7-3:遭遇
ふたりきりのゴンドラ。エフィは目が眩みそうになりながらも、徐々に遠ざかる地面から意識が切り離せなかった。目を離したら、突然地面に向かって落下してしまうような、奇妙な感覚に襲われて――
「……高い、ね」
「今さらか!」
ルーカスが笑い飛ばした。一拍置いてから、ぽんと肩を優しく叩かれる。
「大丈夫、落ちたりしない。多分な」
「多分って!」
エフィが顔を強張らせると、ルーカスがますます笑みを深めた。からかわれていると気付き、むっと唇を引き結ぶ。
「一応、今日は観覧車の事故はないってことになってる。そもそも今までも何万人とこれに乗ってるんだ、急に落ちたりしないさ」
力強い言葉に、心が僅かに軽くなる。何も解決はしていないが。
「そっか。うん……ルーカスが一緒に乗ってくれてよかった」
「大袈裟だな。怖かったら、こっちを見てればいい」
温かい言葉に、エフィは遠慮なくルーカスの方に体を向けた。
「私、もしかしたら、高い所が苦手かも……」
「おう。知ってた。飛行船に乗った時も怖がってたって、ミラに聞いたぞ」
「うっ……わ、忘れて」
エフィは視線を逸らしたくなったが、ここは逃げ場のない狭いゴンドラだ。ルーカスから目線を外すと外を見る羽目になるので、結局彼の胸元あたりを見ることになってしまう。
「ここじゃ高い建物もあるし、こういう乗り物もある。エフィの故郷とは高さの感覚が違うんだから、怖いのは当たり前だ。別に恥ずかしいことじゃないだろ」
ルーカスの声は、いつになく優しかった。こういうところが兄みたいで頼りになると、エフィは改めて思う。
「うん。でも、景色がいいよね。だから、ちょっとずつ慣れていきたい」
一瞬だけ、高所から見るエルシオンの街並みに視線を走らせ、記憶に焼き付けた。
「じゃあ、また来ような。今度はみんなで」
「……アリステアとナターシャさん、来てくれるかな?」
家に残っているふたりの姿を思い浮かべる。アリステアは欠片も興味無さそうで、ナターシャはそもそもエフィ以上に乗り物が苦手そうだ。
「あー」
ルーカスが言葉に詰まる。
「アリスは理由をちゃんと説明して、納得すれば来るだろ、多分。エフィの特訓のためとか何とか言って」
「具体的じゃないとダメだと思う。そうだなぁ……高所恐怖症を克服したい。アリステアの冷静さを真似したいから来て、とか?」
エフィの提案に、ルーカスが思わずといった様子で吹き出した。
「それ、絶対来てくれるな。アリスの扱い方をよくわかってるじゃないか」
「ナターシャさんは……無理強いはしたくないし、本人が嫌なら下で待っててもらう?」
「そうだな。観覧車は無理でも、回転木馬くらいなら乗れるだろうし、誘ってみるか」
「うん!」
ルーカスの提案に、エフィは笑顔を見せる。いつの間にか、高い所にいるという感覚はすっかり消えてしまっていた。
観覧車は無事、地上に戻ってきた。乗った時と同じく、ゆっくりと動いたままのゴンドラから恐る恐る降りる。揺れない地面に、エフィはほっと息を吐いた。
ひとつ後ろのゴンドラからミラも降りてきて、満面の笑みでエフィとルーカスを見た。
「どうだった?」
ミラから、無邪気な質問が飛び出す。咄嗟に思い浮かんだのは、上から見た地面の石畳だった。
「えっと……楽しかったよ?」
エフィは視線を泳がせた。ミラは目を瞬かせ、それからルーカスを睨む。ミラの風船がふわりと揺れた。
「兄さん、もしかしてヘタレ?」
「ほっとけ」
ルーカスが短く答えた。ミラが笑った拍子に、髪が揺れる。そこにあるべきものがないことに気付き、エフィは首を傾げた。
「あれ? ミラ、髪飾りは?」
「え?」
ミラが髪に手をやる。それから、さっと顔色が変わった。何度も髪を探るが、目的のものはそこにはない。ミラの表情がみるみる曇っていく。
「どこかで落としたのか?」
「ど、どうしよう……。あれ、ティアとお揃いのやつ。無くなったら困る」
ミラが呟いた一言に、ルーカスの顔が真剣なものに変わる。エフィも事の重大さに気付き、周囲の地面を見回すが、薄紅色の髪飾りは見当たらない。
「ゴンドラの中か?」
ルーカスが観覧車を振り向く。ミラが乗っていた水色のゴンドラは既に、次の客を乗せて空高くに上がってしまっている。
「ううん。降りる時に忘れ物がないかは確認した」
「じゃあ、遊園地の中で落としたのかも。手分けして探そう」
エフィの提案に、兄妹は揃って頷いた。
「今日歩いた道を辿ってみるか」
ルーカスが呟く。ふたりは遊園地の入り口付近へと向かっていったので、エフィは先ほど軽食を摂ったベンチの辺りへ、移動経路を思い出しながら引き返した。
地面には落ち葉や包み紙のゴミが散らかるばかり。誰かに蹴り飛ばされてしまった可能性も考えて、ベンチの下や植木の影まで丹念に覗き込む。
しかし、特徴的な花の髪飾りは影も形もない。
「髪飾り、見つからない……」
泣きそうな顔をしていた少女のことを思い出し、胸が苦しくなる。場所を変えようと顔を上げた時、ふと、屋台を見つめる少女がいることに気が付いた。先ほど揚げパンを買ったお店だ。
彼女の、腰まで伸びたストロベリーブロンドの髪が、妙に目につく。
賑わう遊園地には無数の人がいるのに、なぜか彼女から目が離せない。幼い少女がひとりでいるから、というだけではない何かが、彼女にはあった。
既に夕方に差し掛かり始めた時間。強い西陽に生み出された少女の影が、エフィの足元まで伸びている。
「……髪飾り?」
エフィの言葉に反応したのか、少女が呟く。その声をどこかで聞いたことがある気がして、ぎくりと全身が硬直した。理屈ではなかった。
髪をなびかせながら、彼女が振り向く。深緑の大きな瞳がエフィを真っ直ぐに捉え、ぱちりと瞬いた。その髪には、見覚えのある薄紅色の髪飾りが挿し込まれている。
彼女は抱えるようにして、何かを持っている。逆光でよく見えないが、黒い布のようなものが腕からこぼれ、ひらひらと風にそよいでいた。
「あなたは……」
少女の唇が、微かに言葉を紡ぐ。
ミラと同じ顔、同じ声を持つ少女は、不思議そうに首を傾げた。




