1-1:必然の出会い
朝霧に満ちた路地に、歯車が動く規則的な音と、時折吹き出す蒸気の音が響いている。その喧騒に足音を忍ばせながら、少女――エフィはひとりで走っていた。
プラチナブロンドの長髪が、油っぽい風に靡く。
朝起きて、兄と挨拶を交わして1日が始まる――そんな当たり前の今日は、突然失われた。
今朝、目覚めた瞬間からエフィはこの見知らぬ街に放り出されていた。家を出たところで衛兵らしき者たちに見つかって、理由もわからないまま追い回されている。兄の姿は、どこにもない。
がたんと、背後から何かが動く音。咄嗟に壁の配管の隙間に体を押し込むようにして隠れた。自分の呼吸が、やけに大きく聞こえる。
「いたか?」
「いや。こちらではないようだ」
そんなやり取りと共に、人の気配が遠ざかる。隙間から抜け出し、左右を確認してから歩き出す。肩はまだ、強張ったままだった。
(兄様を探さないと)
兄がエフィに黙って家を空けることなんて一度もなかった。ローブの布地を、皺ができるほど強く握る。竦みそうになる足を叱咤して、エフィは進む。
機械仕掛けの路地を抜けると、ひらけた場所に出た。エフィのいる場所は一段高くなっていて、広場を見下ろすことができる。
広場の中央に、人影があった。思わず膝を着き、転落防止用の塀の影に隠れる。荒い呼吸音が聞こえないよう、気配を殺した。
エフィは塀から顔だけを突き出すようにして、その人物の姿を確認する。目に入ったのは、黒の短髪。
(兄様……! じゃ、ない?)
そこにいた男性は、20代前半くらいに見えた。年齢や背格好は兄に似ているが、横顔の雰囲気が違う。精悍な顔つき。額には真鍮のゴーグルが煌めいている。
彼は怪我しているのか、足を押さえてしゃがみこんでいる。その表情は険しく、彼のトラウザーズの裾は赤く染まっていた。
鮮烈な赤に、小さく息を呑む。
故郷では、こんな非日常はなかったのに――
「おい、こっちだ!」
向こうの路地から大勢の足音が聞こえた。
黒いケープを身につけた衛兵たちが走ってくる。追い回されたことが頭を過り、全身が硬直した。
「大人しく投降しろ! ルーカス、お前はここで捕まる。そう決まっているんだよ」
衛兵たちはルーカスと呼んだ青年を取り囲み、金属でできた筒を彼へと向けた。
「おいおい、そんなの初耳だぜ? ってのは冗談だけどな」
ルーカスと呼ばれた青年は傷が痛むのか苦しげにかし不敵に笑う。彼は両手を上げるふりをしてさっと懐に手を突っ込み、小さな球体を取り出した。
それを地面に投げつける。たちどころに煙が発生して、周囲の視界を奪った。
「『運命』だとしても、せいぜい足掻かせてもらうさ!」
ルーカスが煙から飛び出し、広場の奥へと逃げようとする。彼は負傷した足を引きずるようにしていて、エフィの胸がざわつく。
「逃がすか!」
声と共に、パン! と乾いた音が響いた。何かが空気を引き裂くようにして、高速で飛ぶ。
「……っ」
血が舞った。ルーカスの左足に新たな傷が増え、彼はがくりと地面に足をついた。全身を震わせて立ち上がろうとしているものの、はあっと大きく息を吐き出し、再び座り込んでしまう。
彼の目は、それでも前を見ている。
その姿が、兄と重なった。
「決まっているものを、変えられるはずがないんだよ」
嘲笑。倒れたルーカスに、衛兵たちが近付く。衛兵の中には、帯びていた剣を抜いていたものもいる。ゆっくりと、刃が振り上げられた。彼らは止まらない。
鈍い色が目に焼き付き、――振り下ろされる。
