2-7:思い出のオルゴール
ルーカスの家で暮らし始めて、半月ほどが経った後――
エフィとアリステアは、日用品の買い物のために街へ出ていた。
言語が共通しているだけあって、予言や機械の存在を抜きにすれば、エルシオンと故郷•イーリスの文化基盤は似通っている。エフィは早くも、この街での暮らしに馴染み始めていた。
とはいえ、まだ見慣れないものも多い。
エフィは帰る途中、雑踏の中で不思議な音を聞いた。透明感のある柔らかな音が積み重なり、優しい音楽を生み出している。メロディそのものも、どこかで聞いたことがあるような、ひどく懐かしいような心地がした。
その響きに魅せられるように、出所を探して視線を彷徨わせる。
「何か探してる?」
「あ、うん。この音楽が気になって」
「オルゴールだね」
アリステアがすたすたと先を歩いていき、すぐ目の前にある店の前で足を止めた。エフィは小走りで追いかける。
彼は雑貨屋のショーウインドウを覗き込んでいた。中には、両手にちょうど乗るくらいの木製の箱が飾られている。
「これが、オルゴール?」
ほとんど硝子にくっつくようにして、箱を眺めた。箱は蓋が空いていて、中の歯車が回っているのが見える。
あの優しい音は、金属の棒が弾かれることで奏でられていたようだ。その動きは、不思議と飽きずに見ていることができる。
「すごい……人が演奏しなくても、音楽が流れるなんて」
「そんなに珍しいかしら?」
エフィの何気ない呟きに、反応した声があった。ぱっと振り向く。すぐ後ろに、特徴的な紫紺の長い髪を持つ女性が立っていた。
(ナターシャさん……!)
この前たまたま出会った、星府で働いている人。今日の彼女は私服とはいえ、迂闊なことを言ってしまったかもしれないと、エフィの表情が強張る。
アリステアは微動だにせず、こちらのやり取りを見守っていた。仕込み杖を持つ手に力が籠っている。いざとなれば、いつでも抜ける――そんな想像が、簡単にできてしまう。
「ごめんなさい。いきなり話しかけて、緊張させてしまったかしら。この前はどうもありがとう」
ナターシャはこちらの緊張をそう捉えたらしい。肩から僅かに力が抜ける。
「いえ! お元気そうで、良かったです」
エフィが言うと、彼女はゆっくりと頷いてくれた。
「お陰様で。貴女が来てくれなかったら、まだ痛んでいたかもしれないわ」
ナターシャは腕をそっとさすった。その赤い瞳がエフィの隣、アリステアへと向けられる。
「今日も兄妹でお出かけ? 仲が良いのね」
「はい。彼女はこの通り、少し世間知らずなところがあるので、目が離せないんですよ」
彼は完璧な余所行きモードで微笑んだ。相変わらず、普段と性格が違いすぎる。
顔が引きつりそうになるが、エフィは何とか踏み留まった。ナターシャの問いを利用して、瞬時にそれっぽい言い訳をしてくれる頭の回転の早さ。彼はこういう時、本当に頼りになる。
「オルゴール、私も好きなの。聞いていてとても落ち着くし、心が安らぐ気がして」
「わかります。素敵な音色ですよね。それに、この曲をどこかで聞いたことがある気がして……」
ナターシャは少しオルゴールの音色に耳を傾けてから、口を開く。
「昔からある有名な子守唄だから、子供の頃に歌ってもらったのかもしれないわね。……少し、待っていてくれる?」
そう言い残して、返事も待たずに彼女は雑貨屋に入っていってしまった。
(子供の頃……)
扉を眺めながら、子守唄について記憶を掘り起こす。確かに子供の頃、眠くないとぐずるエフィに、母がベッドサイドで歌ってくれたのがこんなメロディだったような気がして――
思考が実を結ぶ前に、ナターシャが足早に店から出てきた。
彼女は迷わずエフィの手を取って、そこに木箱を乗せた。ナターシャの指が木箱の蓋を開けると、店先に飾られているものと同じ曲が流れ出す。
間近で聞くオルゴールの音色は、ガラス越しよりもずっと澄んでいて美しい。
「え、これ……」
目を瞬かせながらナターシャを見上げる。
「この前のお礼。もらってくれる?」
「も、もらえません! だってこれ、高いんじゃないですか?」
エフィは慌てたが、彼女は首を横に振るばかりだった。
「そのくらい、貴女から大事なものをもらってしまったの」
ナターシャの言葉には切実な響きがあった。彼女は腰から吊るしていた予言の本に視線を落とし、その背表紙を静かに指で撫でた。
「結末は運命通りになるのだとしても、そこに至るまでの過程は自由なのよ。私は、それを忘れていたの」
(ナターシャさん……)
彼女の赤い瞳の奥に、あの時とは違う光が宿っているように見える。
エフィにとって当たり前のことが、彼女の中のなにかを変えた。それはきっと、嘘じゃない。
「わ、わかりました」
エフィは恐る恐る、オルゴールの箱を胸に抱いた。ナターシャが満足げに笑ってくれた。
「じゃあね。きっともう、会うことはないと思うけれど」
ナターシャは軽く手を振って、さっと踵を返す。その言葉の意味を聞く前に、彼女の姿は雑踏の中に消えてしまう。もう、その姿をどこにも見つけることができない。
「会うことはないなんて、どうして……」
「そういう予言なんだろうね」
エフィの呟きを聞いて、アリステアが低い声で返事をくれた。
(予言……)
オルゴールを抱く腕に、力が入る。
エルシオンに来て散々聞いてきたその言葉が、今日は特に冷たく硬質なもののように聞こえて、エフィは身を震わせた。




