2-6:空を飛べたら
ルーカスに伴われ、エフィは家の外に出た。エルシオンにしては珍しく快晴で、夏の太陽は肌を焼くように光輝いている。思わず目を細めた。
「ねえ、ふたりで外に出て大丈夫?」
「すぐそこだから平気だろ」
ルーカスは笑って、エフィの半歩先を歩いていく。
寂れた街並みを少し進むと、広場のような場所に出た。街の人が何人か、噴水脇のベンチに座るなどしてのんびりと過ごしている。ルーカスは迷わず、広場の中心にある石造りの時計塔へと向かった。
扉を開けて中に入り、磨耗して角が丸くなっている螺旋階段を登っていく。
「滑りやすいから気を付けろよ。お嬢さん、エスコートは必要かな?」
彼の芝居がかった口調に、思わず笑いそうになってしまう。
「うん、大丈夫」
登りきった先の扉を開けると、そこは展望フロアになっていた。目の前に一気に青空と街並みが広がり、一瞬、目がくらみそうになる。
ルーカスは慣れた様子で転落予防の柵に腕を乗せ、体重を預けた。エフィはその隣に並ぶ。柵がやや高いので、背伸びをするようにして、改めて街並みを眺める。
くすんだ赤い屋根が並ぶ街並みの向こうに、星府塔がそびえ立っているのが見えた。
「いい眺めだろ」
「うん……」
故郷とはまるで違う、発展した街の景色に圧倒される。
円を描くような街並みの向こう側には、海や緑豊かな草原が広がっている。草原の中の道のようなところを、黒い煙を吐きながら乗り物が走っていくのが見えた。
「あれは?」
「列車だな。エルシオンと他の都市を繋ぐ、蒸気の力で動く乗り物だ」
「エルシオン以外にも街があるんだね……。やっぱりそこも、エルシオンみたいにすごく都会なの?」
「いや。ここが世界の中心だから、ここより発展してる都市はないぞ。予言に従ってるってのは変わらないしな……って、見てもらいたいのはこれじゃないんだ」
ルーカスはきょろきょろと視線を走らせ、「お、あれだ」と、ある一点を指差した。
そちらに目を向けると、船が空を浮いているのが見えた。
「え!?」
思わず二度見する。目を擦っても、その船は当然のように悠々と空を航行しているように見えた。
形状は海に浮かぶ船に似ている。帆があるべき部分には膨らんだ風船のような物体があり、それにぶら下がる形で船本体が連結されていた。遠目ではっきりとは見えないが、風車のような回る羽もある。
「その顔が見たかった」
ルーカスが悪戯っぽく笑う。
「え、どんな顔!?」
そんな変な顔をしていただろうか。エフィは両手で顔を覆った。恥ずかしさからか、頬が熱い。
「隠さなくてもいいのに。あれは空を飛ぶ乗り物……飛行船だ。エフィの故郷にはなかったんじゃないかと思ってさ」
「なかったよ。ねえ、あれも蒸気機関なの?」
顔から手を外し、やや早口で問いかける。
「おう。……と言いたいところだが、残念ながら結構魔法技術を下地にしてるんだな、これが」
「でも、空を飛べるんだよね? 十分すごいよ」
「そうか?」
ルーカスが苦笑いを浮かべた。
「だって空を飛べたら、どこへだって行けるでしょ?」
山や海を軽々と飛び越えて、地の果てまでだって行ける――そんな軽々しい気持ちで発したエフィの言葉に、ルーカスは表情を曇らせ、更に上、空の彼方に目を向ける。
その横顔は寂しげだった。胸が詰まるようで、呼吸をすることを忘れてしまう。
「そうだったらいいんだけどな」
ぽつりと零れた言葉が、広い空に呑まれて消える。視界の端に、ちらりと星府塔が映った。
(星府が、予言があるかぎり、上手くいかないのかもしれない)
そう気付いて、エフィは何も言えなくなる。沈黙の時間が続いた。時計塔の針が、時を刻む音だけが聞こえている。
「なあ、エフィは空の向こうに何があるか知ってるか?」
口を開いたのはルーカスだった。
「空の……? 空って、何もなくて、広くて、ずっと続いてるんじゃないの?」
首を傾げる。ルーカスがこちらを見た。その眼差しに、エフィは縫い留められたように動けなくなる。琥珀色の瞳には、いつもより強い光が宿っているように見えた。
「空の向こうには、星や太陽がある空間があるんだよ」
そう言われても、すぐにはぴんと来なかった。
「街には外壁があって外と区別されているように、空にも見えない『壁』があって、俺たちがいる内側と星がある外側は区別されてるんだ。俺はその外側に行って、近くで星を見たいんだ」
その説明は、なんとなくわかる気がした。もう一度、空を泳いでいるような飛行船に目を向ける。
「ルーカスがそういう言い方をするってことは、あの船じゃ行けないんだね」
「そうだな。壁を越えるには、かなり高度な技術が必要になるはずだ。それに、たくさんのエネルギーも」
「それって、空の門を守ってるヤードを無理やり突破するから?」
ルーカスが吹き出した。彼の表情が緩む。
(笑ってくれて良かった)
エフィは小さく息を吐いた。
「空にはヤードなんかいないだろ」
「冗談だよ。……でも、なにかしら壁があって、すぐには行けないんだね」
言いながら、空に手を伸ばした。青く澄んだそれには、当然のように触れられないし、届かない。
「星府に、予言にない不要なものとして開発を禁じられているからな。それに今の蒸気機関じゃ、エネルギーが圧倒的に足りないんだが……」
ルーカスは一度言葉を止めて、こちらに向き直る。
「エフィとなら、行けるかもしれないと思った」
「それって、さっきの魔石の話と繋がってる?」
「ご名答」
ルーカスが言って、小さく笑った。
「動力になる魔石をエフィに面倒を見てもらって、俺が壁を越えられる飛行船を造る。……なんてことを、考えちまったんだよ」
「いいじゃん、やろうよ」
エフィがそう言うと、ルーカスは予想外のことを言われたとばかりに息を呑んだ。
「星の近くに行くなんて、楽しそうじゃない? エルシオンでしかできないことだし。あ、でも、空を飛ぶのはちょっと不安かも……」
「エフィって意外と怖がりだよな。爆発にもビビってたし」
「あのね、慎重って言ってくれる?」
言い合ってから、ふたりで笑った。
エルシオンの湿った風が吹いて、スカートの裾を揺らす。先程の寂しそうなルーカスは、すっかりなりを潜めている。エフィは内心、ほっとしていた。
「ありがとな。ま、新しい技術なんだ。気長にやってこうぜ」
ルーカスが手を差し出してくる。一瞬だけ、その掌を見て躊躇ってしまった。
(……私は、いつまでこのエルシオンにいるんだろう)
そんな疑問が浮かんでくる。少なくとも彼は、エフィがしばらくここに居続けることを、疑っていない気がした。
きっとそれは、彼なりの歩み寄りだと思った。
エフィはゆっくりと手を伸ばす。彼の手を取ってぎゅっと握った。
「こちらこそ、よろしくね」
吹きわたる風の中で、ふたりは同時に笑い合った。




