2-16:選んだ道
周囲の熱により、呼吸すら奪われるような空間で、エフィとナターシャは向き合っていた。アリステアは何も言わない。ただ周囲を警戒しながら、エフィたちを見守っている。
「私と来るか、ここに残るか、選んでくれませんか」
言いながらナターシャに向かって右手を差し出す。
「あなた……」
その瞬間、彼女の心に何が過ったか、エフィにはわからない。口を開いては閉じ、瞳を揺らし、ナターシャはこちらの手を見つめ続ける。
部屋のどこかで小規模な爆発が起きて、魔法の結界を衝撃が揺らす。魔力を通してダメージが及び、エフィは顔をしかめる。
「私の、役目は」
ナターシャが上半身を起こし、体を引きずるようにしてこちらへと僅かに近寄る。その視線が一瞬、エフィを通り越して背後の防火扉へと向けられた。
この部屋で唯一、無事なもの。それを見つめる彼女の瞳には、光があった。
「もう、終わったのよ……」
声と共に、頼りない腕がゆっくりと伸ばされる。何かを探し求めるように、細い指が宙を掻く。何度目かの時、彼女の指は確かにエフィの指先に触れ、けれど力なく零れ落ちてしまう。
「だから」
ナターシャが、力を振り絞って更に近付く。今度こそその指はエフィの指を掴み、固く、強く握りしめた。
「私が続いても……いい?」
かちん。どこかで歯車が回る音がする。
ナターシャの背後で、落ちている予言の本が淡く光を放ち始めたのを、エフィは確かに見た。
「うん……うん、もちろん!」
微笑み、ナターシャの手を握り返す。灼熱の中でも、そのぬくもりをはっきりと感じることができる。
ナターシャが顔をしかめつつ立ち上がろうとするのを、アリステアが手で制した。
「エフィ、まだ魔力は残ってる? ナターシャの足は多分折れてる。このままだと逃げ切れない」
「わかった」
エフィは頷き、ナターシャのすぐ側に跪いた。ひどく腫れている彼女の足を、魔法の光で照らしていく。
部屋のどこかで、爆発するように炎が勢いを増した。燃える炎と光が増す。結界が熱で一部綻び、黒い煙が侵入してくる。それを吸って、エフィは咳き込んだ。
(配分、考えないと……)
呼吸が苦しいことを自覚しながらも、魔法から意識を逸らすことはしなかった。
治癒魔法は消費する魔力が多い。結界を解くわけにも、エフィが倒れるわけにもいかない。指先に集中する。熱と光の中、不思議と普段よりずっと、魔法の調子が良いことを自覚した。
(どうして、かな。この星府塔の中は、力を感じる気がする……)
自宅と同じようにマナが濃い、そんな奇妙な感覚だった。
ナターシャの足の腫れは少しずつ引けてきた。それと比例するように、頭がぼうっとしてくる。魔力の出力も不安定になり、結界が炎に溶かされるようにぐにゃりと歪む。
それでも、魔法を使う手は止めない――
「エフィ!」
アリステアがエフィの名を呼んだことで、はっと我に返る。集中力が途切れ、魔法の光は散って消えた。このまま魔法を使い続けていたら、魔力切れで倒れていたかもしれない。
「ごめん、ありがとう。ナターシャさん、これならどうですか」
ナターシャは返事の代わりに起き上がろうと力を込める。自力で片膝立ちになった彼女をアリステアが無言で支え、立ち上がらせる。
「ありがとう……」
言いながら、ナターシャはふと背後を振り向いた。結界の向こう側に、淡く輝く彼女の予言の本が落ちている。今にも炎に呑まれ、焼失してしまいそうだ。
エフィはどうすべきか迷い、足を踏み出せずにいる。
「……行きましょう」
ナターシャは顔を正面へと戻し、ゆっくりと出口へ向かって歩き始める。彼女はもう、本を振り返らない。
エフィはその後を追いかけた。アリステアとナターシャに続いて部屋を出る寸前、もう一度、部屋の中を見回した。
ナターシャの本は、静かに炎に包まれていた。
「エフィ、無事か!?」
ふと聞き慣れた声がして、エフィは視線を前へと戻す。白い星府塔の通路を、ルーカスが手を振りながら駆け寄ってくるところだった。
「ルーカス!」
彼は全力で走ってきたのか、息を切らせていた。エフィの全身に視線を走らせてから、表情を曇らせる。
「傷だらけじゃないか。どこか痛むところは?」
「私は大丈夫。だけど――」
エフィはナターシャの方へと視線を向けた。アリステアがルーカスを一瞥する。
「遅い」
「辛辣!」
アリステアに指摘され、ルーカスが大袈裟に項垂れてみせた。ルーカスもあちこち傷だらけで、ドミニクとの戦いの激しさを思わせる。命に関わるような深い傷はなさそうで、エフィはひとまず胸を撫で下ろした。
「アリス、そちらの女性は?」
「爆発した部屋から回収した」
「おいアリス、言い方! 女性に対して失礼だぞ!」
ルーカスが突っ込むが、アリステアは首を傾げている。多分、演技ではなくて素だろう。エフィは痛みも忘れて思わず笑った。
「そっちこそ、ドミニクはどうしたの?」
「消えたよ。途中から反予言派の連中も加わって戦ってたんだが、爆発が起こった後で『予言通りになった』とか何とか言って、逃げた。俺たちも、ここから逃げた方がいいよな」
「わかった。じゃ、ナターシャをよろしく」
アリステアは肩を貸していたナターシャをルーカスに託すと、素早く西口の方へと走っていく。暴風によるダメージなど、全く感じさせない身軽さだった。
アリステアが先行し、エフィとルーカスが続くいつもの流れに、思わず座り込みそうになってしまう。
「エフィ、大丈夫か? さすがの俺でもふたりは運べないから、ちょっとここで待っててくれるか」
ルーカスがそんなことを言い出したので、エフィは笑った。
「私は大丈夫。逃げよう!」
エフィたちは、アリステアの後を追いかけて、星府塔の外へと出た。爆発と『ナターシャ以外の生存』は予言されていたことだからか、ヤードの姿はどこにもない。反予言派も撤収したのか姿がなく、エフィたちは安全に脱出することができた。
「それじゃ、ひとまず俺の家だな。……貴女も、それでいいか?」
「あら、本当にいいの? ヤードに通報するかもしれないのに。逸脱者と魔女のアジトを見つけたなんて、大手柄だわ」
ナターシャが真顔で言うので、エフィは思わず彼女をまじまじと見つめてしまった。
「物騒なこと言わないでくれよ!?」
ルーカスが慌てている。ナターシャは静かに微笑んだ。
「冗談よ」
「冗談ならもっとそれっぽく言ってくれ」
振り回されたルーカスが項垂れたので、エフィは軽くその肩を叩く。
蒸気の街にしては珍しく、抜けるような青い空が広がっていた。




