6-19:兄が創ったもの
しばらくの間、誰も、何も言わなかった。
エフィたちが沈黙している間にも、建物内では人々が働き、動き回っている。しかしその物音は透明な壁の向こう側の出来事のようで、うまくエフィまで届かない。
「賢者様の名前は伝わっていないわ。予言を創った後は、市井で一市民として暮らしたとされているから。なのに貴方はなぜ、賢者様の名前を知っているの」
最初に口を開いたのは、ナターシャだった。気丈にオズワルドを睨んでいるが、言葉の終わりが僅かに震えている。
「一市民として暮らしたんじゃなく、ローゼンベルク家の始祖として名を残したからに決まっているだろうが」
オズワルドは踵を返した。
彼は壁際にある本棚から、一冊の本を取り出してくる。相当古いもののようで、表紙の角が取れ、中の紙は黄ばんでいた。
エフィの目は、表紙に箔押しされた図形に釘付けになる。見覚えのある王冠の模様。
兄の鍵と、全く同じ。
「中を見るなら慎重にしろ」
オズワルドがぶっきらぼうに言う。エフィは本を受け取り、覚束ない手つきでページを捲る。途端に見慣れた筆跡が飛び込んできた。
間違いない、兄の字だ。
「兄様……」
エフィは一文字一文字を、刻み込むように読み進める。
大崩壊を経て、世界からマナが極端に失われたこと。
人間を存続させるため、魔法に代わる技術として開発されてきた蒸気機関と魔法を組み合わせ、刻星機と予言を作ろうとしたこと。
しかし完成された予言はあまりにも強固過ぎて、エリアス自身も破れないとわかってしまったこと――
そんなことが、兄らしい言葉遣いで綴られている。オズワルドが語った内容と、ほぼ遜色ない。
エフィは文字にそっと触れた。数百年の時間を経たインクは、当然乾ききっている。その事実に、きゅっと胸が握られたように苦しくなった。
「予言を壊せないと悟った賢者エリアスは、予言の破壊を後世に託すことにした。だからローゼンベルク家とこの街を創り、その後で刻星機を『完成』させた」
「その、破壊を託された人の子孫が、オズワルドなんだな」
ルーカスの問いに、オズワルドが深々と頷く。
「星府に目をつけられないよう、水面下で細々と活動するだけだったがな」
「でも、エフィの存在は予言に記されていないのよ? 一体どうやって、予言を破るつもりだったのかしら」
「そんなものは知るか。エリアスはただ、来るかどうかもわからん存在に賭け、予言を破るための道を整備した。俺たちはそれに賛同し、従っていたに過ぎん」
「……兄様なら、やりかねない」
ぽつりと、エフィが呟いた。全員が一斉にエフィを見る。手にした本を、そっと閉じた。
「すごく優秀な魔法使いなのに、兄様はいつもふざけてて、大雑把だった」
目を伏せる。瞼の裏に、兄の屈託ない笑顔が浮かんで、ふいと消えた。
「予言に綻びがあれば、そこを足掛かりにすればいい、くらいの気持ちで、この街を作ったのかもしれない。その綻びが、いつ来るかがわからなかったとしても」
「エフィ……」
ルーカスがエフィの背中を擦った。それでようやく、体が震えていたことを自覚する。
兄がエフィのことをどう思っていたのかが、まるでわからない。あの魔法の家に置き去りにしたのは、予言に綻びを作る駒としてだったのかもしれない。
「私は、兄様に利用されてたのかな」
呟きに、ルーカスの手が止まった。視線が泳ぐ。何を言うべきか迷っている。それでもぬくもりは、離れていかない。
それがどれだけエフィを支えてくれているか、きっとルーカス本人は気付いていない。
(……利用されていたのだとしても、私は今、ここにいる)
エフィは隣で寄り添ってくれるルーカスに微笑みかけた。こちらの変化に、ルーカスが目をみはる。
エフィがルーカスたちと出会ったのは、運命じゃない。兄の予言をもってしても、言い当てられなかったこと。
その事実を抱きしめて、エフィはオズワルドに向き直る。
「兄様が何を考えていたかは、関係ない。私は自分の意思で、変えたい運命を変えるよ。だから……手を貸して」
「当然だ。キリキリ働け」
オズワルドが手を差し出してくる。エフィはそれを、躊躇わずに握り返した。
「それはこっちの台詞だよ!」
エフィが言うと、オズワルドは唇の端を僅かに上げ、笑ってみせた。
✱
話を終え、建物から外に出たところで、ミラがそわそわとし始めた。街並みと兄を交互に見ては、何か言いたげにしている。ルーカスはルーカスで周囲の魔道具に夢中になっていて、ミラの様子に気付いていない。
「もしかして、街を見て回りたい?」
エフィが聞くと、ミラの顔がぱっと輝いた。ついでにルーカスの顔も同じように明るくなったので、エフィは苦笑いを浮かべた。
「うん! すごく、気になってる」
「ほう。なら、この俺が直々に案内してやろう」
オズワルドが得意げにそう言い出したので、エフィは弾かれたように彼を見てしまう。
「いつになくオズワルドが優しい……」
「おいエフィ。何か文句があるのか」
オズワルドに睨まれてしまった。
「文句というか、事実でしょ?」
「本当ね。この前までだったら、絶対そんなこと許さなかったでしょう」
「は? 状況が違うんだから当然だろうが」
オズワルドが不機嫌そうに眉を寄せた。エフィとナターシャは顔を見合わせる。ナターシャが口を開く寸前に、オズワルドの体がぐらりと傾く。
ルーカスとミラが、両側からオズワルドの手を掴み、引き摺るように連れて行こうとしていた。
「なあオズワルド、あの照明ってどういう仕組みなんだ? つまみで光の量を調節できそうだよな??」
「サンプル、1個欲しい。ダメ?」
ふたりのキラキラした眼差しからは、決してオズワルドを逃さないという気迫を感じる。
「ああもう、なんなんだお前らは!」
ぶつぶつ言いながらも対応しているオズワルドを見て、ナターシャが微笑んだ。
「なんだかんだ、面倒見はいいのよね」
「だね」
オズワルドに聞こえないように笑い合うエフィとナターシャの後ろを、アリステアが静かに着いてくる。
大騒ぎで歩く3人を眺めながら、地下の街を歩く。街の雰囲気がイーリスに似ているのは、兄が創った場所だからなのだろう。
(……あ、そういえば)
ふと思い出して、エフィはポーチから古びた地図を引っ張り出した。兄の箱から出てきた、星府中枢の地図。
(これを初めて見た時は、兄と星府に関わりがあることにショックを受けたっけ)
最近色々ありすぎて、とても遠い昔のことのように感じられた。
今ならわかる。そもそも星府を——予言を創ったのは兄なのだから、この地図が兄の箱から出てきても、何も不思議ではない。
地図を折れない程度に胸に抱く。
(兄様は、何を考えていたのかな)
兄の鍵は元々オズワルドが所有していたと、この前本人が言っていたが、地図が入っていた箱は自宅にあった。
それはつまり、兄はこの地図をエフィ以外に渡すつもりがなかったということ――
兄のことがわからない。
目を伏せ、思案するエフィを、アリステアだけがじっと見つめていた。




