2-3:星詠み士
悲鳴を聞いて、エフィは振り向く。視界に、見慣れない鉄でできた乗り物が映った。馬のいない馬車のような見た目のそれは、馬車よりもずっと早いスピードで、やや蛇行しなから通りを走り抜けていく。
その陰で、若い女性が地面に倒れ込んでいた。紫紺の長い髪に隠され、その表情まではわからない。右手で左腕を押さえている。指の隙間から赤いものが僅かに見えて、咄嗟に彼女へと駆け寄った。
アリステアはなにも言わず、エフィに続いて通りを渡る。
「大丈夫ですか?」
声をかけながら、女性のすぐ横にしゃがんだ。
(持ってきてて良かった!)
ポーチから、応急セットを引っ張り出す。以前ルーカスの負傷に対する手当てができなかったことを反省して、自称医者のアリステアに譲ってもらったものだ。常に持ち歩くようにしていたのが幸いした。
エフィが応急セットを広げ、ガーゼを掴むと、彼女は暗い赤色の瞳を見開いた。
「……何のつもり?」
形の良い唇が言葉を紡ぐ。女性の問いの意味がわからず、まじまじと彼女の顔を見つめてしまう。
「私がここで車に驚いて転び、負傷するのは決まっていたこと。命に関わる怪我でもないし、手当ては不要よ」
女性は平らな声色で告げる。顔立ちが整っているから、余計に冷たく、無機質なもののように思えた。
「でも、血が出てます」
エフィの反論を聞いて、女性は訝しげな視線を向けてきた。道行く人々は誰も歩みを止めないどころか、こちらには目もくれない。
「そうだとしても、意味がないわ。私はここでは死なないから」
女性は、アリステアと似たようなことを言った。
(……あ)
その言葉に、さっと血の気が引く。ここは予言で動く街エルシオン。決まっている運命に介入しようなんて人間は、それだけで異端だ。医者をしているというアリステアに、あまり仕事がないことも納得できてしまった。
こんな往来で目立つ行動を取った軽率さを恥じる。
(……でも!)
エフィは手にしたままのガーゼを握りしめる。見過ごすのがこの街では『正しい』とわかっていても、そうできなかった。
「おっしゃる通りです。でも、私が嫌なんです」
女性の無表情が、虚をつかれたように崩れた。傷口を押さえている手が緩む。エフィは半ば無理やり、彼女の手を払いのけた。代わりにガーゼを当てて止血を試みる。
女性はなにも言わず、されるがままになっている。
(本当は、魔法を使えばすぐに治せるけど……)
さすがに、そこまで考え無しではない。地道に、堅実に、止血を続ける。
「貴女からすれば、私が応急セットを持ち歩いていることも『意味がない』と思われるのかもしれません」
「……そうね」
女性が言う。端的な物言いに、エフィは弱々しく微笑んだ。
「前に、友達が怪我をしたことがあったんです。その時に何もできなかった自分が嫌で、これを持ち歩き始めました」
ルーカスとの逃避行を思い出しながら、応急セットに目をやった。
「だからこれは、私のためなんです」
強く言いきると、少し間が空いてから、女性が小さく笑みを浮かべた。固い蕾の先が色付くような笑みに、目を惹かれる。
「……貴女のため。それなら、お願いするわ」
「はい!」
エフィはガーゼを一度外し、止血されているのを確認してから包帯を巻く。作業中、たまたま彼女の襟元に、星を模した徽章が着いているのが見えた。中央に、ナターシャと文字が彫られている。彼女の名前だろうか。
そこまで来てふと、アリステアの気配が近くにないことに気付く。
「アリ……っ」
うっかり名前で彼を呼びそうになり、慌てて口をつぐむ。
「じゃない、ええと、に、兄様……?」
声がひっくり返ってしまう。エフィには致命的に演技力がない。それを今、嫌と言うほど思い知った。
「貴女のお連れ様なら、向こうよ」
女性が肩を竦めながら、背後を示す。振り向くと、何か言いたげな青い瞳と視線が合った。
「エフィ、治療が終わったなら端に避けないと、今度は君が轢かれる。予言にはなくても、怪我をする可能性はあるよ」
アリステアから言われてようやく、ここが車道だということを思い出す。彼はエフィたちが危なくないように、道行く乗り物を止めてくれていた。
「ご、ごめん!」
アリステアに謝って、女性の手を引いて歩道へと避難した。彼が止めていた馬車に向かって、綺麗な角度で頭を下げる。
「貴方も、彼女と同じでお人好しなのね」
「妹が怪我をしたら、気分が良くないですから」
アリステアは真顔でそう返していた。その言動は本気なのか、よそ行きの演技なのか、エフィにはまだ見抜けない。
「ふたりとも、助かったわ。どうもありがとう」
女性は礼を告げてから、こちらに背を向けて歩き出す。すらりとしていて背が高い女性は、後ろ姿も美しい。ぼんやりと彼女を見送っていたエフィを隠すように、アリステアが前に立った。
「アリステア?」
「彼女は、星府の人間だ。気をつけて」
星府――予言を管理している機関。アリステアの言葉に、思わず一歩後ずさる。
こちらの警戒には気付かず、彼女は振り返ることもなく雑踏へと消えた。それを確認してから、エフィは強張っていた肩を落とす。
「なんでわかったの?」
「制服。星詠み士……刻星機や予言の書を管理する役職だよ」
予想以上に、予言と近しい存在だった。そんな相手に大胆な行動に出てしまった――今更ながら、背中を冷たい汗が伝う。
「君が飛び出して行った時は焦ったけど、大丈夫。彼女は気付いてない」
「でも、軽率だった。ごめんなさい」
エフィが謝ると、意外なことにアリステアは首を横に振った。
「君のそういうところが、ルーカスを救ってくれた。だから……次から気をつけてくれればいい。判断に困ったら、僕かルーカスに聞くようにして」
「うん……」
返事をしながら、彼女が去った星府塔の方向を眺める。
(あの女性は、悪い人じゃなさそうだったのに)
彼女の淡い笑みを思い返す。
立場が違うから、わかり合うことができない――その事実を噛み締めて、エフィはそっと胸を押さえた。




