2-8:変えたいもの
オルゴールを受け取った翌日。
朝、エフィがリビングを訪れると、ミラが朝食の用意を進めているところだった。
ルーカスがコーヒーを片手に新聞を読んでいる。彼は割と朝が弱いタイプだと、エフィはもう知っている。時々、ミラに起こしてもらっているということも。だから、ちゃんと目覚めて、その上読み物をしているという事実に少し驚いた。
ルーカスは、新聞を眺めながら唸っていた。いつになく真剣な表情に、心がざわつく。
「おはよう。どうかしたの?」
「エフィか。いや……」
ルーカスは挨拶もそこそこに、表情を曇らせた。彼は新聞を閉じて、机の片隅に追いやった。
「隠されると余計気になるよ?」
エフィは宣言してから、新聞に手を伸ばした。小さな文字でびっしりと様々な出来事が記されている。ルーカスがどの記事を見ていたかは、すぐに見当がついた。
「反予言派、星府塔に爆破予告」
一際目を引く見出しを読み上げると、ルーカスが苦い顔でコーヒーを口にした。
「反予言派……って、予言に反対する人たちってことだよね。そういう人もいるんだね」
てっきり、エルシオンの人々はみんな、盲目的に予言に従っているものとばかり思っていた。
(ルーカスみたいに、予言の本を白紙にしようとしている人たち、なのかな。それにしても爆破なんて……ちょっと過激すぎない?)
エフィは眉をひそめつつ、新聞から目を上げてルーカスを見た。
「反予言派は、予言の本を焼いて、運命にあらがったつもりになってる連中のことだ」
「つもり、って……」
彼は難しい顔で新聞を睨む。
「彼らが本を焼き、テロ行為をすることは全部、予言に織り込まれている」
口ごもるエフィに答えたのは、この場にいない人の声だった。それと共にエフィの向かい側にある扉が開き、アリステアが顔を出した。
ルーカスとは反対で、アリステアは朝から服も髪型もきちっと整っている。
「あの人たちは、ほとんど無法者」
ミラが、こちらに背を向けたままでぴしゃりと言う。
「この街で予言に抗うのは難しい。俺の一件で、エフィも十分知ってるだろ?」
「……そう、だね」
エフィは俯く。この前ルーカスを逃がせたのは、本当にギリギリだった。
本を焼き、自分の意思で動いているつもりでも、すべて運命の手の平の上――それが容易に予想できて、息が詰まるように苦しくなる。
新聞記事に目を落とした。
「この、書庫っていうのは?」
エフィは新聞記事の一節を指さす。反予言派は、星府塔の中でも、書庫と呼ばれる部屋を爆破すると予告しているらしい。
「予言の本の『複製』を保管する部屋。人が生まれ落ちた時に、刻星機がその人の予言を印刷する。それを星詠み士が製本し、原本を本人に渡し、複製品を控えとして書庫で管理している」
「さすがアリス、博識だな!」
「兄さん。常識って知ってる?」
ミラに鋭く突っ込まれ、ルーカスがわかりやすくうなだれた。
「なるほど……」
エフィは何となく、彼らが書庫を狙う理由が納得できた。反予言派にとって本、そして書庫は、予言の象徴でもあるのだろう。
「反予言派が何を考えていても、この事件は既に予言されている。襲撃を仕掛ける反予言派はヤードに返り討ちにされて何人もの死傷者を出すけど、書庫はひとりの職員の機転で守られる」
アリステアが淡々と告げる。ただの事実を告げるように。
「……そう、なんだ」
エフィは新聞に目を落とした。記事の続きを読んでいくと、反予言派が書庫のすぐ近くに時限爆弾を仕掛け、防火扉を閉めた星詠み士が殉職すること、その人物はナターシャという、まだ若い女性であることまで書かれていた。
(……ナターシャ)
その名前を直視できなくて、新聞をテーブルの上に置いた。
昨日街で出会った、あの女性のことを思い浮かべる。彼女の徽章に刻まれていたものと、同じ名前。去り際の彼女の台詞。偶然とは思えなかった。
(ここまでわかっていても、普通の人は抗おうとはしないんだね……)
改めて、エルシオンという場所の常識に打ちのめされる。
コーヒーをちびちびと飲んでいたルーカスが、ことんと音を立ててカップを置いた。
「反予言派のやり方はよくないけどさ。この前までの俺と同じように、あいつらは予言に縛られるのを嫌ってるだけなんだよ」
「それで過激な行為に走って、それも予言通りっていうのは随分な皮肉だね」
アリステアの言葉に、リビングに沈黙が落ちる。ミラが料理を続ける音だけが、淡々と響き続けた。
予言を嫌って行動しているのに、彼らの思いは報われない。望まぬ者も強制的に縛られてしまう。そんな運命の在り方に違和感を覚えてしまうのは、エフィがエルシオンの人間ではないからなのだろうか。
(変えたいと思うのは、変なのかな)
疎外感を覚えて、視線を落とした。
「……俺は、あいつらを止めたい」
掠れた小さな声で、ルーカスが言う。すぐ隣に座っていたエフィには、彼の呟きがはっきりと聞こえた。
ぱっと顔を上げる。琥珀色の瞳と目が合った。
「ルーカス……」
「だって、おかしいだろ。自分で自分のことを選べないなんてさ。……俺は、それを嫌だなと思う」
ルーカスの言葉が、真っ直ぐに心に刺さった。
この世界の常識にまだ慣れないエフィと、同じ意見でいてくれる。それが何より嬉しかった。
「……うん。私も、そう思う!」
彼は、にっといつもの笑顔を浮かべてくれた。それが心強くて、体の内側が温かくなるのを感じる。
「わたしも、気分はよくない」
ミラがいつの間にか手を止めて、エフィたちを見つめていた。
「反予言派の連中は、自分の意思で動いていると思っている。なら、その彼らの運命を勝手に書き換えたって怒られないだろ?」
「うん。知ってて止めないなんて、私は嫌だよ」
口にしてから、ナターシャのことを思い出す。毅然と予言に従っていた彼女は、反予言派とは違う。運命を変えることを、きっと望まない。
(彼女の運命は、勝手に書き換えたらいけない、よね)
そんな気がして、胸が締め付けられるように痛んだ。
エフィは唇を噛み、ちらりとアリステアに視線を向ける。彼はこちらの葛藤には気付かず、何か言いたげにルーカスを眺めている。
こういう時、彼ならきっと迷わないのだろう。少なくとも、足を止めることはしない。
(私も、知ってしまったことから目を逸らすことだけは、絶対したくない)
痛みを抱えたまま、そう、心に強く刻んだ。
「よし! 予言されている襲撃の日は……10日後か。あいつらのテロ、止めてやろうぜ」
自分も追われる立場だというのに、ルーカスは強気に言い切る。その姿に感化され、エフィもはっきりと頷くことができた。
「簡単に言うけど、星府塔に限りなく近付くことになる。ヤードに追われるルーカスとエフィにとってはリスクが高い。それはわかってるよね?」
アリステアは机の上に放置されたままの新聞を、とんとんと指先で叩いた。
「無策だとヤードが喜ぶだけだと思う」
ミラの意見に、アリステアがさっと首を横に振った。
「無策じゃなければいい。彼らがどこから星府塔へ潜入するつもりなのか、もう少し情報が欲しい。それから、星府塔の警備体制の情報も」
「リスクがって言いつつ、手伝ってくれるアリスに感謝するぜ」
ルーカスが輝くばかりの笑顔をアリステアに向ける。
「……別に、反対とは言ってないからね」
彼は無表情のまま、顔を背けた。




