法のおかげで、衛兵に見咎められることもなく、無事に3人は家の前まで戻ってくることができた。
「ここです」
合図をして、ルーカスに降ろしてもらう。目眩はまだあるものの、歩けない程ではない。
エフィはそのまま、自分で扉を開けた。途端に見慣れた玄関ホールが目に飛び込んできて、ほっと胸を撫で下ろす。
「どうぞ」
ふたりを招き入れて、扉を閉めた。街の機械的な喧騒と湿度の高い空気が遠退く。リビングまでふたりを案内して、それぞれソファに座ってもらった。
家の中に、自分たち以外の気配はない。やはり兄は戻っていない――それに気付いて、こっそりため息をついた。
「本当に助かったよ。君の魔法、すごく便利だな」
(このくらいの魔法なら、誰でも使えると思うけど……)
ルーカスの言葉に戸惑ったが、機械仕掛けのこの街では常識が違うのかもしれない、と考え直し、口にはしなかった。
アリスとルーカスは内装が物珍しいのか、きょろきょろと視線を彷徨わせている。
「ずいぶん変わった家に住んでいるね。これは、魔法の教本?」
アリスが本棚に並ぶ兄の魔道書たちを眺めながら呟いた。
「確かに、昔話に出てくる魔法使いのお屋敷って雰囲気で、お洒落だよな」
ルーカスも頷いている。
「あの、足は大丈夫ですか?」
エフィが聞くと、彼は今思い出した、と言わんばかりに慌てて足を見た。先ほど巻いたハンカチは血まみれで、顔から血の気が引いてしまう。
「やっぱり……! すぐ治療します!」
「なに、君と会ったときに比べれば、大したことないさ。歩けるしな」
ルーカスはそう言って笑った。エフィは立ち上がり、リビングの片隅から救急箱を引っぱり出した。傷口を簡単に洗い、清潔なガーゼと包帯で保護する。
「ありがとな、えーと……」
ルーカスは言葉に詰まった。
「あのさ、君、名前を教えてくれるか? 俺はルーカスで、こっちはアリスだ」
「アリスじゃない」
「だってさ、アリステアって長いだろ」
「略してもそんなに変わらない」
おどけるルーカスとは対称的に、アリステアは不機嫌そうだ。そんなふたりを見て、思わず表情が緩む。
「私はエフィ・サーシャ・ステラシエルと言います。年は19です」
「エフィか。よろしく。俺たちの方が年上だけど、気軽に喋ってくれると嬉しい」
ルーカスがさっと手を出したから、そこに手を重ねて握手をした。手の平に温かさが伝わってくる。彼はその温度の通り、気さくで話しやすい人間だと感じた。
「君がいてくれて、本当に助かったよ。君がいなかったら、俺はあそこで捕まっていた『運命』だったと思う」
ルーカスは妙に『運命』という言葉を強調して言った。その言葉に、ぎくりと動きを止める。ふたりを追いかけ回していた衛兵も、その言葉を口走っていた記憶がある。
「なあ、本当に運命、変わったかもしれないな」
ルーカスは言いながら、腰からブックホルスターで吊るしていた本を撫でる。アリステアは最初、返事をしなかった。
「楽観的すぎるか? でもなアリス、実際さっき逃げきれたのは大きい一歩だと思うんだ」
「それは……そうだね。エフィという変数がなければ、ルーカスは捕まり、僕だけが逃げきっていた。そういう運命だった」
アリステアの視線が、エフィを貫いた。冷ややかな青い瞳。家に戻ったことで忘れていた緊張が、再び舞い戻ってくる。
「予言は絶対。だけど、君は予言に記されず、それどころか予言を書き換えてみせた。……君は、何者なの?」
「そ、そう言われても何がなんだか……。そもそも、予言って何のことなの?」
逆に聞き返すと、ふたりは顔を見合わせた。
「なあ、まさか、エフィは運命を知らない……のか?」
ルーカスが信じられないものを見るような目をこちらに向ける。
「可能性はある。魔法といい、この家といい、彼女は僕たちとは違う常識で生きているのかもしれない」
アリステアはテーブルに視線を落として独り言を呟き、それからエフィへと視線を移した。
彼が纏う空気が張りつめる。無意識のうちに、姿勢を正した。
「エフィ。ここは時を刻む街エルシオン。ここでは、人間の運命は全部、記された通りにしか進まない。すべて、最初から決まっている――そう、信じられている」
アリステアが、抑揚のない声で告げる。彼の隣でルーカスが、またブックホルスターの本を弄んでいた。
「運命が……決められている……?」
「ルーカスはさっき、追っ手に捕まる運命だった。それを覆してみせたのが――君だよ」
アリステアの言葉が、しんとした室内に響いた。
明日からは1日1話投稿となります。
よろしくお願いします。




