7-2:ふたりの距離
「エフィさん、こっちこっち」
ミラが弾んだ声と共にエフィの手を引き、導く。エフィは彼女に歩調を合わせながら、目の前に広がる敷地を見た。
「これが、遊園地……」
金属製の柵に囲まれた、広大な立地。そこに車輪のような形状の乗り物や、大道芸を披露するステージや、軽食の屋台が立ち並んでいる。
人々の表情は明るく、遊園地を楽しんでいるのだと一目でわかった。
いつもはゴーグルにエプロン姿のミラだが、今日はフリルのついたワンピースに、薄紅色の花を模した髪飾りをつけていた。
「今日はね、遊園地記念日なんだよ」
「記念日?」
「そう。兄さんと、ティアと、初めてここに来た日」
ミラが笑う。その顔を見ていると、彼女が遊園地が好きな理由がはっきりと伝わってきて、エフィは微笑ましい気持ちになった。
「そんな記念日なのに、私と来ちゃってよかったの?」
「うん。むしろ、兄さんとふたりきりなんて嫌」
会話の流れで突然刺されて、ルーカスがむせる。いじけたような表情を見せる彼の背中を、エフィは励ますように叩いた。
三人で遊園地内を歩き回る。
蒸気機関を使った遊具はもちろんイーリスにはなかったので、エフィにとっては見るものすべてが新鮮に映った。
「ね、あの馬みたいなのは何?」
エフィは上下に揺れながら回転する、馬を模した乗り物を指差した。天井から吊り下がった電飾が美しく、見ているだけでもわくわくしてくる。
「説明より、実際乗ってみた方がいいだろ」
ルーカスがにやっと笑って、エフィを手招きした。
乗り物が止まったところで、3人そろって近付く。近くで見ると、馬はとても精巧な造りでできているのがわかった。
ルーカスが軽々と乗ったのを見て、エフィも真似して隣の馬によじ登った。
しばらくすると、衝撃とともに乗り物は動き出した。電飾の光を振り撒きながら、滑るように回転し始める。
「わ……!」
エフィは目を丸くした。乗り物は進むたびにゆっくりと上下する。乗り物自体が一段高くなっているので、乗り物の周囲でこちらを見守る人々の顔がよく見える。
「ちょっと高いね」
「本物の馬みたいでいいだろ?」
ルーカスの明るい声に、エフィもつられて笑う。吹きつける風が心地いい。
「……馬なんて、乗ったことないくせに。カッコつけてすぎ」
後ろの馬に乗るミラが、ぼそりと呟いた。
やがて徐々にスピードが落ち、乗り物が停止する。エフィは滑り降りるようにして、地面に着地した。何となく地面が揺れているような感覚がして、思わずルーカスの服の裾を掴んでしまった、
「大丈夫か?」
「ごめん。まだ揺れてるような気がしちゃって」
「いや、構わないさ。淑女に頼られるのは——」
「役得だからな?」
ルーカスのいつもの口説き文句の先を引き取ってみたら、彼は目を丸くしていた。
その顔がなんだか可愛くて、エフィはくすっと笑った。
3人で、回転木馬から離れて次のスポットへと向かう。
道中、ミラがふと足を止めた。従業員がふわふわと宙に浮かぶカラフルな袋のようなものを持っていて、それに目を奪われているようだった。
「あれは風船だな。飛行船と同じで、ガスで浮かせてるんだ」
ルーカスが解説してくれる。ミラがそわそわしつつ、兄と風船を見比べている。
「ここで待ってるから、貰ってきていいぞ」
「うん!」
ミラは瞳を輝かせながら、風船をもらうための列に並ぶ。それを見守りつつ、エフィとルーカスは近くのベンチに並んで腰掛けた。
「そういやさ、今日は髪を下ろしてるよな?」
ルーカスに指摘され、エフィは後ろ髪に手を伸ばす。
そう、今日はプラチナブロンドの髪を下ろしていた。兄から貰った青紫のバレッタは、耳の上辺りに着けている。
「家ではいつも下ろしてるじゃない」
そう言いながら笑うと、ルーカスも笑った。
「外では珍しいなと思ってさ」
彼の手が、ごく自然に伸びてくる。髪に触れ、優しい手つきで梳かされた。
「エフィはいつも可愛いけど、今日は特別良いな」
彼の表情はいつもの冗談を言う時の笑顔なのに、声色だけはいつもよりも真摯さを帯びている気がして、エフィは彼から目を逸らした。
「えっ……そ、そうかな」
そう言うのが、精一杯だった。
それきり、お互い口を閉ざしてしまった。ミラが帰ってくるまで、なんとも言えない沈黙が続く。
「おまたせ」
