1-12:星の下で
その夜――
エフィが自宅のバルコニーに出ると、先客の姿があった。彼は手すりに身を預け、空を見上げてじっとしている。その黒髪が、そのまま夜空に溶けてしまいそうに見えた。
そっと彼に近寄った。
「ルーカス?」
声をかける。ルーカスは空からこちらに視線を移した。彼は屈託なく笑う。出会ったばかりだが、ルーカスが親しみやすいからだろうか、その顔を見ると妙にほっとした。
「エフィか。ここって、魔法でてきてるのにちゃんと時間も流れるんだな。暗くなるし、星も見える」
「ほんとだね。兄様は結構、凝り性なんだよ」
ルーカスと並んで、エフィは夜空へ顔を向けた。瞬く星は美しく、思わず見入ってしまう。
「ここの空ってさ、エルシオンから見えるのと星の位置が全く一緒なんだ」
彼の声が一段低くなった。
エルシオンでは星を詠んで人の運命を予言すると、ふたりから聞いた。その星を見上げるルーカスにどんな感情が籠っているのか、エフィにはまだわからない。
(ルーカス……)
聞いてもいいのか、迷った。
彼とは出会ったばかりだ。踏み込み過ぎてはいけないと思う。でも、星を見上げる彼の横顔がどこか寂しげで――
「ルーカスは、どうして予言に抗おうと思ったの?」
エフィはそう、口に出していた。
ルーカスはこちらを見ないまま、手だけを動かして予言の本に触れる。
「楽しい話じゃないぞ」
しっかりと頷いた。涼しい夜の風が、隣にいる人のジャケットをはためかせる。
彼は深呼吸をしてから、話し始めた。
「家族……俺は妹がふたりいるんだが、上の妹が、予言の通りに死んだ。……ここじゃ、よくある話だ。みんな予言の通りに生きて、予言の通りに死ぬから」
暗闇の中、ただ黙ってルーカスを見た。そこには何の表情も浮かんでいない。いつも快活な彼との差に、こっそり息を呑む。
家族が死ぬ日をわかっているということは、どれだけ辛いことなのだろう。もしエフィが、兄が死ぬことをわかっていたら――きっと、止めたい、運命を変えたいと思うだろう。
「妹は、予言の通りに死ぬことを受け入れていたんだ。それが、この世界の常識。抗うことなんか、普通は考えないんだよ」
ルーカスが力なく笑う。
予言に縛られず、自由に生きることを考えもしない。エフィには理解ができない生き方だ。だけど、きっとこの世界の人にとっては、エフィやルーカスの方が異端で、理解できないのだろう。
「でも、俺は妹に死んでほしくなかった。だから予言を破るために、あらゆる方法を探した。そんな時にアリスに出会って、一緒に行動するようになったんだ。今から……4年くらい前の話だな」
「アリステアは最初から予言に反対してたの?」
「表向きは予言に従ってる善良な市民してたけど、裏では運命を変えようとして何度も失敗してたらしいぞ」
「そうなんだ……なんか、意外かも。アリステアって、無駄なことはしなさそうなタイプなのにね」
「だろ?」
ルーカスがアリステアの過去を思い出したのか、小さく笑う。いつかその話も聞いてみたい、なんて呑気なことを思っている間に、彼の笑顔は引っ込んでいた。
「……だけど、妹は死んだ」
低く、抑えた声が夜空に響く。
エフィは目を伏せる。ルーカスとアリステア、ふたりが出会い、行動しても、妹の死という運命は変えられなかったのだ。
(運命は……手強い)
あの逃避行の中で、何度も立ちはだかってきた運命を思い出す。世界そのものが敵として襲ってくる感覚。急に温度が下がったような気がして、ふるりと体を震わせた。
「それで逸脱者としてヤードに目をつけられて、追われるようになった。……それが、俺の予言に『書かれている』んだぞ。笑えるだろ」
乾いた笑い声が聞こえて、胸がぎゅっと握りつぶされたような感覚がした。
「ルーカス……」
「俺が自分で選択したと思っていたことは、とっくの昔に世界によって決められていたことなんだよ」
ルーカスは本をホルスターから外して、開く。星が照らす薄明の下、なにも書かれていない本をただ意味もなく捲った。
「予言、最初から確認しなかったの?」
「自分が『いつ死ぬか』なんて、変えられないなら知りたくないだろ。……実際、妹が死ぬってなったら、『変えられない』なんて綺麗事、言っていられなかったんだけどな」
「……そっか」
呟いた声が、響いて消える。
彼の言いたいことは、わかる気がした。エフィだって自分が死ぬ未来なんて知りたくないし、『兄が死ぬ』とわかったら、きっと冷静ではいられないだろう。それが変えられないと――変えられた前例がないとわかっているなら、なおさら。
「だからエフィ、君には感謝してる。……これから先は自分で道を決めなきゃならない。それはきっと、楽じゃない」
語るルーカスの琥珀色の瞳に、星の光が淡く写り込んでいる。
「それでも俺は、自分で決めた道を歩いてみたい」
彼はこちらを見た。その口角が、ほんの僅かに上がっている。世界の常識に抗い続けた、眩しい笑顔だった。
(……強い人)
そんな言葉が、心に滑り落ちてくる。彼の姿勢に、見知らぬ世界に放り込まれた自分の不安まで、するりと溶けていく気がした。
「そういや、エフィの兄さんはどんな人なんだ?」
「……えっと」
話題を変えられ、一瞬、エフィは言葉に詰まる。
(ルーカスみたいな人、なんだけど……)
ルーカスの顔を伺うように覗き見た。彼は不思議そうに首を傾げる。
「え、なにその反応? 聞いちゃまずかったか?」
「ううん別に……」
何となく、本人に面と向かって直接伝えるのは気恥ずかしい。ぎこちなく、ルーカスに背を向けた。
「ちょっと、ルーカスに似てるよ」
「へぇ。優しくて頼りになる、みたいな?」
エフィはむ、と唇を尖らせた。振り向かなくても、ルーカスが笑っているのがわかる。そういうところも、兄によく似ていた。
「兄様も黒髪で、いつもふざけたことばっかり言ってたよ。そういう所が本当にそっくり!」
「そりゃ、さぞかしカッコいいお兄さんなんだろうな」
エフィは返事をしなかった。代わりに葉擦れのざわざわとした音が、夜のテラスに満ちる。
「茶化して悪かった。……お兄さん、見つかるといいな」
その言葉には、真剣さが滲んでいた。意地を張るのをやめて、振り向く。優しい目をしたルーカスと視線が交わった。
本当に、兄と似ている。
「兄様のこと、一緒に探してね」
「もちろん。これからもよろしくな、エフィ」
「こちらこそ!」
エフィは、笑って返す。
このエルシオンで初めて出会ったのがルーカスで良かった。そんな気持ちを、心の中だけで反芻した。
1章 完
幕間1話を挟んで、明後日から2章開始となります。
5/27
感想での考察を受けて、一部表現を加筆しました。




