幕間6:自称紳士の舞踏会 -前編-
地下の街から戻って、数日。
エフィたちは家のリビングで、思い思いにのんびりと過ごしていた。エフィとミラは家事を、ルーカスは機械いじりを、アリステアとナターシャは本を読んでいる。
そんないつもの日常を粉々に打ち砕く音——自動車の駆動音が聞こえてきて、家の前で止まる。
ルーカスが顔を上げた。
「オズワルドの部下か?」
こんな普通の民家に車で乗り付けるような存在は、この貴族様とその部下くらいしかいないだろう。
程なくして、ノッカーが鳴らされた。ルーカスが立ち上がり、客の対応のために玄関へと移動する。
「……なんとなくだけど、ロクな用事じゃなさそうね」
ナターシャがルーカスが消えた玄関の方を軽く睨む。
「だから……と言っているだろう。エフィが……」
客はオズワルド本人だったらしく、途切れ途切れに彼の声が聞こえてくる。ここからでは聞き取れないが、エフィの名を呼んでいることはわかった。
ミラが不安げに、隣に立つエフィに一歩だけ近寄る。
「もしかして、また事件?」
「いや。違うんじゃないかな」
アリステアは涼しい顔でそう言った。本から顔を上げることすらしない。耳がいい彼には、ふたりの会話内容が聞こえているのだろうか。
「絶対……だけはダメだ」
「は? お前に何の権利が……」
「エフィは……って言ってるだろ!」
オズワルドに対応するルーカスは、いつになく声を荒げている。漏れ聞こえる話の流れからも、良い話とは到底思えなかった。
ふたりのことが気になり、エフィは席を立った。
「ちょっと、見に行ってくる」
玄関に向かうと、アリステアがなぜか着いてくる。いつも冷静な彼がいてくれた方が心強いかもしれないと思い、エフィは特に止めなかった。
「ねえ、何してるの?」
玄関先で睨み合う男たちに声をかけると、ふたりはぱっと振り向いた。ルーカスは唇を引き結び、対照的にオズワルドの顔には笑みが浮かんでいる。
「ちょうどいいところに来たな。エフィ、手を貸せ。お前が適任の仕事がある」
「だからエフィはダメだって言ってるだろ!! いい加減あきらめろよ」
「は? そんな理屈で引き下がれるなら、こんな場所まで来ている訳がないだろうが」
「押しかけて来ておいて、人の家をこんな場所扱いするなよ。お前、紳士的とは言えないぞ」
「残念だが、俺は貴族嫡子として一流の教育を受けている。女性の扱いはお前よりは心得ている」
「どこがだよ!」
ふたりはどうでもいいことで言い争っていた。アリステアは口を挟まず、ただ無表情で彼らを見つめている。
エフィはわざとらしくため息をついた。ふたりの視線が、こちらに集まる。
「あのね、私のことなんでしょ? まずは最初から説明してくれる?」
「いいだろう」
頼み事に来ているのに、オズワルドはいつも通り偉そうだった。
「……今度、貴族が集まる夜会がある。俺は未婚だから、適当な女性を同伴者に選ばなければならん」
オズワルドが苦虫を噛み潰したような顔で説明してくれた。エフィはようやく、彼が言いたいことを理解する。
「なるほど、オズワルドには舞踏会に一緒に誘える女性がいないってことなんだ?」
「……お前な。もう少し慎みを覚えたほうがいい」
オズワルドが呻く。眉間の皺が未だかつてないくらいに深い。
「貴族のお作法はわからないけど、私で良ければ一緒に行くよ?」
「それは駄目」
ここまで無言を貫いてきたアリステアが、突然そう言った。
「そんなの駄目に決まってるだろ」
僅かに遅れて、ルーカスもそんなことを言い始めた。エフィは目を瞬かせる。
「なんで?」
「え? そりゃ……アレだろ……」
ルーカスの視線が泳ぐ。言葉の歯切れが妙に悪い。その割にはオズワルドとエフィの間に立って、オズワルドと話をさせないような態度を取る。
彼の行為の理由がわからなくて、エフィは首をかしげた。
「エフィが目立つことは避けるべきだ」
逆に、アリステアは迷うことなくぴしゃりと言った。
「それはそうだが、他に宛が——」
「全く、玄関先で何をしているの?」
エフィとアリステアまでもが会話に加わり、なかなか戻ってこないことを気にしてか、今度はナターシャが玄関まで出てきてしまった。
「ナターシャさん。あのね、オズワルドは一緒に夜会に行ってくれる女性を探してるみたい。でも、私が行くのはダメだってルーカスたちに言われちゃって」
ナターシャはエフィの言葉を聞いて、ルーカスを見て、アリステアを見た。
「……なるほどね」
納得したように頷く。ルーカスたちを説得してくれるのかと思いきや、ナターシャが最後に体を向けたのはオズワルドの方だった。
「仕方がないから、私で良ければ一緒に行ってあげるわ」
「お前が?」
「一応、元星府職員として最低限の社交マナーは叩き込まれているわ。それに、エフィはこのふたりの許可が絶対に出ない。だから、仕方なくよ」
ナターシャの言葉を受けて、オズワルドが一瞬考え込む。しかしそれ以外に手はないと思ったのか、渋々といった様子で頷いた。
「わかった。では」
言うが早いか、オズワルドはその場に跪き、ナターシャの手を取った。芝居がかった様子で、彼女の手の甲に唇を寄せる。
「俺と夜会へ参加してくれるだろうか」
態度も、口調も、普段とはまるで違う。ナターシャは一瞬息を呑んでから、彼に合わせて優雅な微笑みを作る。
「ええ、よろしくね」
ここがルーカスの家の玄関先であるという事実を除けば、素晴らしく絵になる紳士と淑女らしいやりとりだった。エフィは目を輝かせる。
(ふたりとも、素敵)
こんな風に誘われる舞踏会に憧れがないわけではないが、自分には無縁なものだととっくの昔に諦めていた。
エルシオンに来る前、エフィも兄のパートナーとして舞踏会に参加したことは一応、ある。
しかし兄と妹だし、ちゃらんぽらんな兄だし、こんな空気はもちろん、一切なかった。
「え、エフィ?」
ルーカスがこちらを見て、ひとつ咳払いをする。
「ルーカス?」
「その……」
なぜか彼の顔がほんのりと赤い。
「い、いや、やっぱりなんでもない」
そう言って、彼はそっぽを向いてしまった。すぐ近くで、アリステアが無言でこちらを観察していた。
「ふん、ヘタレめ」
立ち上がったオズワルドがルーカスを鼻で笑った。その態度に、ナターシャがオズワルドに取られていた手をさっと振り払う。
「その一言で台無しじゃない。今の貴方より、ルーカスの方がよほど紳士だと思うわよ」
「なんだと?」
「詰めが甘いのよ。やるなら、最後まで紳士を演じてくれる?」
オズワルドが睨む。ナターシャが睨み返す。
(……あ、あれ? なんでこんな殺伐とした空気になるの?)
ナターシャとオズワルドの間には先ほどの雰囲気は一切なく、すっかり不穏な空気が漂っている。
エフィは理由がわからず、首を傾げた。