寸前、エフィは飛び出していた。考えている時間はない。最速で階段を駆け、衛兵に体ごとぶつかった。衝撃に、目を閉じ歯を食い縛る。
衛兵は剣を取り落とし、乾いた音を立てて石畳に跳ねた。体勢を崩したエフィも地面に転がり、強かに体を打ち付ける。
「いったあ……」
呻きながらも立ち上がり、ルーカスを庇うように前に出る。その場の全員が、突然現れたエフィに釘付けになっていた。
「なんだ、これ……?」
ルーカスは琥珀色の瞳で、割り込んできたエフィを見つめ、固まっている。何か言いたげに彼は口を開き、しかし言葉が出てこない。
「何者だ! 予言遂行の邪魔をするな」
「予言!? よくわからないけど、こんな一方的なの……見過ごせないよ」
エフィは震える声で言う。そのまま彼に背を向け、魔法を展開した。
手から一筋の光が生まれ、広がった。光は衛兵たちとこちらを隔絶する半透明な壁を形成する。無視して詰め寄ろうとした衛兵が、壁にぶつかって跳ね返された。
「これは……!?」
「見えない壁だと!?」
衛兵たちから戸惑いの声が上がる。なぜただの魔法に彼らが過剰反応しているかはわからないが、こちらにとっては都合がいい。エフィはルーカスに駆け寄った。
「大丈夫、ですか?」
「あ、ああ。これは君が?」
「はい。魔法ですが……」
黒髪の青年は目を見開いた。
「これが、魔法……!?」
その時、エフィはどん、と突き飛ばされるような衝撃を受けてたたらを踏む。魔法で織り上げた光の結界に、衛兵たちが体当たりを繰り返していた。びりびりとした感覚が魔法を通して自分にも波及し、表情が歪む。
「今のうちに逃げて。立てますか?」
「わかった。……っ」
ルーカスは立ち上がろうと動き出すが、すぐに地面に崩れ落ちてしまう。彼が短く息を吐いた。足からの出血はまだ、止まっていない。
光の結界が、衛兵たちから加えられる衝撃で歪む。
(……兄様、力を貸して……!)
エフィは祈りながら、彼の足に手をかざした。淡い光が溢れて、彼の傷を塞いでいく。軽い眩暈を覚え、目を瞬かせた。
「なっ……治癒しているだと!?」
衛兵たちが体当たりも忘れてざわついている。その隙に、エフィは治癒魔法をかけ続けた。
(兄様の、見よう見まねだけど)
初めて使った魔法。出力は安定しないし、治りも遅い。
光の壁の向こうで、我に返った衛兵が再び破裂音を響かせる。その『攻撃』は光の壁に小さな穴を空け、こちら側にも届いてしまう。
ぞっとした。あの筒は、一体どれほどの威力があるのだろう。衛兵たちは壁に穴を開けようと、次々と筒を使った遠距離攻撃を仕掛けてくる。
このままでは、破られるのは時間の問題。
「もう少し、時間が欲しい……」
エフィから独り言が零れた。呆然と自分の傷を眺めていたルーカスが、はっと顔を上げる。至近距離で視線が交わった。
「わかった。任せろ」
自信ありげな声。彼は懐から小瓶を取り出すと、衛兵たちへ向かって投げた。小瓶は彼らの攻撃でできた結界の綻びを通過し、向こう側の地面へ落ちる。
ぱりんと音を立てて硝子が割れ、今度は黄色っぽい煙が巻き起こった。結界に阻まれ、その煙はこちらまではあまり流れてこない。
それを吸った衛兵たちは、次々に手にした筒を取り落とし、地面に膝を着いた。
「なっ、これは!」
「安心しろ。四肢を短時間麻痺させるだけだ」
ルーカスは、苦しげに、けれどにっと口角を上げて笑ってみせた。その表情が、兄とどうしようもなく重なる。
目が、離せない。
「ありがとうございます」
「それはこっちの台詞だ。女の子が命懸けで助けてくれたんだ。カッコ悪いところは見せられないさ」