ミラが笑顔で戻ってきた時、エフィはほっとして大きく息を吐きつつ、ベンチから立ち上がった。強張っていた肩の力が、一気に抜ける。
ミラは赤色の風船を手にしていた。彼女が手を振るたびに、風船がふわふわと楽しげに揺れる。
「ね、お腹空いちゃった」
「昼飯食ってきただろ……」
ルーカスはぼやくが、ミラはめげずに訴えかけるような目を兄に向けた。時々、屋台とルーカスの顔を往復するように視線が移動する。ルーカスが頭を掻いた。
エフィは膝を曲げ、ミラと視線を合わせる。
「じゃあ、何がおすすめか教えてくれる?」
「うん。こっち」
小走りのミラについていく。彼女は屋台を2軒分通り過ぎ、それから足を止めた。
「わたしはこれがいいと思う」
ミラが指差したのは、星形をした可愛らしい揚げパンだった。上から砂糖がたっぷりまぶされていて、エフィは目を見開く。エルシオンでは砂糖が普通に流通しているのに、まだ高級品だというイーリスの感覚が抜けない。
「ん? ミラ、甘いものは嫌いだろ」
「え?」
ルーカスの指摘に、エフィは首を傾げた。ミラはアイスや焼き菓子が好きだったと記憶していたが、ルーカスは真面目な調子で正反対のことを言う。
ミラの表情が、一瞬だけ、しかし確実に強張った。
「これは……エフィさんへのオススメだから」
そう早口で言った彼女は、既にいつも通りの妹の顔をしていた。ルーカスはミラを見たが、すぐに「それもそうか」と呟き、屋台に視線を向ける。
違和感が、喉の奥に引っかかったように呑み込めない。ルーカスとミラが、ひどく遠い場所にいるように思えた。
「エフィさん?」
固まっていたエフィに、ミラが声をかけてくれる。その声色も、いつも通りだった。ふたりは、ちゃんとエフィの目の前にいる。
「あ……ごめん。じゃあミラのおすすめ、貰おうかな」
エフィは努めて明るく言った。
「うん。これ、3つください」
ミラが支払いを済ませ、エフィは揚げパンを受け取った。近くのベンチに3人で座る。
パンを口に含むと、ふわっと甘さと香ばしさが広がった。カリッとした外側と、しっとりした内側が面白くて、エフィはつい夢中で食べ進めてしまう。
「口の横に砂糖がついてるぞ」
「えっ……」
エフィは思わず食べる手を止めた。ルーカスがエフィの唇に視線を向けてから、逸らす。彼は無言でハンカチを渡してくれた。
「ありがとう。美味しくて、つい」
エフィは気まずさに笑いつつ、口元を拭う。ルーカスは明後日の方向を向いていた。醜態を見ないようにしてくれているのは、素直にありがたかった。
ベンチで休憩した後、エフィたちが向かったのは遊園地の中でも一際大きな車輪の形をした乗り物だった。車輪の外側にゴンドラがついていて、人が乗れるようになっている。一応ゴンドラには座席と縁がついているとはいえ、高いところまで登るにしては心許ない。
「さ、乗ろうぜ」
ルーカスが躊躇うことなく、ゆっくりと動き続けている赤色のゴンドラに乗った。
(乗る時、止まらないんだ……!)
そんなことにドキドキしつつ、エフィも続いて乗り込んだ。ルーカスの隣に座ってから、最後尾にいたはずのミラが着いてきていないことに気が付く。
振り向くと、ミラはエフィたちのひとつ後ろ、水色のゴンドラに乗り込んでいた。
「わたし、こっちの色がいい」
ミラはそう言って、ニコニコしている。
(ゴンドラの中からは色が見えないけどね……)
そう思ったが、ミラ本人が満足そうにしているので口には出さなかった。なぜか隣のルーカスは、ミラを見て何とも言えない顔をしている。
蒸気と歯車が奏でる音と共に、ゴンドラがゆっくりと空へと上がっていく。
「わ、すごい……!」
「だろ?」
最初は遊園地の敷地が一望できる程度だったのに、徐々に外側――エルシオンの街並みまで見えるようになってきた。もしかしたら、ルーカスの家やアリステアの診療所も見つけられるかもしれない。
目を輝かせて景色を見るエフィを、ルーカスが柔らかい表情で見守る。
その時、強い風が吹いた。すぐに収まったものの、ゴンドラが煽られて小さく揺れる。遊園地の敷地は、既にはるか下にあった。
目が眩みそうになった。エフィは息を詰めて、ルーカスの方に寄ってしまう。
「エフィ?」
ルーカスが戸惑う声が、耳元すぐのところから聞こえてきた。