ルーカスの表情は和らいできていて、エフィはほっとした。
ある程度治癒魔法を使ったところで、ルーカスが恐る恐るといった様子で足に力を入れ、立ち上がった。彼は二度、三度目と足踏みをする。その表情は、驚きへと変わった。
「君は、こんなことまで魔法でできるんだな」
「いえ、まだ軽く塞がっただけです」
「といっても、のんびり治療している時間はなさそうだ」
ルーカスが結界の向こうに視線をやる。彼の言う通りだ。手を下ろし、魔法を使うのをやめる。
代わりに、エフィはポケットからハンカチを取り出し、傷口をぎゅっと縛った。応急処置だ。ルーカスが痛みで軽く呻く。
「くそっ、あの女共々、ルーカスを捕えろ! それで予定通りになる!」
衛兵のリーダーらしき男が叫ぶ。薬が切れたのか衛兵たちは立ち上がり、筒を構えて即座に撃った。結界に衝撃。エフィは魔法の出力を上げる。ふらつき、視界が霞む。
もう、長くは保ちそうにない。
「おい、大丈夫か? 逃げるぞ」
ルーカスが手を差し出す。エフィの逡巡は一瞬だった。
「……はい」
この人は多分、衛兵たちと違って信用してもいい。エフィはルーカスの手を取った。兄と同じ大きな手に、力強く腕を引かれる。
エフィはルーカスの後に続いて走り出し、手近な路地へと飛び込んだ。
その直後、ふたりの背後で、結界が崩壊する鈍い音が響き渡った。
(もう、少しだけ!)
魔力をかき集め、もう一度光の壁を作る。薄い。しかし足止めには十分だった。
振り向かずに、エフィは走る。朝霧と歯車の音に紛れて、少しずつ衛兵たちの足音が遠ざかり、やがて消えた。
「あの、少しいいですか?」
エフィが声をかけると、ルーカスは走るのをやめた。固く握っていた手を放し、彼はこちらを振り向く。
「傷口、開いてしまっているかも」
「あ、本当だ」
先ほど巻いたハンカチに、真新しい血が滲んでいた。今痛みを感じ始めたのか、ルーカスが顔をしかめる。エフィはしゃがみこみ、再び彼の足に治癒魔法をかけた。
「ありがとう。でも、そんなところにしゃがんだら、服が汚れるぞ」
「気持ちだけ受け取ります。私がやりたくてすることだから、気にしないで下さい」
エフィは魔法を止めない。柔らかな光が、薄暗い路地に満ちる。
「……なあ」
頭の上から、声が降ってくる。それはどこか躊躇いがちで、言葉を探るような色を帯びていた。
「なんて言っていいかわからないけど……とにかく、助かった。君がいなければ、俺は予言通り捕まっていたと思う」
予言。その言葉を聞くのは2回目だ。
「あの、予言って――」
言いかけた言葉を、途中で呑み込む。
前方、霧の中から、こつんと靴音が聞こえた。それはまるで自分の存在を主張するように、力強く響く。
(まさか、追っ手……!?)
エフィは魔法をやめ、立ち上がって身構えた。
「ルーカスはここで捕まると決まっていた。それを書き換えた変数は……君と、君の魔法か」
冷静な、低い声。
(……決まっていた?)
その言葉の強さに、胸がざわつく。
路地に反響する足音は、一定のリズムで近付いてくる。
白い靄を割ってまず見えたのは、無造作に結ばれた赤茶色の髪。手には金属製の上品なステッキ。フロックコートに身を包んだ、細身の若い男だった。
青い瞳が、探るようにエフィを捉える。
「君は、何者?」
「……どういう意味、ですか」
エフィは腹筋に力を込めながら、男を睨み返した。
新連載です。お読み頂きありがとうございます。
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